妄想恋愛
「文太郎は私の幼馴染で、私がハンセン病になっても優しくしてくれた。きっといいお医者さんになるんだろうなって思う。」
京子の優しい笑顔を尻目に私の心には少し和らいだと思っていた罪悪感がまた現れた。
―やっぱり君は努力しない俺を好いてはくれない、条件付きの好きなのだよ。
そう私に言った時のあの悲しい文太郎の顔が私の脳裏をよぎる。文太郎の一番の味方になれなかった私は彼にとって何だったのだろうか。夢を諦めるまで追い込まれていた彼に気づかず、私の心は彼の隣に本当に居たのだろうか。
「私は手の神経がやられていて農作業だってろくにできない。生きていてもしょうがないわ。」
切ない笑みを浮かべ京子は声を潜めた。
きっとこの汽車には京子と同じ状況の人がいるだろう。私たちの会話を聞いて悲しい雰囲気が流れ始める。その空気感は仲間意識を高めお互いの傷をいやしあえる気がした。けれど私は悲しみを共有しあうような、その空気感が好きではなかった。確かに私は彼女ほどの差別は受けてこず、彼女の苦しみを理解できるのかと問われれば答えはノーである。けれど私は肩輪物として頭を垂れ、悲しい顔をして生きていくのは嫌だった。
「しょうがないかどうかは自分次第だわ。」
私はこの空気感を変えようと少し大きい声で言った。そして京子の曲がった指を握った。私の行動に京子は少し驚き身体をびくつかせた。きっと今まで身体を触れられたことがないのであろう。
「ハンセン病だって健常だって、自分の人生を謳歌できるかどうかは自分次第だと思う。京子ちゃんっていう存在がある限り可能性は無限大よ。諦めなければ京子ちゃんの生きる理由や価値は見いだせるの。例え指が曲がっていたって京子ちゃんには足がある。何かないなら何かで補えばいい。」
私のその言葉を京子は静かに聞いていた。
「こんなこと私が言うなんて、ふさわしくないかもしれないけど・・・。」
私の言葉を聞いた人たちはみんな同じく暗い顔をしていた。あなたに私の気持ちは分からないでしょう?そんな風な顔をしていた。
私は少しばつが悪い思いで口を閉じた。失敗だったかなと私は少し自分を振り返ったが、言ってしまったことは訂正できない。京子の次の言葉をただ黙って待ち続けた。
けれど私の罪悪感を吹っ飛ばすように、ふふと京子は声を出した。
その笑顔でわたしは京子を傷つけてしまっていないことを知って少し安堵した。
「ここでそんなこと言うなんて、文太郎が惚れるだけあるわね。」
京子はそう言って私の頭に手を伸ばす。そして手のひらで私の頭を撫でた。
「愛された人間って本当に強いわ。眩しくて涙が出そう。」
京子の言葉から嫌みは感じられない。むしろ自分の受けたかった優しさを私に向けている様だった。彼女はきっと両親からも足蹴にされていたのだろう。
私は自分の頭の上にある京子の手をそっと握った。そして彼女の過去を想像し彼女を労わる眼差しを向けた。すると京子はぽろぽろと涙を流し始めた。
私は京子をそっと抱きしめた。そうでもしないと目の前の純粋な少女は、悲しみで一瞬にして蒸発し消えてしまいそうだった。
京子の背中が小刻みに震えだす。京子にもらい泣きした数名の声が胸に染みた。もしかしたら、同じハンセン病同士寄り添って生きていく生き方の方が幸せかもしれない。私は京子の背中をさすりながらそう思った。
何故こんなにも私たちは辛い思いをしなければいけないのだろうか。ハンセン病だから、お国のお荷物だから?
生きたい、そんな理由だけではこの世界では生存することが許されないのだろうか。誰かのために、もしくはお国のために自由を虐げられなければならないなんて、人間界とはなんて生きづらい世の中なのだろう。犠牲や苦労を美徳とするこの国に明るい未来なんてあるのだろうか。
「大丈夫。」
私はだいぶ落ち着いた背中に声をかけた。ゆっくりと京子の顔が私の胸元から離れて上がる。
「私がいるよ、一人じゃないよ。」
私は京子の濡れた頬をシーツで拭った。私以外にも多くの人が京子へ笑顔を向ける。
「ありがとう・・・。」
京子は少し恥ずかしそうに俯いた。
ほっとしたのか私は一つあくびをした。
「少し寝よっか。」
京子の言葉に波のように押し寄せる睡魔の中で私は頷きそのまま夢の世界へと入っていった
目が覚めると未だ汽車の中だった。ゆっくりと身体を起こしあたりを見渡すと見張り役さえ皆寝ていた。けれど逃げ出そうなんて考えは浮かばなかった。この汽車に乗ってから、私は行くべき場所に行くような気がしてならなかったからだ。
一つ気がかりなのはやはり文太郎の事だった。生きているだろうか?もしかしたら今頃家に文太郎からの手紙が届いているかもしれない。彼に私の所在を伝えることはできるのだろうか?多くの疑問がふつふつと湧いて、けれど答えを知る手段はただ時が経つのを待つのみだった。
汽車の扉の隙間からわずかな光が漏れている。どうやら今は朝らしい。段々と起きてくる人も増えた。
「おはよう」
そう言って京子も体を起こす。
「おはよう」
私は京子に笑顔で返した。
「まだ着かないのかしら。」
京子は小声で見張り役を見ながら言った。未だに見張り役は起きず私と京子は苦笑した。
その時汽車が大きく動き見張り役はやっと目を覚ました。
私たちの視線に気づきすました顔をして運転室の方へ向かう見張り役の様子は滑稽だった。
「あとどれくらいかかるのかな・・・。」
京子は自分のおなかを見た。
「なんにもしてないのにお腹だけは正常に働く。ご飯だけ食べて仕事はできなんていい身分よね。」
そう言って京子は自分のおなかを撫でた。
「生きているだもん、そりゃ腹は減るよ。」
私はそう言って自分のおなかを押さえた。
「穀潰しってよく言われたわ。」
京子はどこか遠くを見つめながら言った。
「誰に?」
「母さんと父さん。」
京子は自分の指に目を落とした。指はピクリとも動かない。
「じゃあ殺せばいいのにって私は言ったわ。」
京子は懐かしそうに目を細めた。その目には若いのにも関わらず人生の疲労が現れている様だった。
「そしたらそんなことできるわけがないだろって頬っぺた叩かれたわ。」
京子は右の頬を触った。
「もしかしたら私の記憶の中で親に触れられたのってその時だけかもしれない。」
痛かったなあと頬をさする京子はどこか嬉しそうだった。
私は、さっき京子が言った穀潰しという言葉が胸に突っかかっていた。確かに真っ向から否定はできない。働けず食物ばかりを消費する、ただその文章だけでは穀潰しと言われてしまうかもしれない。以前私も文太郎に出会う前は自分のことを穀潰しだと思っていた。しかし私は今京子を穀潰しとは思えなかった。それは友情と言う彼女への愛着がそうさせているかもしれないが、ただそれだけではない気がした。
「本当に穀潰しだと思うの?」
私は京子に聞いた。想定外の私の問いにえっ、と京子は声を出した。
「働けずにただ生きている人間が穀潰しだと思う?」
私の質問には邪心はなかった。ただ自分の胸の突っかかりをとりたいだけだった。
「結子ちゃんって変な子ね。普通自分のことを穀潰しだって言っている人にその質問する?」
信じられないわ、と京子は笑いながら言った。