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十年後

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 ハンドルを回すと、扉が外に倒れるように開き、そのまま階段になる。
「二時間ほどで戻ると思います」
 振り向いて声をかけたが、彼はさっさと行けというように手を振っただけだった。
 階段を下りながら空を見上げると、相変わらず重い灰色の雲がかなりの速さで流れているが、もう雨は降っていなかった。湿った潮風が顔をなでていく。
 ようやく硬い地面に足をつき、扉を閉めようと振り向くと、エンジンがかかりプロペラが回転を始めた。回転に合わせて扉が引き上げられ、すぐに機体の一部になる。
 私が建物を振り向くと、枯葉色のスーツを着た中年の男性が微笑みながら近づいてきた。私よりも頭一つ背が高く、手足がひょろりと細長い。
「ようこそ。まさか、この天気で今日来られる方がいるとは思いませんでした」
「私も同感です。よろしくお願いします、ミスター・マンソン」
 マンソン氏は私の差し出した手を握り、笑みを深くした。左手で金の丸メガネを押し上げ、続いて禿げあがった頭をなで上げる。
「さあ、さっそくご案内しましょう」
 彼はそう言いながら私に背を向けて歩き出した。
 ガラスの分厚いドアを引き開け、ホテルのドアマンがやるような仕草で私を促した。
 意外なことに、建物に刑務所らしさはどこにもなかった。幾何学模様を作る床のタイルはきれいに磨かれ、観葉植物が置かれている。ビジネス街にあるオフィスのロビーとほとんど変わらなかった。
 左右の壁にそれぞれ扉があり、隣の棟へ続いているらしい。
「まずは、この施設の概要を簡単にお話しましょう。こちらへどうぞ」
 マンソン氏は建物の内部を観察する私を愉快そうに眺め、私の先に立って歩き始めた。
「凶悪犯ばかりを集めた施設とは思えないでしょう?」
「ええ。見た目は通常の企業と変わりませんし、脱獄を防止する警報装置も見えませんね」
「詳しくは、上でお話しますよ」
 彼は奥に一基だけあるエレベーターに乗り込み、三つしかないボタンの一番上を押した。
「それにしても、よく今日来ることができましたね。誰も来ないようであれば、また別日に行おうと考えていましたが――」
 私を振り向いて笑いながら、彼は再度頭をなで上げる。
「――あなたが来られた以上はその熱意を買って、独占取材ということにしましょう」
「ありがとうございます。嵐の中を来た甲斐がありました」
「帰りも気をつけてください」
 彼はそういって笑いながら開いたエレベーターの扉を手で押さえ、私に先を促した。
 エレベーターを降るとそこは既に部屋の中だった。革張りのソファとガラス製の低いテーブルが置かれており、奥には大きな木製の執務机に同じ色合いの本棚が置かれている。壁一面は本棚になっており、押しつぶされそうな量の分厚い専門書が並んでいる。
「さあ、おかけになってください」
 ソファに腰掛けると体が柔らかく沈み込む。スプリングの軋みもなく、本皮を使用している非常に高価なものだということが、容易に想像できる。
 改めて見回すまでもなく、この部屋の中には高価な調度品が多い。机の上の時計、灰皿、壁の風景画、どれも一目で高価と分かるものばかりで、刑務所という言葉に全くそぐわない。
「驚いておられるようですね。刑務所の中とは思えませんか?」
 マンソン氏は長い手足を折りたたむようにソファで足を組んだ。
「ええ、鍵もかかっていませんし……どのように囚人たちを管理しておられるのですか?」
「その点については、これから詳しくお話しますよ。では、改めてご挨拶しましょう」
 彼は空中にある何かを私の方へ滑らせるように手を動かした。視界の中央にウイルスチェックをされた名刺データが表示される。
「チャールズ・マンソン。生体内微細機械工学と、それによる感情抑制について研究しています。簡単に言えば、ナノマシンと、脳内でどのように思考と感情のバランスがとられるか、ですね」
「シンジ・イシバシです。フリーのジャーナリストをしています」
 私は懐の金属の名刺入れから、紙の名刺を紙の名刺を一枚取り出し、軽く腰を浮かせて差し出す。マンソン氏は私の名刺を受け取り、興味深げに角度を変えて眺めてから、テーブルの上に置いた。
「紙の名刺とは古風ですね。子どものころに父のものを見て以来でしょう」
「ええ、現在は廃れていますが、私は手触りが好きなもので」
「そうですか。まさに、私の研究分野に関わる部分ですね。合理性よりも個人の嗜好が優先されているとは」
 彼の浮かべる微笑に、私はふと違和感を覚えた。
「どうかなさいましたか、ミスター・マンソン?」
「私が、ですか? なにもありませんよ。なにか、気になることがありましたか?」
 何もない。彼におかしなところは感じられない。
「いえ……何かをおっしゃろうとしていたように見えましたので」
 取り繕った私の言葉に、彼はまた柔らかく微笑んだ。
「そうでしたか。実は、『イシバシ』、というのは我々には発音が難しいのです。ですから、ミスター・バシ、と呼んでもよろしいか、と聞こうと思いましてね。よろしいですか?」
「はい、もちろんです。ではミスター・マンソン、早速取材を始めたいと思いますが、音声を録音してもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
 私が小型の録音機とメモ帳を取り出すと、彼は目を丸くして再度自分の頭をなで上げた。
「これもすっかり見かけなくなりましたね。なんとも懐かしい」

――では、ミスター・マンソン。改めてあなたの行っている研究について教えてください。
 先ほども言ったとおり、ナノマシン技術の応用と、ナノマシンを用いた感情の抑制について研究しています。
 元々は、脳内でどのように物事の優先順位が決定されるか、研究していました。どちらかといえばナノマシンを利用した治療が専門です。分かりやすい例では、パニック障害の患者に対するものが挙げられます。パニック障害の患者がパニックを起こした際、脳の一部を刺激し、鎮静作用のある脳内物質を放散させ、過剰な化学物質の分泌を阻害する。これにより、パニック状態からいち早く平常の状態へ戻すことが可能です。
――その方法を囚人たちにも応用しているのですか?
 いいえ。この方法にはいろいろと問題があります。最も大きな課題は、現在のナノマシンでは感情抑制の制御が十分に行えないことでした。
 マウスでの実験では、恐怖を示した数秒から一分程度で完全な無気力状態に陥るか、眠るかしてしまいました。
 そのため、直接感情を抑制するのではなく、別の脳の領域を活性化し、間接的に感情を抑制する研究へ移行しました。
 そこで注目したのが長期受刑者です。彼らの中には容易に感情を爆発させる受刑者が多くいます。この際、彼らの行動はすべて感情が優先されます。これは、感情によって他の判断能力が抑制されているといえます。調査の結果、彼らが興奮状態にある時、脳のある一定領域だけが異常に活性化し、ほかの部分は活動を低下させていました。特に、以前から行動の抑制を行うことが知られていた、前頭前野が急激に活動を低下させることが分かりました。そこから、前頭前野を活性化すれば、爆発した感情を理性で抑え込むことができるのではないかと仮説を立てたのです。
作品名:十年後 作家名:渡り烏