浜っ子人生ー朝の散歩復活、マロとの話し
散歩などで会う人達、一人暮らしの老人や中には郵便配達人、そして警察署員の人達にまで、和やかなスマイルを振りまき皆さんを笑顔にした人気犬だった。マロが我が家に来て以来付けていた私の日記に「和の使者」と言う言葉が屡々見られるのもマロのこのような性格によるものだ。
私の犬好きには深い理由がある。六歳で父を亡くし、生活の為に住み込みで叔母さんの家に働きに出た母と別れ、明治人の祖父母の元で育った私は、親子水入らずの家庭生活、スキンシップ等を知らないまま成人した。
唯一人の跡継ぎ息子として、また戦時と言う非常時の中で、特に祖父は明治式の躾を私に施した。
「心の癒し」を人間以外の生き物や植物などに求めたのは、ごく自然な流れだったと思う。お祭りの夜店で買ってもらったヒヨコや金魚までも大切にした。それらが死んだ時には丁寧に埋めて手作りの墓標を建てたものである。それを見た祖父は憐憫の情を持つことは大切だと教えた。
その頃から犬がとても好きだった。当時の犬はシャンプーなどをしてもらう事もなく、飼い犬、野良犬を問わず臭かった。でも私には尻尾をふり、身体をこすりつけてくる犬達が、ただ無性に可愛かった。子供だった私にも、犬が私の心を癒してくれている事が何となく理解出来ていたのかも知れない。
私の心の寂しさを癒してくれる「仲間」と言う意識が育ち始めていたと思うのである。最初に飼ったのは秋田犬のタロー、
次には「純粋の雑種」でニ代目タローであった。
マロはバンクーバーで飼ったニ匹目の犬で、一匹目のハチが死んでから九ヶ月目に我が家に来た。ブリーダーの家は車で東へ一時間程の田舎町、犬舎には母犬の回りに七匹の子犬がはしゃぎ回っていた。一匹ずつ手のひらに乗せて行くと、早く手のひらから降りようとする他の子犬達と違って、一匹だけが私の手のひらで、大きな目でじっと私の目を真っすぐに見つめた。まるでそれは
「僕だよ、僕を貰って」
とでも言っているような、私の心との繋がりを確かめているような目だった。私は即座に
「この子に決めた!」
とブリーダーに告げた。
私と家内はマロについて出来るだけの準備をしていたし、下のトレーニングにも気を配っていた。マロが凄かったことは、あの子の全生涯を通じ家の中で誤ってウンチをしたのはたった1回だけ、体調を崩しその命が終わる時期になっても、マロは決して粗相をしなかった。マロは人間を心から信じ、人間にその命を預けると言う犬の宿命を誰よりも忠実に実行した犬だった。
マロとの思い出が一杯詰まっていて、どうしても歩けなかったベルビューの通り。家内がようやく犬を飼う事に関心を示してくれた事もあり、今までのような形式的な歩き方では、元気な子犬にはとても対応出来ない。
暫く歩いていないうちに股関節の弱体化を感じるが、ここ一週間ほど前から16通りから24通りまで歩こうと決意し、毎日マロがいた頃と同じように歩き始めた。
一年余りのブランクは目に見えていて、19通りから20通りへの短い上り坂ですら息が切れそうになる。人間の体なんて、特に筋肉は本当に脆いものだと痛感する。でも歩き続ける、マロが帰って来てくれる日を夢見て、そんな毎朝である。
ベルビューだけではない、ウエスト・バンの道は、何処へ行ってもマロとの思い出が浸み込んでいる。特に殆ど毎朝のように歩いたベルビューは足を進める毎に思い出が沸き上がって来る。歩道のへこみや出っ張り、アパートの入口に咲く様々な季節の花々、道に沿って伸びる植え込み、あらゆるところにマロがいる。匂いを嗅いだところ、チョコンと足を上げておしっこをした植え込みや芝生、道標等々、一つ一つから楽しかったマロとの思い出は尽きない。
25の通りからベルビューを戻ると、20の通り迄はゆるいけれど上りが続くので、最近は逆に19の通りから急坂を上り25の通りまで歩いた後、海沿いを戻る事にしている。ここを歩いて車に戻る間は、一人静かに潮騒に耳を傾けながら、私の中で生きているマロと話す。
寄せては返す波、地球誕生から全ての命の源だった海、そして生き物がその命を終えた時、海はその終えた命を暖かく迎え入れ、そして再び新しい命を絶えることなく生みだしてくれる。
潮騒の中にマロの声も聞こえてくる
「親父、僕は必ず帰って来るからね」
と、まるで生きている時と同じように私の心と会話しているように思えてならない。
海と言う悠久の命の源には人間も犬もない。命ある、或いはあったもの達が自由に話をする事が出来るところだ。
「さあ、マロ、家に帰ったら仕事が始まる、
今日もお父さんは頑張るよ!」
(完)
作品名:浜っ子人生ー朝の散歩復活、マロとの話し 作家名:栗田 清