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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Jane Doe

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 村瀬が短く名乗ると、理奈は厨房の方向を見つめた。階段に、村瀬の血の跡が残っている。上った方と、下りてきた方と両方。理奈はダッフルバッグを床に放った。
「村瀬さん。あなたはこれに金を詰め込んで、逃げようとした。組織の金を奪うとどうなるか、分かるよね?」
 村瀬が何も言えないでいると、理奈は鈴野に言った。
「一人前のモズなんでしょ。怪我してる相手に、銃なんか使わないで」
 鈴野はうなずきながら、もう歩き出していた。村瀬が後ずさるよりも早く、その首を掴み、体重をかけて壁に叩きつけた。片手片足が使い物にならなくなっている村瀬はどうにかして起き上がろうとしたが、鈴野はぽっかりと穴が空いたふくらはぎに蹴りを入れて動きを封じると、親指を両目に突っ込んだ。眼球を通り抜けて指が脳に達し、村瀬は足を何度か痙攣させた後、動かなくなった。
 理奈は、鈴野が持ってきたカバンを開けると、半分をダッフルバッグに移して言った。
「安心して。あなたがやらかしたことは、誰にも言わないよ。それか、ここに残ってあの家族を一緒に消す?」
 その意地悪な笑顔に、鈴野は全身の毛が粟立つのを感じながら、首を横に振った。同時に、理奈が考えていることも理解できた。村瀬の死体を消すつもりなのだろう。金を奪った強盗を皆が追いかける中、五千万円は半分ずつ懐に入る。それは、理奈にとっても手痛い失敗ということなのだろう。今まで、どんな恐ろしい人間かと思っていたが、その恐ろしさは変わらないにしても、今なら少しぐらいこちらから話しかけても、構わない気がした。それを後押しするように音楽が切り替わり、ジェームズブラウンのトライミーが流れ始めた。
「あの、聞いてもいいですか?」
 鈴野の言葉に、理奈はダッフルバッグのファスナーを閉じながらうなずいた。鈴野は言った。
「あの二人とずっといるのは、どんな感じでしたか?」
「私、それしか知らないからね。比べようがないから、正直分からない。そう言えば、一度逃げようとしたんだ」
「今みたいに、お金を持ってですか?」
「ううん。お金はなかったな。とにかく逃げたかったんじゃない。気持ちは分かるよ」
 理奈はそう言うと、半分に目減りした自分のカバンを担いだ鈴野に、笑顔を見せた。
「人間、何歳になっても、やり直したいもんなんですかね」
 鈴野は、それは自分にも当てはまるということに気づき、苦笑いを浮かべた。理奈はその表情の変化を見逃さず、言った。
「これで、嫌になった? 引退するのかしら」
「いえ。逃げ切る自信はないです。でもこの歳になって、今まで考えもしなかったようなことが浮かんだりは、しますね」
 鈴野はチェイサーの鍵をポケットから取り出すと、自分が座っていた席を一度振り返った。ずっとやってきた簡単な取引のはずが、山分けした金を持って、店から出ようとしている。ほとぼりが冷めるまでは、海外に出た方がいいだろうか。頭の中で念仏のように繰り返していた鈴野はふと、巡る考えを一時停止した。『山分けした金』。その言葉で頭の中が止まったとき、理奈が言った。
「もう私も若くないし、生きてて新しい発見なんてないと思ったけどさ。一つ、分かったことがあるわ」
 ドアに手をかけたとき、鈴野は気づいた。俺は、誰と金を山分けしたように見える? それでも、理奈の問いかけを無視するわけには、いかなかった。
「何ですか?」
 鈴野が上の空で返事をしたとき、理奈は言った。
「親を殺された、子供の気持ちだよ」
 こめかみに向けて放たれた一発が神経を一瞬にして断ち切り、鈴野はその場に崩れて死んだ。理奈はその頭にもう二発撃つと、拳銃を村瀬の手に握らせてから、ベルトに挟み込んだ。少し引いて全体を見回した理奈は、納得したように目だけで笑った。鈴野と村瀬が共謀して金を山分けした後、内輪で揉めたように見える。カウンターの椅子に腰かけた理奈は、窓の外に見えるアルトラパンを見ながら、思い出していた。前のタイヤが両方ともパンクしていた、十年前のあの日。耕助と香苗は逃げようとしていた。それだけで、契約不履行になる。今思い返せば、自分が二人に対して公平だったのかも、よく分からない。理奈は、あの時の自分の行動を、鮮やかに頭に浮かべながら思った。タイヤに穴を開けたときは、どうしてあの二人の身を助けることをしたのか、そこまで深く考えていなかった。でも、パンクさせたのが自分である以上、修理するのも自分だと思ったから、私はタイヤを交換した。思い出はたくさんあるはずなのに、自分が本当にそうするべきだと思ってやったことしか、今は思い出せなかった。
 理奈は、鈴野のカバンからダッフルバッグへ金を移すと、それを抱えて二階へ上がり、音の洪水の中で肩を寄せ合っている佐岡一家の前に置いた。オーディオの電源を落とすと、凍らせたように空気が沈みこんだ。オーディオの電源を落とすと、凍らせたように空気が沈みこんだ。
「これを預けますので、私の顔を忘れてもらえますか」
 洋平と和佳子は小刻みにうなずいた。理奈は、その目を見て初めて、自分が鈴野の返り血を浴びていることに気づいた。果たして、子供の口から両親に伝わるのかどうか、それは分からない。でも、自分の立場を理解して先手を打ったのは、この子だけだった。理奈は一階に下りると、非常出口の鍵を開けて、三人を送り出した。あの時、耳打ちされたこと。
『仲間なんだよね?』
 亮也は、鈴野が電話をかけたとき、理奈のポケットの中で携帯電話が光ったことに、気づいていた。理奈は思った。私は、常に公平であるべきだと教わった。自分の命を自分で買い戻さないといけない瞬間は、不意に訪れる。必要な機転を利かせることができる人間は、相応の報酬を受け取って、生き延びるべきだ。
 理奈はタオルで顔の返り血を拭うと、上着を着替えて、メインのブレーカーを落とした。店の電気が全て消え、真っ暗になった店の中で黒縁眼鏡を外すと、ポニーテールを解いた。村瀬の死体を伊波のレガシィに積み込み、店の脇に丸められたブルーシートを広げて、指名手配されているカローラフィールダーを覆った。時間を稼ぐための最低限の処理を終えた理奈は、『掃除屋』を呼ぶためにスマートフォンを取り出したが、すぐポケットに押し戻して店の中へ戻り、二階へ上がった。段ボール箱を空にすると、オーディオの傍らに置かれた棚から、テープを移し替えていった。後からここにやってくる誰も、気づかないだろう。テープがそこにあったなんて。私にとっては宝物だけど、それ以外の人間には価値のないものだ。理奈は、サンバーの中に置かれたテープも全て取り出して、段ボール箱へと入れた。これから、レガシィと村瀬の死体を消さなければならない。総取りして逃げおおせた、強盗二人組の片割れ。それが筋書きだ。そうすれば、屋代夫妻の名誉だけは守られる。
 十五年前、三人で廃墟のドライブインを見上げていたとき。二人は、私が発する言葉全てに、恐怖を感じているようだった。でも、私が名前を提案したとき、二人は振り返って笑顔を見せてくれた。
 誰かに笑いかけられたのは、あの日が初めてだった。
「今までありがと」
作品名:Jane Doe 作家名:オオサカタロウ