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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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響け、あの遠いところへ

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 球場に爽やかな風が吹き抜ける。グラウンドを取り囲むスタンド、遥か遠いところにあるバッターボックス、マウンドに埋められたピッチャープレート。

 千秋(ちあき)は彼のためにクラリネットを吹く――

               ***

「うわあ……」

 高校野球、秋期東海大会準々決勝。ブラスバンド部一年の千秋は、一塁側アルプススタンドからグラウンドを見下ろしていた。

「いい眺めでしょー」

 チアリーディングのミニスカートをはいた紅葉(もみじ)が、千秋の肩からにゅっと顔を出して言った。年はひとつ上、ポニーテールでメイクもばっちり決めた彼女が両腕を大きく広げる。

「今日は絶対勝つぞー! 桐谷(きりたに)くん、ファイッオー!!」

 試合開始前のスタンドで彼女は叫んだ。周囲の生徒や野球部員の家族たちが目を丸くする。

「ちょっと紅葉ちゃん、恥ずかしいよ」

 顔を真っ赤にして言うと、彼女はしれっと「応援してこそのチアでしょー」と返した。応援団の中に桐谷先輩の家族がいたらどうしようと、勝手に幼なじみの心配をする。

「千秋こそ、そんなことで恥ずかしがってたら相手のチームに飲まれるよ!」

 そう言って千秋の白いポロシャツの背中を叩いた。「ひゃっ」と声を上げると、彼女はにっかりと歯を見せて笑った。

 応援団は皆トレードマークの赤い帽子と赤いメガホンを持ち、白いポロシャツを着ている。チアの紅葉は真っ赤なリボンと校章の入ったセットアップに赤いポンポンを持ち、千秋は栗色のくせ毛を赤いキャップで押さえている。

「この試合に勝てば春のセンバツに出られる可能性が高くなるんだからね! 気合い入れて応援するよ!」

 紅葉が赤いポンポンを高く上げると、準備をしていた他のチアリーディングのメンバーも「おーっ!」っと声を上げた。

「千秋も桐谷くんの応援よろしくね」
「もちろんっ」

 彼女の想い人、桐谷先輩は高校の大スターだ。ピッチャーで4番バッターの彼は、入学したときから弱小野球部を牽引し、ついに秋期大会の準々決勝にたどりつくことができた、と紅葉から聞いている。

 格好よくてスポーツ万能、おまけに勉強までできる「桐谷先輩」は憧れの人だった。もちろん千秋だけでなく、ブラスバンド部の女子みんなが彼を応援すると張り切っている。

「ようし、がんばるぞー」

 眼下のグラウンドをぐるりと取り囲むようにスタンドが設置され、相手側の青い軍団からも熱気が上がっている。

 よっし、楽器の準備をしに行こうと意気込んでいると、メガホンでスコンと頭を叩かれた。

「何やってんの、みんなもう集合してるけど」

 一年の茅野(かやの)くんが片手にメガホン、もう片手にクラリネットを持って立っていた。ビュッフェ・クランポン社の目がとび出るくらい高価なクラリネットが、陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 黒髪でつり目の彼は「はい」とそこらにいた子どもにメガホンを渡して、千秋の腕を引っ張った。

「いたいっ……離して!」
「さっさとウォーミングアップしろ」

 千秋が嫌がるのもかまわず、彼は腕を引いて歩きだした。幼い頃からクラリネットを吹いている彼は、とにかく楽器の扱いにうるさい。初心者でとろくさい自覚のある千秋は、何かと目をつけられ、アレコレと口出しをされる。

「ちゃんとバスの座席に用意してるよ」
「あんな熱のこもったところに置いてたら割れるだろ!」

 スタンド脇の階段をかけ下りながら怒られてしまった。何を言ってもこの調子で言い返されてしまう。彼が正しいんだろうけど、それにしたって苦手だ。

 結局、腕は最後まで離してもらえず、部員に野次られながらバスの昇降口に押し込まれてしまった。真っ赤になった腕を見てブチブチ言いながら、座席に戻る。

 小さな黒いクラリネットケースはお行儀よく座っていた。学校の備品を貸してもらっているので大切に扱っているけれど、何をやっても彼に遠く及ばない。

 私だってクラリネットラブですよ、と一人ふてくされてケースを開けた。黒い木製の本体はどこもひび割れていない。クラリネットが上手いからって、あんな言い方しなくてもいいじゃない、と頬をふくらませながらケースを持ってバスを下りた。

 彼が言ったとおり部員は整列して千秋を待っていた。最後列に立っていた彼がジロリとにらんで「遅い」とつぶやく。

 どうして何をしてもにらまれちゃうんだろう、と肩を落としながら彼のあとをついていった。