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まだ何者でもない、けれどまだ何者にでもなれるお年頃

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銀杏並木が黄色く色づく帰り道。
 彩佳の頭の中は来月に迫ったブラスバンド部のクリスマスコンサートのことで一杯、その話しか出てこない。
 先月、全国大会の予選を兼ねた県大会があり惜しい所で全国大会を逃した、残念な結果には違いないのだが練習の成果は出せていたと思う、三年生たちはそれなりに満足げに部を去って行った。
 そして来月のクリスマスコンサートは俺たち二年生が主体になって初めての大きな舞台になる、彩佳が夢中になるのも頷ける……だが、俺の頭の中には別な事もどっしりと胡坐をかいて居座っていた。
 
 ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪
 
 俺たちは東京近郊にある高校のブラスバンド部員、公立高校だが熱心で有能な顧問が居て、全国レベルとまでは行かないが県内ではちょっとは知られるバンドだ。
 そしてそこそこの進学校でもある、東大合格者数を競うようなガチガチの有名進学校と言うわけではないが、地元の国立大や東京の有名私大には毎年それなりの数の合格者を出している、一応県内の公立校では二、三番手と目されている高校だ。
 そんな学校だから二年生のこの時期には部活を引退する生徒も多い、大学受験に本腰を入れるためだ、三年生の大半が秋まで残るブラバンはむしろ珍しいくらいなのだ。
 そう、俺の悩みとはブラバンを続けるかどうか。
 クリスマスコンサートを最後に引退も考えているのだ。
 
 彩佳の楽器は自前の声。
 ウチのブラバンで初めてのボーカリストだ、まだそれほど寒くはないのに大きなマフラーを巻いているのは喉を守るため、秋から春先にかけて大きなマフラーは彩佳のトレードマークになっている。
 ボーカルをやりたい、と彩佳がブラバンの門を叩いた時はちょっと驚いた、だが断る理由もない、一曲アカペラで歌わせてみたものの彩佳はすぐに入部を認められた。
 中学では合唱部だったそうだ、だがクラシック寄りの合唱よりもジャズやポップスをソロで歌いたい、とブラバンを選んだのだと言う。
 実際、コンテストなどでは規定上出番がないものの、コンサートや学園祭ではブラバンをバックに伸びやかに歌う彩佳はなかなかの人気者なのだ。
 
 俺は中学の頃からアルトサックスを吹いている、クラシックのオーケストラはもちろん、ジャズやポップスでも活躍する楽器、プロでやってみたい気持ちはある。
 だが、俺にはもう一つの夢がある、小学生の頃から理科の実験が大好きで、化学の道に進みたいとも思っているのだ。
 音楽は好きだがそれで食って行けるかと言えばなかなか難しい、特別な才能に恵まれていなければ努力次第で何とかなると言うようなものでもない、よしんば才能が有ったとしてもチャンスに恵まれなければ同じことだ。
 その点、化学の方ならば努力次第で大学や企業の研究室に入ることもそう非現実的な夢ではないように思える、もちろんそのためにはそれなりの大学に入らなくてはならず、そうするつもりなら時間的猶予はもうあまりない。

♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪

「ねえ、なんだか上の空だけどどうしたの?」
 彩佳が怪訝そうに俺の顔を覗き込んで来て、はっと現実に引き戻された。
 
 屈託のない、素直で裏表のない性格、それは彩佳の大きな魅力だ。
 今、彩佳の頭の中には音楽の事、クリスマスコンサートのことしかない、純粋にそれを楽しみにしていて全力を傾けているのだ、その彩佳の前で迷いをウダウダと隠しているのはいけない……そう感じた。

「実はさ、コンサートの後もブラバンを……って言うか音楽を続けるかどうか迷ってる」
「受験?」
「そう」
 それを聞いて彩佳はちょっと遠くを見つめるような表情になった。
「祐樹は勉強もできるもんね、あたしなんか理数系はからきしだけど、祐樹はそっちの成績もいいもんね……」
 ガッカリされるか、下手をすると怒り出すかもしれないと思っていたので、ちょっと肩透かしを食ったような気分だった。
「祐樹は化学好きだもんね、化学者になりたいとか?」
「そうだね、音楽も好きだけどそれでそれで食って行くのって難しいだろ?」
「それだけ?」
「そうじゃないよ、化学も音楽と同じくらい好きだからさ」
「そう……」
 彩佳は大きく息をついて続けた。
「あたしは三年間続けるつもり、卒業したら音大に進みたいと思ってるし、親もいいよって言ってくれてる」
「そうなんだ」
「あのね、親が考えてることもわかるんだ、あたしは女の子だから音楽で身を立てるところまで行かなくても大丈夫って思ってると思う、実家を出なければ生活できないってことはないだろうし、音大出て中学校の音楽教師にでもなれれば御の字だと思ってるんじゃないかな、そうしてるうちにお嫁に行くだろうってもね、その点男子は大変だよね、自立できなきゃいけないわけだしさ……」
 意外と現実的な彩佳の言葉……多分、俺の目は結構丸くなってたんじゃないかと思う。
 多分それに気づいたんだろう、彩佳はこうも続けた。
「あたし、別に音楽を軽く考えてるわけじゃないよ、確かに音楽で身を立てるのは簡単じゃないってことくらいわかってる、けどやっぱり歌手にはなりたいんだ、大きなホールでコンサートするほどじゃなくても、ライブハウスとかジャズクラブで歌えるだけでも良いの、実家にいれば甘えも出るだろうから大学卒業したら出るつもり、人生の一時期だけだとしてもそうやって必死に何かになろうってもがく時期って必要な気がするんだ」
 なるほど……。
「ねえ、黙ってないで祐樹も何か言ってよ」
「あ、ああ、ごめん」
「あたしの言った事、何か変だった?」
「いいや、全然変じゃないよ、おかげでなんか答えが出た気がする」
「答えって、どんな?」
「化学を選ぶ、音楽は趣味で良い」
「そうなんだ……」
「俺さ、音楽じゃ食えないだろうって思って化学を選ぼうとしてるんじゃないかって感じてたんだ、音楽から逃げようとしてるんじゃないかってね、でもさ、何かになろうともがく時期は必要なんじゃないかって聞いてさ、食える食えないは一旦外して音楽と化学を天秤に乗せてみたんだ、そしたら化学の方に傾いた、ちょっとだけだけどね、で、わかったんだ、音楽を捨てるんじゃなくて化学を取るんだってね、だから今度のコンサートが終わったら受験に向かうよ」
「そう……だったらあたしはもうなんにも言わない」
「残念がってくれるわけ?」
「う~ん、残念って言えば残念だけど、祐樹がそう決めたならそれで良いんじゃない? 化学で身を立てるのだって簡単じゃないんでしょう?」
「だろうね、大学や企業の研究室に必要な人材なんて限られてるだろうし」
「だからコンサートの後はそっちに全力でぶつかって行くんでしょ?」
「そうだね」
「だったらそれで良いじゃない」
「ああ、そうだね、その通りだ」

 俺は彩佳をじっと見た、彩佳はきょとんとした顔で見返して来ている。
 その顔の中に彩佳の将来がいくつも見える気がした。

 彩佳は歌手で成功するかもしれない。
 それとも何か別なことに夢中になってそっちに全力を傾けてるのかもしれない。
 良い男にめぐり会って全力で愛するようになるのかもしれない。