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お前だけには負けられない!

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《これより三役揃い踏みでございます》
 そう場内アナウンスが流れると国技館はどっと沸いた。
 大相撲初場所・千秋楽、両横綱は共に十二勝二敗、今場所の優勝を決める大一番が組まれている、だが、むしろ観客のお目当てはその二番前、関脇同士の一番だ。
 東の関脇・武蔵光と西の関脇・雪ヶ谷は共に十勝四敗、勝った方は十一勝四敗、そしてその一勝をもぎ取るか失うかでは天と地ほども違う。
 大相撲では大関昇進の基準を直近三場所で三十三勝十二敗以上としている、あくまで内規だがそのまま適用されるのが常だ。
 武蔵光は先々場所十勝五敗、先場所十二勝三敗、雪ヶ谷は先々場所、先場所ともに十一勝四敗の成績を挙げていた、つまり今日の一番に勝った方は三十三勝十二敗となり大関昇進が事実上決まり、負けた方は三十二勝止まりとなり大関昇進は見送られる公算が高い。
 無論、今日負けても来場所好成績を挙げれば良いのだが、目の前のチャンスをあと一息で逃しそのまま最高位関脇で終わった力士も少なくない、チャンスは確実にものにしたいのは当然だ、まして相撲界は番付が全て、大関と関脇では大きな差があるし大関になれなければ横綱昇進への挑戦権も得られない。

 三役揃い踏みとは千秋楽にだけ行われる儀式、最後の三番を取る六人の力士達が東西三人づつに分かれ、揃って土俵に上がり四股を踏むことを指す。
 まず東の関脇・武蔵光が東の横綱、東の大関と共に土俵に上がった。
 優勝を賭けた一番に臨む横綱の四股名が飛び交うが、武蔵光への声援も負けず劣らず多い、それを聞いて身が引き締まる思いがすると同時に、腹の底からふつふつと闘志が湧いてくるのを感じた。
 東の揃い踏みが終わると、最後の二番を取る横綱、大関は控えに座り、武蔵光は赤房下で蹲踞し、出番を待つ。
 西から三役が上がると同じように四股を踏む、扇の要の位置で四股を踏むのは西の関脇・雪ヶ谷、今日の対戦相手であり、高校時代から互いを認め合い『あいつにだけは負けられない』とモチベーションを高め合って来たライバルだ。
 
▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

 武蔵光敏彦、本名光野敏彦、埼玉県出身、愛宕山部屋所属の22歳。
 身長は172センチと力士としてはかなり低いが体重は150キロ、いわゆるあんこ型の力士、それも肉がパンパンに詰まっているような固太りだ。
 雪ヶ谷信也、本名雪田信也、新潟県出身、陣馬山部屋所属、年齢は武蔵光と同じ22歳だ。
 身長198センチと際立って高いが体重は135キロ、身長の割に体重は軽い、こう言った力士をそっぷ型と呼ぶ、スープを取る鶏ガラから来ていると言われている、当然一般人とは比較にならないが……。
 
 体つきが大きく異なる両者は取り口もまるで違う。
 武蔵光は典型的な押し相撲、腰を低くして額で当たって行く立ち合いから相手の両脇に手をあてがっての一気のはず押しが得意、引かれたりはたかれたりして負ければ自分の出足がまだ足りなかったのだと考える愚直なまでの押し相撲だ。
 雪ヶ谷は四つ相撲、廻しを引いての吊り、寄り、投げと多彩な技を持つ、そして雪ヶ谷のもうひとつの特徴は粘り腰、背筋が強く反り身になっても廻しさえ取っていれば土俵際でこらえることができる、そして得意の吊りを生かしてうっちゃり(注1)での勝ち星も多い。
 
 二人が初めて対戦したのは高校二年のインターハイだった。
 団体戦の大将同士で相まみえた、結果は光野の怒涛の押しを土俵際でこらえた雪田がうっちゃりで勝った。
 だが、その対戦は両者に強い印象を残した。
 雪田はあれほど強い当たりと出足鋭い押しを経験したことがなかった、土俵際まで一気に押し込まれたところでかろうじて廻しに手が届いたからかろうじて逆転できたものの、あと五センチ手が短ければなすすべなく押し出されていただろう。
 光野は会心の立ち合いで一気に押し込んでいながらうっちゃりで負けたのは初めてだった。
 土俵際、あの態勢からまわしに手が届いたことも驚いたが、その瞬間に体がふっと浮き、気が付けば土俵下、狐につままれたような心持ちがした。
 
 二度目の対戦は高三のインターハイ、今度は個人戦の決勝だった。
 お互いに一年前の対戦はよく憶えていた。
 雪田はあの後、立ち合いから一気に持って行かれることがないように立ち合いの当たりを磨いていた。
 光野はと言えば、立ち合いから一気に押して行く以外の相撲は取れない、土俵際で逆転されたのは自分の圧力が足りなかったのだと考え、出足をさらに磨くとともにてっぽう(注2)に励んでいた。
 立ち合いは五分だった、光野のぶちかまし(注3)と雪田の体当たりが正面衝突し、その反動で両者の体は土俵中央で一旦離れた。 先に態勢を整えたのは光野、低い体勢から二度目の立ち合いとも言えるぶちかまし、押されながらも左で廻しを掴んだ雪田が出し投げを打つが、すでに土俵際、両者とも宙に飛んだが、雪田の右足がわずかに土俵を割っていた。
 いずれも紙一重の勝負、高校横綱の称号は光野に授けられたが両者の力に差はない。
 二人とも卒業後は大相撲入りを明言していたこともあり、周囲は二人が良きライバルとなって大相撲でも大成するだろうと期待した。
 だが、二人の間でのライバル心は周囲が想像する以上のものだった。

 新弟子が半年間通うことを義務付けられている相撲教習所で顔を合わせても口を利くことはなく、本場所では控室や通路などで顔を合わせることもあったが、互いに無視を決め込んだ。
『共に励まし合って』と言うライバル関係もあり得る、だが二人にとって互いの存在が、成績が充分なモチベーションとなっていたのだ。
 十両(注4)に上がって関取となることが目標ではない、幕内、それも横綱、大関と対戦する前頭上位や小結、関脇に上がることが最低の目標、究極の目標は横綱だ、そのためには甘さはとことん捨てる、それだけの覚悟が二人にはあったのだ。

 高い目標を持つ二人だが、大相撲の世界はそう簡単ではない、先に壁にぶち当たったのは武蔵光だった。
 三段目まではすんなりと通過したが、幕下ともなると十両経験者も多く、中には幕内を経験したベテランも存在する。
 真っ向からの押し合いになれば負けないものの、いなし、はたき、立ち合いの変化など、突進力をかわされたり逆に利用されて敗れることが増えて来て、成績も思うように上がらなくなった。
 その間にも雪ヶ谷は着実に番付を上げて行く。
 力士としての素質では元々敵わないと思っている、自分は雪ヶ谷のように多彩な技を持っているわけではなく、相撲カンでも劣る、反身になって残れる腰もない、だとしたら自分が生きる道はとにかく前へ前へと出て行くことだけだと思い定めて稽古を重ねた。
 愚直なまでに前へ、前へ……そう心して稽古に励むうちに、地力がついて来たのか、必ずしも一気の押しではなくても勝てるようになって来た。
 一気に走ろうとすれば土俵際ではたきなどの逆転技も食いやすい、だが相手を追い詰めてから一瞬のタメを作り、二の矢の押しで勝負をつける、そんな相撲が身について来たのだ。
 十両昇進は先を越されたが、武蔵光は再び雪ヶ谷を追うように番付を上げて行った。
作品名:お前だけには負けられない! 作家名:ST