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ノーサイド

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 悟は慎重にボールをセットすると、枯れた芝生を少し毟って軽く投げ上げた。
 
 ボールの位置はゴールポストに向かって大きく右に外れている、右足でキックする悟にとっては難しい位置、風は右から左、そう強くはないが更にこのキックを難しくする風だ。
 既に既定の試合時間は終わっている、時間内最後のプレー、仲間たちが最後の力を振り絞って得たペナルティキック。 点差は僅かに1点、このキックが成功すれば長かったリーグ戦を優勝で締めくくり大学選手権へと駒を進めることができる、外せばその瞬間に四年生の大学ラグビーは終わる。
(頼む、決めてくれ)仲間たちの視線が背番号10にそう語りかけているのを感じる。
 仲間たちだけではない、スタジアムを埋めた観衆、さらにはTVで観戦している人々も皆、背番号10の一挙一頭足に固唾をのんでいる。

 悟は軸足を踏み込むべき位置の芝生を蹴って目印を付けると真っ直ぐ後ろに3歩、そして左に折れて更に3歩下がると、大きく深呼吸して天を仰いだ。

 大学入ってからの4年間、苦しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと……様々な思い出が脳裏をかすめる。
 いや、大学の4年間だけではない、高校でラグビーに出会ってからの7年間が走馬灯のように駆け抜けて行く。
 悟はいつものルーティン、右ひざをつき、テーピングでぐるぐる巻きになっている左ひざに手を当てて目を閉じた、(ぐらついたりしないでしっかり体を支えてくれ)と言い聞かせるように。
 そして、悟は一歩目を踏み出した。
 踏み込んだ左脚を置くべき位置を見据え、蹴るべきボールの一点を見据える、何の違和感もない……行ける。
 悟は右脚を振り抜く、ボールは向かって左のポストに向かって飛んで行く。
 角度のない位置からのキックだ、ゴールポストの間は狭い、ボールがポストの右を通れば勝利、左を通れば敗北……そしてボールは……左に逸れた……。

 審判の長い笛が響いた。

 ノーサイド。

 ラグビーでは試合終了をそう呼ぶ、試合では敵味方に分かれて激しく戦うが、試合が終われば敵も味方もない、そういう意味だ。
 だが、歓喜に沸き立つジャージと肩を落とすジャージははっきりと分かれている、お互いの健闘を称え合う場面でも足取りは明らかに違う。

「すまん」
 試合後のあいさつを終えてロッカールームに戻ると、悟は仲間にそう詫びた。
 だが。
「惜しかったな、でもここまでお前のキックに助けられた試合は何度もあった、あのキックだって俺たちがもう少し真ん中寄りでペナルティーを得られればお前は決めてくれたさ、お前のせいじゃない」
「だが、一番大切な場面で……」
「どのプレーが大事でそのプレーがそうじゃないなんてことはないさ、今日だって1点差だ、どこかでワントライでもワンゴールでも取れてれば良かった、どこかで失点を防げてれば良かった、最後のペナルティキックに勝敗が委ねられたのは、一試合を通して戦ったその結果さ」
 仲間の気遣いは嬉しい、この仲間とここまでやって来れたことを嬉しく思うし、誇りにも思う、だが、一番悔しい思いをしているのは悟自身なのだ……。 

 
 紺野悟、中学まではサッカーをやっていた。
 ごく普通の公立中学、全国レベルの強豪校とは行かないが、県内では有力校の一つに数えられるチーム、背番号は今と同じ10、トップ下の司令塔として活躍した。
 サッカーでも悟の視野の広さ、状況判断の早さと的確さ、そしてキックの正確さは光っていたのだ。
 そして、やはり公立高校に進んだ時、悟はサッカー部の練習を見学するためにグラウンドへ足を運んだ、ラグビーと出会ったのはその時が最初だった。
 その高校は公立ながらラグビー部が強く、ちょうど悟の中学と同じように、全国レベルまでは行かないが県内の有力校の一つに数えられていた、一方サッカー部は弱小で、練習を見ていても緊張感が伝わってこない、ラグビー部の充実した、気合の入った練習とは対照的だった。
 その後何度か練習を見て、悟はラグビー部への入部を決めた、まだルールも大まかにしか知らなかったが、部員たちが流す汗がきらめいて見えたし、練習を終えた彼らの笑顔が印象的だったのだ、充実感に満ちた笑顔だった。

 それから3年後。
「よう」
「うん、いつもと同じ?」
「ああ」
 悟と早紀の挨拶はいつもこれだ。
 同じ大学の同じキャンパスに学んでいるが、学部は違う。
 顔を合わせるのは学生食堂、と言っても広いので食券売り場で待ち合わせる、どちらか早く着いた方が列に並んで二人分の食券を買う、合理的な待ち合わせだ。

 早紀とは同じ中学、同じ高校を経て同じ大学に進学した。
 古い馴染みとは言えるのだろうが、特に親密だったわけではない。
 同じ中学に入学したのは学区が同じだったからと言う以外に理由はないし、同じ程度の偏差値で公立を目指すとなればおのずと高校は絞られる、県内には同程度の公立高校はいくつかあるが、通学の便を考えれば同じ高校を選ぶのはごく自然な成り行きだ。
 そして悟たちの高校からこの大学へ進学したのは、現役生だけに絞っても30名ほどいる。
 東京の大学だが自宅からも通えるし、伝統ある私学で卒業後の就職実績も良いから、この大学を目指す生徒は多い。

 悟は高校3年間をラグビー部で過ごした。
『青春を捧げた』などと言えば格好も良いが、それほど一心に打ち込んだと言うわけでもない、練習は厳しく気合を入れて真面目にやったが、そこそこの進学校でもあるので朝練や夜練などと言うものはない、週5日、放課後の2時間がラグビー部の活動時間、短時間で効率良く集中力を切らさずに練習するのが、大学時代に名門校で鳴らした監督の方針だったのだ。
 ラグビー部に入った悟はすぐに頭角を現した。
 ます、正確なキック力はチームが必要としているものだったし、サッカーで培った視野の広さ、冷静で素早い判断力はラグビーでも生きたのだ。
 

 早紀はごく普通の家庭でごく普通に育った。
 中学の部活はテニス部だったが、試合のメンバーに選ばれることなく、2年生の秋にやめてしまった、理由は高校受験に向かうため。
 早紀には受験勉強に打ち込まなければならない理由があったのだ。
 その理由とは悟だ。
 テニス部は大所帯で1年生は主に球拾い、テニスコートはグラウンドの端にあり、サッカー部が練習しているのをいつも眺めていた、その中にクラスメートの悟の姿があったから……早紀はいつも悟の姿を目で追っていたのだ。
 テニス部を2年でやめてしまったのは悟と同じ高校に進学したかったから。
 悟はサッカー部のエースだが、学業成績の方もかなり優秀だったのだ、悟の学力に追いつくには相当の努力が必要だったのだ。
 もっとも、テニスの方で芽が出る可能性もほとんどなかったことも理由の一つではあったが……。
作品名:ノーサイド 作家名:ST