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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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3. フーマ・カクラ


 午後最初の授業は自習だった。
「この学校って、自習が多いの?」
 暖野は訊く。
「そうね、二割方は自習ね。実習はそうじゃないけど」
 リーウが答える。
 この時間は、本来は統合科学史の授業だった。歴史の授業などどこでも退屈なのは同じで、一部を除いては真面目に自習している者はいない。中には堂々とサボっているのもいて、空席が目立つ。
 それでも級長のアルティアは何も言わない。歴史など実習や実技で役に立つものでもないし、命に係わるわけでもない。他の教科の自習時間では、アルティアは結構厳しいとリーウは言った。
「特に操作倫理とか心的エネルギー論だと、先生より厳しいかも」
「ふうん」
「でもこの時間の自習は休み時間と一緒だし、寝ててもいいのよ」
「それはまた、極端ね」
 暖野は笑った。
 でも、寝たらまた戻ってしまうのよね――
 リーウが伸びをする。
「私、寝ちゃおうかな」
「自己責任ね。テストで赤点とる覚悟なら」
 暖野は笑って言う。
「テスト? そんなのないよ」
「え? 嘘でしょ」
「実習以外で、ここじゃテストなんてないよ」
「じゃあ、何で勉強してるの?」
 暖野は驚いて言った。
「そんなの、必要だからに決まってるじゃん」
 言っていることは分かる。しかしテストのない学校など想像もできない。
「実習にはテストあるの?」
「あるよ。テストって言うか、技能ポイントかな。ほら、さっきの授業みたいに」
 そうか、ここではあくまでも実技レベルでの評価がされるんだ、と暖野は思った。
 でも――
 評価とも違うと感じる。
 評定? 判定――?
 上手く言えないが、魔術には人それぞれの特性があって一概に同じ基準で評価できないからだろう、と暖野は思った。
「で、リーウ」
 暖野は言う。「ホントに寝るの?」
「寝る」
 潔いほど、はっきりとした返答。
「ひとつ訊いていい?」
「うん?」
「ここの図書館って、どこにあるの?」
 教室を抜け出していいのなら、図書館を覗いてみたいと思ったのだ。
「そういうことなら、アルティに訊けばいいわ。喜んで教えてくれるわよ」
「リーウが案内してくれないの?」
「眠いから。放課後ならいいよ」
「もう、薄情者。私の方が神経すり減らしたのに」
 リーウは睡眠体制に入ってしまった。
 仕方ない。こうなったらアルティアに訊くしかない。
 教室を抜け出すことについて何か咎められるかと思ったが、意外とすんなりとアルティアは教えてくれた。
 以前、転入届を出した学寮部の上が図書館らしい。暖野は教室を出て、無人の廊下を図書館に向かった。
 三階の突き当り、図書館と書かれた部屋の扉を開ける。授業中ということもあって、生徒の姿はない。大きな窓からは午後の陽射しが差し込んでいて明るい。テーブルと椅子が整然と並べられ、奥に書架が幾つも並んでいる。
 懐かしい匂いがする。埃っぽいような黴臭いような図書館独特の匂い。暖野の好きな臭いだ。
 司書席には誰もいない。鍵がかかっていなかったのだから、自由閲覧で問題ないのだろう。
 暖野は奥の書架へと向かった。ここの蔵書に興味があった。沙里葉で入手した魔術書がありふれたものだったので、もう少し希少な本があればという思いもあった。ただ、どれがどう希少なのか判断のしようもないのだが。
 書架にはジャンルと整理番号らしきものが振られている。
 暖野は【物語】と書かれた書架を見てみることにした。この世界のお話がどういうものか知りたい。
 “かぎろいの森”“永久(とこしえ)に愛を”“若草物語”
「え?」
 暖野は立ち止まった。その、若草物語と書かれた本を手に取る。それは、確かに彼女の知っている若草物語だった。
 見ると、他にも知ったタイトルの本がある。赤毛のアン、車輪の下、レ・ミゼラブル……
 レ・ミゼラブルを見て、暖野は松丘千鶴を思い出す。
 案ずるには及ばない。暖野が戻っても、劇の話は進んでいないはず。それどころか時間すらも。
 本を戻す。お話の本の蔵書は、概ね彼女の知っているものが多いようだ。
 適当に見ているうちに別のコーナーに入っていた。
 “赤の書――C.G.ユング”
 ひと際目立つ真っ赤な本に目が止まる。
 確かこれは、ユングの幻の著作だったはず――
 暖野は大判のそれを引き出した。数ページを見て、読んでみようと思った。
 読書スペースに行き、本を置く。そして部屋の隅にある洗面台で手をきれいに洗った。
 外ではしないが、家や図書館では本を読む前には必ず手を洗う。これも暖野の癖の一つだった。
 改めて席に着くと、ゆっくりと本を開いた。
 最初の方は図版が幾ページにもわたって掲載されている。どれも不思議な絵だ。意味はよく分からないものの、惹き込まれるものがある。
 少し息をついて、暖野は本文に移った。
 前書きに記されているように、それはユングが夢の世界――無意識の領域を旅した記録のようだった。学術書というよりは物語のようで、暖野はそれにのめり込んで行く。
 誰もいないはずの図書館で人の気配を感じ、暖野は顔を上げた。
 フーマ・カクラだった。
 いつの間にか、暖野の斜め向かいの席に座っている。
「珍しいのを読んでるな」
「あ……」
 さっきの出来事もあり、暖野はどう反応してよいものやら困惑してしまう。
「ユングの赤の書か。タカナシはユングが好きなのか?」
 暖野は黙ったままゆっくりと頷いた。
「そうか。俺も好きだ」
 って、え――?
 意味は違うと分かっていても、顔が火照る。
「ユングは魔術と古典科学を結び付けた最大の功績者だからな」
「……うん」
「さっきは、悪かった」
 カクラが謝る。
「うん……。でも、もう大丈夫」
「ちょっと、話をしてもいいか?」
 暖野は我知らず身構える。
 まさか――
「タカナシも転移者だろう?」
「……ええ」
「俺もだ」
「うん、知ってる」
「だろうな。お前は、俺の思い違いでなければ同じ世界から転移してきたんじゃないか?」
「同じ世界って? 私が元いた世界のことを知ってるの?」
「22世紀」
 カクラが言う。「俺は22世紀の地球から来た」
「地球……」
「そうだ。お前も、そうなんじゃないのか?」
「私は……」
 暖野はカクラの表明に驚きながら言った。「21世紀の地球、日本という国から来たの」
「やっぱりな。名前がそうだから」
「カクラ君、日本を知ってるの?」
「知ってる。だが、知っているだけだ。俺の時代にはもうない」
「ないって……」
「未来を教えるのは禁忌だが、未来はいくらでも変えられるからな。俺のいた世界では滅びていても、お前の時空でもそうなるとは限らない」
「あなたは……」
「俺の本当の名は、フーマ・アイシンカクラ」
「それって――」
「この名を知っているのは、学院長と、お前だけだ」
「どうして、それを私に?」
「どうしてだろう。俺にも分からない」
 フーマが言う。「でも、お前には打ち明けてもいいと思った。それだけだ」
 これって、遠回しな告白? リーウが言ってたことって、本当だったの――?
「名前を告げるって、そんなに大事なの? それに、隠さないといけない理由も分からない」