新作落語 怪談・ホテル観音裏
「ふぅ……ちょっと調子に乗って飲みすぎたな……終電の時間にさっぱり気づかなかったよ……う~風が冷たいや……タクシーで帰るには遠すぎるしなぁ、別に帰りを待ってるような女もいないんだ、無理にタクシーで帰るより泊まっちまった方が安上がりだし楽なんだがなぁ、その方が会社にもよっぽど近いし……なのに、どこのホテルも満室と来てやがる、春節だから中国の団体さんでも泊ってるのかね……う~さぶっ、どんなんでも良いから早くホテルを見つけねぇと風邪ひいちまうよ……どこか空いてるホテルはねぇかなぁ、それも安いところが良いね、カプセルホテルでもなんでも良いからさ……おや? こんなところに……なになに?『ホテル観音裏』?……随分と古びたホテルだなぁ、一体いつ頃の建物なんだ? この令和の時代に平成を飛び越して昭和の匂いがプンプンしてらぁ、防火とか耐震とか大丈夫なのかね、〇適マークとかついてるのかな……でも、贅沢は言えねぇよな、入ってみよう……あれ? フロントに誰もいねぇや……ま、でもこんな寂れたホテルなら空き室もあるかも……すみませ~ん、誰かいますか~?」
「……はいはい、失礼しました、ホテル観音裏にようこそおいでくださいました、こんな寒い夜はお客様が少のうございまして、ついフロントを空けてしまいました」
「終電を逃しちまって泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」
「はい、沢山ございます」
「一泊おいくらですか?」
「一万円でございます」
「この建物にしちゃ随分とぼるね、でもなぁ、他に空き部屋があるホテルはなさそうだしな……寝間着はあります?」
「はい、お部屋に浴衣のご用意があります、もっともお使いになる方は少のうございますが」
「ん? どういうことだ?……歯ブラシとかは?」
「房楊枝が備え付けになっております」
「房楊枝? 江戸時代の歯ブラシですよね?」
「よくご存じで」
「落語が好きなもんで……でもそれって、レトロを通り越して民芸品レベルですよね?」
「当ホテルでは今でも現役でございます」
「良くそれを作る職人が残ってるなぁ……浅草だからかな……まあ、いいや、話のタネにもなるし……一泊お願いします」
「ありがとうございます、何号室になさいますか?」
「別にどこでもいいけど……」
「では、お気に召したところをお使いください」
「キーは?」
「必要ないと存じます」
「え? それってどういうこと?」
「入られればお分かりになるかと……」
「ふ~ん……」
「お荷物をお運びいたしましょうか?」
「いや、会社帰りに飲んだんでこのカバンだけですから大丈夫ですよ」
「では、そちらのエレベーターでお好きな階にお上がりください」
「エレベーターも古いや、今時タッチ式じゃない丸いボタンのエレベーターなんてあるんだな……わっ! なんだこれは? 廊下の両側に木の格子がはまった部屋が並んでる、元は牢屋か何かだったのかな……?」
「ようこそおいでくんなまし」
「お兄さん、おあがりよ」
「お兄さん、こっち、こっち」
「え~っ? それぞれの部屋にひとりづつ着物の女!?……吉原かここは?……あ、そうか……ホテル探してるうちに観音様の裏手まで来てたんだっけ……いやいや、それにしたって時代が違い過ぎるよ……」
「あら、お兄さん、様子が良いねぇ、迷ってないでお登楼りよ……それともあたしが相手じゃ嫌かい?」
「おっ……いい女だねぇ……ちょいと年増で、色っぽくて……ちょいと崩れてるような何とか踏みとどまってるような微妙な感じがツボだなぁ」
「だったら良いじゃないか、あがっておくれよぉ」
「そうだな……そうさせてもらおうか……なるほど、客が入ると襖を閉めることになってるのか……さっきの一万に玉代も入ってるのかな……まさかそんな安くないよな」
「お兄さん、何を一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
「いや……こんなん聞くのは無粋だけどさ、お姉さん一晩幾ら?」
「あら、帳場で払ったんじゃないのかい?」
「帳場? ああ、フロントか……ああ、払ったよ、一泊一万だって」
「だったらもうおあしのことは心配しなくていいんだよ、外から芸者でも呼ぼうってんなら別だけど」
「いや、酒はもういいんだ」
「あら、そうかい? あたしのお酌じゃ嫌かい?」
「いやいや、そうじゃないんだ、飲んで騒ぐのはもう充分ってだけで、姐さんとサシなら話は別だよ、姐さん、名前は?」
「おとき、そう呼んでおくれ……肴は大したものないけどさ」
「いや、乾き物でもありゃ充分だよ……ひょっとしてこれも宿代に入ってるのかい?」
「当たり前じゃないか」
「それで一万?」
「そうさぁ」
「安過ぎないか?」
「時の流れから取り残されたような宿だからねぇ……」
「いやいや、俺ぁこういうの好きだよ、シティホテルだ、デザイナーズホテルだなんて格好だけ付けたのは却って嫌いだね」
「あら、おまいさん、嬉しい事言ってくれるじゃないか、ついでに時の流れから取り残されたような女だけど……あたしを可愛がっておくれでないかい?」
「おときを一目見た時にビビっと電気が走ったくらいでさ」
「嬉しいねぇ……抱いとくれよ」
「お? そんなストレートに、大胆だなぁ」
「嫌だよこのひとは、肩に手を廻して抱き寄せておくれって言ってるんだよぉ」
「そ、そうだよな……ソープじゃないんだから最後まで行けるワケないよな……」
「最後まで行くのはもうちょっといい心持になってからね」
「アリなの!? 最後まで行っちゃって良いの!?」
「やだよ、こう言うところに来るのはそれがお目当てなんじゃないのかい?」
「まぁ、そりゃそう……いやいや、俺はただ終電逃しちまったから寝床を探してただけなんだけど」
「でもこの宿を見つけたんだろう?」
「ああ、まあ、そうだな」
「それなら良いんだよぉ、浮世の憂さなんかぱぁっと忘れてさぁ」
「そ、そうだよな」
「おまいさん、煙草は?」
「ああ、吸うよ」
「じゃぁ、あたしが付けたげるよ」
「は? 長キセル? 煙草盆も?」
「はい、おまいさん」
「あ、ああ、ありがとう……ぷはぁ……紙巻煙草と同じ葉っぱとは思えないな」
「お気に召したかい?」
「召した召した、変わった味だけどなんだかフワフワしてくるね」
「特別な葉っぱで出来た煙草だからねぇ」
「どっかから読経が聞こえないか? 声が小さくてよくわからないけど」
「観音様の裏手だからねぇ……それよりさ、電灯なんて無粋なものは消して行燈をともそうじゃないか」
「ああ、いいね、その方がずっといい」
「そうかい? 嬉しいねぇ……どうだい? 暗すぎるかい?」
「いや、このほの暗い感じが良いな」
「ねぇ、おまいさん、一杯やろうよ」
「ああ、いいね……なんだかピンク色してねぇか?」
「ロゼだよ」
「ああ、ワインだったのか、猪口に注がれたからてっきり日本酒かと思った……美味いな」
「あたしにも注いでおくれよ」
「ああ、こいつは気が付かなかった、この盃でいいかい?」
「あんたが口を付けた盃が良いんだよ……ここから飲んだのかい?」
「ああ」
「じゃあ、あたしも……はい、ご返杯」
「お、おう……うっすら紅が付いてて色っぽいや」
「ふふふ……そうだろう?」
「……はいはい、失礼しました、ホテル観音裏にようこそおいでくださいました、こんな寒い夜はお客様が少のうございまして、ついフロントを空けてしまいました」
「終電を逃しちまって泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」
「はい、沢山ございます」
「一泊おいくらですか?」
「一万円でございます」
「この建物にしちゃ随分とぼるね、でもなぁ、他に空き部屋があるホテルはなさそうだしな……寝間着はあります?」
「はい、お部屋に浴衣のご用意があります、もっともお使いになる方は少のうございますが」
「ん? どういうことだ?……歯ブラシとかは?」
「房楊枝が備え付けになっております」
「房楊枝? 江戸時代の歯ブラシですよね?」
「よくご存じで」
「落語が好きなもんで……でもそれって、レトロを通り越して民芸品レベルですよね?」
「当ホテルでは今でも現役でございます」
「良くそれを作る職人が残ってるなぁ……浅草だからかな……まあ、いいや、話のタネにもなるし……一泊お願いします」
「ありがとうございます、何号室になさいますか?」
「別にどこでもいいけど……」
「では、お気に召したところをお使いください」
「キーは?」
「必要ないと存じます」
「え? それってどういうこと?」
「入られればお分かりになるかと……」
「ふ~ん……」
「お荷物をお運びいたしましょうか?」
「いや、会社帰りに飲んだんでこのカバンだけですから大丈夫ですよ」
「では、そちらのエレベーターでお好きな階にお上がりください」
「エレベーターも古いや、今時タッチ式じゃない丸いボタンのエレベーターなんてあるんだな……わっ! なんだこれは? 廊下の両側に木の格子がはまった部屋が並んでる、元は牢屋か何かだったのかな……?」
「ようこそおいでくんなまし」
「お兄さん、おあがりよ」
「お兄さん、こっち、こっち」
「え~っ? それぞれの部屋にひとりづつ着物の女!?……吉原かここは?……あ、そうか……ホテル探してるうちに観音様の裏手まで来てたんだっけ……いやいや、それにしたって時代が違い過ぎるよ……」
「あら、お兄さん、様子が良いねぇ、迷ってないでお登楼りよ……それともあたしが相手じゃ嫌かい?」
「おっ……いい女だねぇ……ちょいと年増で、色っぽくて……ちょいと崩れてるような何とか踏みとどまってるような微妙な感じがツボだなぁ」
「だったら良いじゃないか、あがっておくれよぉ」
「そうだな……そうさせてもらおうか……なるほど、客が入ると襖を閉めることになってるのか……さっきの一万に玉代も入ってるのかな……まさかそんな安くないよな」
「お兄さん、何を一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
「いや……こんなん聞くのは無粋だけどさ、お姉さん一晩幾ら?」
「あら、帳場で払ったんじゃないのかい?」
「帳場? ああ、フロントか……ああ、払ったよ、一泊一万だって」
「だったらもうおあしのことは心配しなくていいんだよ、外から芸者でも呼ぼうってんなら別だけど」
「いや、酒はもういいんだ」
「あら、そうかい? あたしのお酌じゃ嫌かい?」
「いやいや、そうじゃないんだ、飲んで騒ぐのはもう充分ってだけで、姐さんとサシなら話は別だよ、姐さん、名前は?」
「おとき、そう呼んでおくれ……肴は大したものないけどさ」
「いや、乾き物でもありゃ充分だよ……ひょっとしてこれも宿代に入ってるのかい?」
「当たり前じゃないか」
「それで一万?」
「そうさぁ」
「安過ぎないか?」
「時の流れから取り残されたような宿だからねぇ……」
「いやいや、俺ぁこういうの好きだよ、シティホテルだ、デザイナーズホテルだなんて格好だけ付けたのは却って嫌いだね」
「あら、おまいさん、嬉しい事言ってくれるじゃないか、ついでに時の流れから取り残されたような女だけど……あたしを可愛がっておくれでないかい?」
「おときを一目見た時にビビっと電気が走ったくらいでさ」
「嬉しいねぇ……抱いとくれよ」
「お? そんなストレートに、大胆だなぁ」
「嫌だよこのひとは、肩に手を廻して抱き寄せておくれって言ってるんだよぉ」
「そ、そうだよな……ソープじゃないんだから最後まで行けるワケないよな……」
「最後まで行くのはもうちょっといい心持になってからね」
「アリなの!? 最後まで行っちゃって良いの!?」
「やだよ、こう言うところに来るのはそれがお目当てなんじゃないのかい?」
「まぁ、そりゃそう……いやいや、俺はただ終電逃しちまったから寝床を探してただけなんだけど」
「でもこの宿を見つけたんだろう?」
「ああ、まあ、そうだな」
「それなら良いんだよぉ、浮世の憂さなんかぱぁっと忘れてさぁ」
「そ、そうだよな」
「おまいさん、煙草は?」
「ああ、吸うよ」
「じゃぁ、あたしが付けたげるよ」
「は? 長キセル? 煙草盆も?」
「はい、おまいさん」
「あ、ああ、ありがとう……ぷはぁ……紙巻煙草と同じ葉っぱとは思えないな」
「お気に召したかい?」
「召した召した、変わった味だけどなんだかフワフワしてくるね」
「特別な葉っぱで出来た煙草だからねぇ」
「どっかから読経が聞こえないか? 声が小さくてよくわからないけど」
「観音様の裏手だからねぇ……それよりさ、電灯なんて無粋なものは消して行燈をともそうじゃないか」
「ああ、いいね、その方がずっといい」
「そうかい? 嬉しいねぇ……どうだい? 暗すぎるかい?」
「いや、このほの暗い感じが良いな」
「ねぇ、おまいさん、一杯やろうよ」
「ああ、いいね……なんだかピンク色してねぇか?」
「ロゼだよ」
「ああ、ワインだったのか、猪口に注がれたからてっきり日本酒かと思った……美味いな」
「あたしにも注いでおくれよ」
「ああ、こいつは気が付かなかった、この盃でいいかい?」
「あんたが口を付けた盃が良いんだよ……ここから飲んだのかい?」
「ああ」
「じゃあ、あたしも……はい、ご返杯」
「お、おう……うっすら紅が付いてて色っぽいや」
「ふふふ……そうだろう?」
作品名:新作落語 怪談・ホテル観音裏 作家名:ST