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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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14. 白い港町


 明るさと頬をなぶる風で、暖野は目を覚ました。
 夢は見たが、どうでもいいようなものだった。まあ、それが普通なのだろうが、今朝の夢は本当に他愛のないもので、それが爽快感をもたらしていた。
「あ、起きましたか」
 マルカが言う。
「おはよう」
 身を起こして、暖野は言った。
「昨夜はすごかったですね」
「ええ。本当に」
 あのような体験など、今後起こりそうもない。多分一生に一度、下手をすれば宝くじで一等前後賞が当たるよりも稀な事かも知れない。
 花咲き乱れる草原で目覚めるというのも、気持ちのいいものだ。
 思い切り伸びをする。
 谷にはまだ陽は射していない。そんなに遅くもないが、さりとて早朝でもないのは間もなくここにも陽光が降り注ぎそうな感じで分かった。
「顔、洗って来るね」
 暖野は言って、川に向かう。
 冷たい水を両手ですくい、顔を洗う。
 その瞬間、崖上から差した朝陽が水滴を光に変えた。
「ひゃっ!」
 思わず声を上げる。
 誰だって、いきなり眼前で光が炸裂すれば驚くだろう。
 滝の方へ眼をやり、もう一度水をすくう。今度はゆっくりと顔を洗った。
 髪を湿らせ軽く整えながら、鏡を忘れたのに気づく。それはリュックに入ったままだ。
 戻った暖野に、マルカがお茶のカップを差し出してくれた。
「今日こそは、町に辿り着きたいわね」
 ジャムを塗ったパンを齧りながら、暖野は言う。
「ええ。沙里葉からここまで人の住んでいる気配は全くありませんでしたからね」
「もう1週間よね」
 暖野は確認する。すでに百キロ以上は移動しているはず。初めの何日かはトロッコがあったため、もっと長距離を来ているはずだった。
 どんな辺境なのよ――
 暖野は思う。
 次に町を見つけたら、絶対居座ってやるんだから――

 果たして、その町はそれから2日後に見つかることになる。
 崖、谷、トンネル、そして橋……
 どこまで行っても同じ。
 出口の見えないトンネルを、二人は歩いていた。カーブしているせいで、先は見えない。もう何周もしているのではと思えるほどに、トンネルは左に曲がり続けている。だが、歩みを止めることはできない。とにかく外に出ないことには、暗闇の中では息が詰まる。
「見て、出口よ!」
 明かりが見えた時、暖野は声を上げた。
「今回のは、随分と長かったですね」
「ホントに」
 歩調を速める。
 眩しい光の下に出た時、暖野は目を瞠った。
「町!」
 トンネルを出た所は、いきなり町だった。線路は高架となって今度は右カーブを描いて下って行く。
 上下左右に建物がある。まるで地上に出た地下鉄のような印象だった。
 これまでずっと無人の山野ばかりだったため、安堵よりも驚愕の方が大きかった。
 見たところ平地は少なく、斜面に造られた町のようだ。線路は市街地を下ると湖岸に沿っている。
 食糧は今日までの分しかなかった。カップ麺にはまだ手をつけていなかったが、それは本当の非常時のために取っておきたかった。食べたいのは、もちろんやまやまだ。
 ちょうど高い位置にいることもあり、町を観察する。
 雰囲気としては、ギリシャかどこかの港町のようだった。見える範囲に駅はない。先の方に岬が見えるが、その向こうが中心街なのだろうか。これほどの規模の町に駅がないとは、到底考えられない。何せ、無人の原野にすら駅があったのだから。
 まずは駅を見つけること。それから今日の宿を。
 二人は線路を下って行った。
 街路と同じ高さになった所で、そちらへ移る。わざわざ歩きにくい線路上を歩く必要はない。歩道付きの石畳の道が、線路に沿っている。
「やっぱり、誰もいないのかな」
 暖野は言った。
 この先の街路にも人影の一つもない。人の町にはつきものの野良犬や猫もいない。線路の向こうには穏やかな湖面が広がるばかりだった。
 遠いと思えた岬も目前に迫っていた。陸の方を見上げると、高台に灯台がある。今のところ港はないが、きっとあるはずと暖野は確信していた。
 港町独特の磯の匂いなど微塵もないし、海産物屋のようなものも見当たらないが、港町とみて間違いないはずだった。
 岬を回り込む。
 相変わらず斜面に造られた市街というのは同じだが、こちらはかなり緩やかな地形だった。町も思っていたよりも大きい。広い湾に沿って線路が伸び、駅も見えた。その近くには港もある。
 クエストのないロールプレイイングゲームに入り込んでいるような気がしていた彼女には、この上もなく嬉しい展開だった。
 湖岸の駅は、行き違い出来る線路の他に、貨物用と思われる側線が幾つかある。港へ続いていることから見て、船から貨物列車への積み替えなどが行われていたのだろう。
 駅舎の三角屋根には時計が嵌め込まれている。大きいことは確かだが、どこか鄙びた地方都市の駅のようだった。
 駅舎内に入ってみる。せっかく町を見つけたのだから、色々見て回りたくなるのも当然だろう。
 段差のない広い入口を入る。
 駅舎内は沙里葉のような重厚さも壮麗さもなく、ただ広いだけだった。改札上に壁画はあるが、観光誘致の看板のようにも見える。少し遠すぎないかと思われるほどの右手に待合室があった。そこが待合室だと分かったのは、ベンチが何列にも並べられていたからだ。
 左手には切符売り場らしい窓口。係員はもちろんいない。
 その上には、沙里葉の駅にもあったような路線図が掲げられている。
 暖野はそれを注意して見た。
 大きく書かれているのはこの駅で、右手に伸びている線が沙里葉へのルートだろうと見当をつけた。沙里葉と思しき場所とここまでの間に幾つもの駅があるようだ。これまでの行程で、それほど多くの駅はなかったはずだった。そのほとんどを線路上を移動してきたのだから、それだけは確信が持てる。
 だが、そんなことはもうどうでもいい。問題はその先。
 一見して、沙里葉までより長いのが判る。そうでないのなら、よほど駅同士の間が短いかだ。
 地図があるからと言ってそこに町があるとは限らない。それどころか駅もないかも知れない。目的地がどこであれ、この路線の終点が沙里葉よりも遠くにありそうだということだけは分かった。
 無人の改札口の抜けると、広い構内が見渡せた。広いと言っても、3番線までしかない。ただホームが長いだけだ。跨線橋などなく、線路を直接渡る通路がある。2番線に列車が停まっている時、それには乗れない構造だ。まさか、地面から直接乗ったりしたわけではないだろうが、不便な構造だった。もっとも、それほど本数が多くはなかったのかも知れないが。
 1番線に面した駅舎側には、どことなく見慣れたものがある。
 これは――
 時々、呆れてしまうようなものが現れるのは、これは暖野のせいなのかどうか。
 【そば・うどん】
 出しっ放しの暖簾には、確かにそう書いてある。
 異世界に来て色々言われて覚悟を決めようとしても、時折現れる情けないほどにありふれたものが全部台無しにしてくれる。
 せめてホットドッグ・ハンバーガーにしてよ、などと思っている暖野も暖野なのだが。
 でも――
 開いてたら、食べたかったな……
 暖野は無類の麺好きなのだ。