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今よりも一つ上の高みへ……(第一部)

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7.プリンとタピオカミルクティ



 ガキッ!
 はっきりバットの芯を外すナックルを投げられたはず、しかし打球はジャンプしたショートのグラブをかすめてレフト前に達し、三塁ランナーに続いて二塁ランナーもホームを駆け抜けて行った……。
  
 シーズンが開幕したが、当然雅美は二軍。
 紅白戦での滅多打ちにもかかわらず、二軍での登板機会は与えられているが結果が付いて来ない。
 さすがに紅白戦のようなことはないが、ここまで雅美の防御率は9.00、6イニングを投げて自責点も6と奮わない。
 
 松田は開幕一軍に残り遠征にも帯同しているが、寮住まいなので顔を合わせる機会はある、首都圏でのゲームが続く間のオフにはピッチング練習にも付き合ってくれる。
 雅美の気持ちが折れてしまわないのは松田が励ましてくれるおかげだ。
 一方、松田も雅美がなぜ打たれるのかわからないでいた。
 ブルペンで受ける印象では、たとえ130キロしか出ていないストレートでも30キロの差があるナックルに交えればそうそう打たれないボールであるように感じる、そしてナックルもスピードが増したことで切れ味鋭く変化する、このコンビネーションだけで短いイニングくらいならピシャリと抑えられるように思うのだ。
 松田の一軍での打率は2割1分そこそこ、打者としては今一つだが、並み居るプロのピッチャー相手にヒットが打てていないわけではない、実際、雅美に投げさせてバッターボックスに入ってみたこともあるのだが、ナックルはわかっていても簡単には打てない、ホームベースに達してなお変化し続けているので、『行ける!』と思っても打ち損じたり空振りしたりしてしまう、そして時折交えるストレートは実際には130キロしか出ていないのだが、ナックルとのスピードの差が激しいので150キロのボールを続けられた時より速く感じてしまう、ストレートが来るとわかっていてさえそうなのだ。
「抑えようとする気持ちが強すぎるんじゃないか?」
「だってずっとそうやって投げて来たよ、抑えようと思わないピッチングってある?」
 その通りだ、打ってくださいとばかりに投げたボールが打たれないはずはない。
『無心で』などと言っても意味はない、一流のピッチャーが極度に集中した時、バッターが視界から消えた、などと言う話は聞いたことがあるが、どんな大投手でも一生に何回あるかと言うレベルの話だ、普段は抑えてやる、と思いながら投げているはずだ。
 的確なアドバイスをしてやれないのがもどかしい……。

 だが、ある日、雅美の元に救いの女神が舞い降りた。
 自身も失点し、チームも敗れてすごすごとベンチを出た瞬間、懐かしい声と共にその女神は現れた。
「雅美ちゃん」
「あ、淑子さん!」
 背が低くやせっぽちで、大きなメガネをかけた女神……少年野球時代のチームメート、浅野淑子だ。
 淑子は体格に恵まれないだけでなく筋力も運動神経もゼロに近い、ボールを投げれば20メートル先の相手に届かないし、キャッチしようとすればおでこで受けてしまう、そしてそのボールを拾いに行く姿を見れば足が極度に遅いことも容易に想像がつく。
 しかし、少年野球チームではサードコーチャーとして、また監督補佐としてチームになくてはならない存在だった。
 プレー経験はなくとも知識が海の水のように豊富で、観察眼に優れていて選手やチームの問題点を把握し、その対策も即座に立ててしまう。
 野球には「盗む」だの「刺す」だの「殺す」だのと物騒な表現が多い、ある意味敵の隙を突き、裏をかくスポーツだとも言える、淑子は野球と言うスポーツにおける『頭でする』部分のオーソリティなのだ。
 
 全日本女子チームのコーチとして、そして一学年下ながら小中学校時代チームメートだった雅美が苦しんでいるのを見過ごせなかったのだ。

「プリン買って来たよ、コンビニのだけどちょっと高いヤツ」
「わぁ、嬉しい」
 プリンも嬉しかったが、好物を憶えていて買って来てくれた淑子の心遣いが嬉しかった。
 考えてみれば、キャンプイン以来お菓子類は食べていなかった、宿舎でも寮でも、周りは男性ばかりなので食堂で提供されることはない、デザートと言えばフルーツなのだ。
 そして雅美は女性としてはよく食べる方だが、男性の野球選手の中にあっては小食の部類に入る、だが体つくりに食事は大切だ、雅美はお菓子が入るべき別腹すらも総動員していたので生活の中にお菓子が入り込む余地もなかったのだ。
「わあ、生クリームもたっぷり乗ってて美味しそう……頂きま~す」
 口の中に甘い味が広がる……美味しい……そう思った瞬間、不意に涙がこぼれ落ちた。
 女性ばかりの寮や宿舎で過ごしていた頃の思い出があとからあとから蘇って溢れ出し、大きな不安と挫折感を抱えながら練習とトレーニングの日々を過ごしている張り詰めた気持ちが不意に緩んでしまったのだ。
 プリンと小さな透明プラスチックのスプーンを手にしたまま泣きじゃくる雅美の肩を、淑子は優しく抱きしめた。
 170センチで体格も立派な雅美に140センチそこそこで30キロしかない淑子では、傍目にはぶら下がっているように見えたかもしれないが、雅美は暖かな羽毛に包まれたような気持になった……。

「フィル・ニークロさんって、プロ3年目まで芽が出なかったの知ってる?」
 ひとしきり雅美の話を聞いてやったあとで、淑子がそう切り出した。
「え? そうなの?」
「大学時代はすいすい抑えられてたのに、プロに入ったら自信を持って投げたボールを打たれちゃって、また打たれるんじゃないかって怖くなっちゃったんだって」
「……ニークロさんはどうやって立ち直ったの?」
「開き直り」
「開き直り?」
「相手もプロなんだから打たれる時は打たれる、それはもうしょうがない、『打てるものなら打ってみろ』って気持ちを思い出して投げ込んだら、『あっ』と思うようなボールが行ってもバッターの方で打ち損じてくれるようになったんだって」
「気持ちの問題ってこと?」
「あたしは野球って言うスポーツを確率のゲームだって考えてるから、気持ちの持ちようで変わるってイマイチ納得できないんだけど、実際はそう言うのってあるよね、そういうシーンは何度も見て来た。 完全にアウトのタイミングでも相手がジャッグルしたり、捕られたと思った打球が抜けて行ったり、やられたと思った球を空振りしてくれたり……強い気持ち、気迫って何かを起こすことがあると思う」
「気迫……かぁ」
「雅美ちゃんって、女子には打たれる気がしてなかったでしょ」
「まあ、そうですね、でも全部の球に気迫を込めてたかって言うと、それはどうかなぁ」
「そうじゃなくて、相手の方で『あの石川雅美と対戦してるんだ』って思ってたんじゃないかな、ナックルがほとんど変化しないで真ん中に入っても『バットの芯を外されるんじゃないか』って思いながらスイングするのと、『貰った』って思ってスイングするのじゃやっぱり違うんだと思うよ、これは気持ちの問題ってばかりじゃないと思う、ほんのちょっとの違いだとしても、結果は大きく違って来るよね」
「そ、そうですね」