フリーソウルズ2
大地の章
Scene.7
中国山地
山道を走る車の後部座席で、目が覚める裕司。
仰向けになった裕司の身体が小刻みに上下する振動する。
車の天井を見つめる椿谷裕司。
徐々に記憶が蘇ってくる裕司。
神奈川県三浦半島にある霊園墓地の祭壇がある部屋。
背後から近づいてきたサングラスの男に口をハンカチで押えられる裕司。
首筋に痛みを感じる裕司。
サングラス男に寄りかかり、気が遠くなって意識を失う裕司。
裕司の身体は両腕が臍のあたりで胴体ごと麻縄で縛られている。
身動きができない裕司。
首を少しあげて窓の景色を見る裕司。
スモークガラスを通して緑の枝葉が後方に飛び去っていく。
運転席と助手席に、それぞれ男性であろう人の気配を感じる裕司。
運転席の男の銀縁眼鏡の細い弦が光る。
次の瞬間、裕司の視界いっぱいに車が進む方向の景色が広がる。
片側は人の背丈ほどの擁壁と樹木が生い茂る山肌、
対向車線側は途切れ途切れのガードレールと浅く谷になった傾斜面。
陽光に照り輝く樹木の鮮やかな緑色。
車はその風景の中を滑るように走行している。
後部座席に仰向けになったままの裕司に運転者が見ているべき景色が見える。
走行する車のスピードが増す。
助手席の男が運転者のほうを見て何か叫ぶ。
車は緩やかなカーブを無視し、猛スピードで直進し山道を外れる。
松の細い木をなぎ倒しながら斜面を下り、太いブナの木に激突して停まる。
ボンネットから激しく立ちのぼる水蒸気がフロントガラスを覆い、クラクション音が鳴り響く。
運転者は、ハンドルに顔面を打ち付けて気を失う。
銀縁眼鏡のガラスが、蜘蛛の巣状にひび割れている。
衝撃を免れた裕司は、男たちの隙を見て両足でドアを蹴り破る。
身をよじらせて車から出る裕司。
勢い余って地面に転がってしまう裕司。
悲痛な声を発しながら車を降りる助手席の黒縁眼鏡男。
立ちあがりかけては斜面を転がる裕司。
それを繰り返すうちに両手を縛っていた縄が緩みほどける。
「待てー!」と叫びながら、裕司を追う黒縁眼鏡。
縄を解き、痣のついた腕をさする裕司。
さらに森の深くへ逃げこむ裕司。
”逃げ足なら負けるはずがない。陸上部駅伝要員”
と、心の中で呟く裕司。
別の男の声「逃げても無駄だー!」
違う男の声「こっちだー」
他の男の声「出てこいー!」
四方から声がすることに恐怖を感じる裕司。
地中から水が浸みだすような、じめじめとした谷を走る裕司。
水の流れが集まって細い渓流となっているところを上流に向かって駆ける裕司。
斜度が次第にきつくなる。
ごつごつした岩が傾斜を形づくり、岩の裂け目を水が流れ落ちる。
足に乳酸がたまるのを感じる裕司。
細い渓流沿いを伝って慎重に足場を選び進む裕司。
四つ這いになり、清流が流れくだる岩場をよじ登る裕司。
真っ青な空、美しく輝く木々の緑、冷たい沢の水。
90度にそそり立つ岩壁。
あと少しでてっぺんに達する裕司。
岩場の出っ張りに指をかけ、つま先をかけて体重を押しあげる裕司。
出っ張りの先端がポロリと剥がれる。
手が宙をつかみバランスを保てず滑落する裕司。
目で水面を捉え咄嗟にそこに落ちるように体をくねらせる裕司。
右足先が水面から突き出た岩に衝突する。
足首の骨が引き裂かれる音がする。
水しぶきが上がる音と裕司の悲鳴が重なって森に響く。
激痛をこらえ水際から乾いた土のところまで這い出る裕司。
遠くで獣の吠える声がする。
それは次第に近づいてくる。
”もうだめだ、足を負傷した。歩けない”
心で呟く裕司”
地面に大の字になって空を見あげる裕司。
青空高く鳶か鷹のようなものがVの字に飛行している。
その飛行体から黒いものが剥がれ落ちて宙を舞う。
それはなめらかな線に沿って等間隔に落ちる。
その黒いものは瞬く間に空を隠すほど数えきれない数に膨れあがる。
強く首を振る裕司。
裕司の心の声「違う。これは僕の見ているものじゃない。誰かの記憶が混濁している」
ひと握りの白い雲が浮かぶ真っ青な空。
遠くの森で連続した爆発音がする。
12時の方向から何かが燃える匂いが漂ってくる。
機銃掃射のようなの爆裂音が近くなる。
裕司の心の声「こんなところで死にたくない。僕は・・僕は・・僕は・・・誰だ?」
黒縁眼鏡 「立ってください」
裕司の頭側に立って黒縁眼鏡男が言う。
首を伸ばして黒縁眼鏡を見上げる裕司。
男の背後のある景色は、陽光が散る濃い緑の林。
機銃の音も爆発音もない。
裕司の心の声「追いつかれた。逃げ切れなかった。負けた。試合終了。僕はこんな普通の男に走りで負けたのか」
裕司が妄想を巡らせてモタモタする。
黒縁眼鏡 「早く(急かす)」
裕司 「足が・・・、足が・・・」
裕司の訴えに男は無言。
負傷した右足をかばいながら膝立ちになる裕司。
その裕司の襟首を黒縁眼鏡が掴もうとする。
そのとき男の足元で犬が吠え始める。
さほど大きくもない犬。
鳴き声もひ弱な野良犬である。
白い毛並みが土色に汚れている。
その野犬に構うことなく裕司の首に手を伸ばす黒縁眼鏡。
背後に別の気配を感じて振り向く黒縁眼鏡。
背中の肉が盛りあがった大型の犬が二頭、舌なめずりしながら近づいてくる。
熊のような体格である。
男のこめかみが引きつる。
次の瞬間、鋭い爪を立てて黒縁眼鏡男に飛びかかる二頭の野犬。
腰を抜かして尻餅をつく裕司。
反撃する間もなく、野犬に押し倒される黒縁眼鏡。
混乱する裕司。
恐怖に震えながら後ずさりする裕司。
ゆっくり立ち上がる裕司。
黒縁眼鏡の悲鳴に耳を塞ぎ惨劇に目を背ける裕司。
痛む足を引きずってその場から離れる裕司。
気力の限りを尽くして足を動かす裕司。
渓流の谷から遠ざかり、森の中を彷徨うように走る裕司。
その間、野犬に追われたり出会ったりすることはない。
安全な場所に早く行きつきたい裕司。
救いを求めて駆け続ける裕司。
しかし森林には人家どころか人が足を踏み入れた形跡もない。
日没が近づいてくる。
ようやく小さな建物を見つける裕司。
スチール製の物置小屋。
引違い戸が少し開いており中が見える。
錆びた鳥獣捕獲用の檻が小屋いっぱいに重ねて置いてある。
ひと抱えはある大きな鉄製の檻である。
最後の力を振り絞って大きな檻を小屋の外に運びだす裕司。
檻を運び終えた後の小屋は人がふたり寝転べるくらいのスペースがある。
引き戸の縁に腰をおろしたところで力尽きる裕司。
小屋の中に身体を投げだして死んだように寝入ってしまう裕司。