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大地は雨をうけとめる 第5章 幽霊屋敷

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 正午の鐘が重く響いた。
 遅い。
 舞の稽古はとっくに終わっていた。輿担ぎたちも迎えに来ている。侍従だけがまだ姿を見せない。
 何かあったんじゃないか?
 何か……武術指南院《アデール》で馬に蹴られたとか、何か悪いものを食べて腹痛を起こしたとか、それとも、街でごろつきに因縁をつけられて怪我でもしているとか……。
 自分の想像力のなさにため息が出た。
 別に侍従を待たずに帰っても問題はない。迎えに来ないアニサードが職務怠慢とみなされるだけだ。主人に侍従を待つ義務はない。
 同じ控えの間にはもう一人、侍従を待つ者がいた。パルシェム・ヌスティだ。小馬と馬丁は半時以上も前から外で待っている。
「どうしたんだろう、へゼナードは……」
 彼はさっきから同じことをつぶやきながら、玄関の方を気にしている。
「わがままな主人に愛想つかしたんじゃないのか」
 ルシャデールは退屈しのぎにからかう。だが、パルシェムはちらりと彼女の方を見ただけだった。
 おや? と、彼女は目を止める。以前から侍従にべったりの奴だと思ったが、もしかしたら、単なる心配性ではないかもしれない。何かを感じているのだろうか。そういえば、いつぞやの幻視もわからないままだ。
「おまえの家は遠視《とおみ》でならしているんだろ。侍従がどこにいるかぐらい、わかりそうなもんじゃないか」
「うるさい、ガマガエル。おまえだって、ユフェレンだろ。イスファハンの居場所がどうしているか、わかるはずだ」
 ルシャデールは北の方角を親指で指差した。あまり品のいいしぐさではない。
「方角だけしかわからないんだ、私は。モルメージを持ってきてやろうか? ユフェリにつながりやすくなるだろ」
 でも、こいつがユフェリにつながる前に、私が先に向こうへ行ってしまいそうだ。
「そんな都合よく視《み》えるもんか」
 パルシェムはむくれて、ぷいとそっぽを向く。
 ふと、ルシャデールは思いついた。
 私がこいつにユフェリの『気』を入れてやったらどうなんだ?
 思いつくとすぐ、彼女は実行してみる。
「何をするんだ!」
 突然額に手のひらをかざされ、パルシェムは避けようとした。
「動くな! 今、ユフェリの気を入れてやる。そうしたらよく視えるかもしれない」
 パルシェムは動くのをやめて、ルシャデールを見る。瞳が不安に揺れたが、一瞬のちにそれは消えて、彼は流入する『気』を受け入れた。目の焦点がしだいに合わなくなり、体の緊張が解けていく。眠りかかったように目は半ば閉じられて……。
「うわあ!!」叫びとともに目を見開いた。
「何か視えた?」
 パルシェムの額には脂汗がにじんでいた。
「暗い……部屋の中だった。廃墟のような荒れた部屋が視えた。床にへゼナードと」彼はルシャデールを見上げた。「イスファハンが倒れていた」
 倒れていた。自分の言葉にショックを受けたのか、彼は青ざめた。
「もしかしたら……死んでいるのかもしれない!」
「まだわからない」ルシャデールは平静だった。「もう一度、視てごらん」
 先ほどと同じように、彼の額に手を当てる。今度は素直にユフェリの気を受け取る。ややあって、彼は目を開け、「同じだよ」と情けなさそうな顔でつぶやいた。
「場所は?」
「わからない。でも、今起きてることなんだよ、きっと。だって、へゼナードは僕の迎えに、こんな遅くなったことはない。イスファハンもそうだ。おかしいよ、絶対」
 ルシャデールは立ち上がった。方角はわかっていた。でも、遠くないだろうか? 
 以前、方角だけを頼りに、ある場所へ行こうとしたことがあった。歩いているうちに日が暮れてしまい、屋敷に帰ったのは翌朝だったろうか。一緒にいたアニスはデナンにひどく怒られてしまった。
 でも、今回はピスカージェンの街の中か、そうでなくても近いだろう。朝はちゃんとミナセ家に彼女を送ってきたのだ。
 「ルシャデール! 二人を助けに行かないと! 方角はわかるんだろ? 行こう!」パルシェムが彼女の手を引っ張る。 
「ちょっとお待ち」彼女は引っ張り返す。「私たちは、神和家の嫡子なんだ。供も連れずに、ひょこひょこ歩くわけにいかない」
「何を急に分別くさくなってるんだよ。二人が死にそうになっているんじゃないか!」
 きいきい騒ぐパルシェムを前に、不思議とルシャデールの方は落ち着いていた。ちらりと外に目をやる。子馬の横で馬丁が手持無沙汰そうに空を見上げて、鼻毛を抜いている。
「おまえ、今迎えに来ているのは馬丁だけかい?」
「そうだよ」
「小馬や輿に乗るなんてまどろっこしい。屋敷に帰そう。走った方が早い」
「走る? 神和家の跡継ぎが走る?」
「うるさい!」ルシャデールは小童の襟首をつかんで目の前に引き寄せた。「おまえのたいそうな足二本、何のためにあるんだ?!」
 彼女はパルシェムの腕を引っ張り、稽古場の方へ戻った。
 エディヴァリはまだそこにいた。召使に手伝わせて、床の拭き掃除をしていたようだ。前当主みずから掃除をすることに、一瞬ルシャデールは驚いたが、今はそれより急ぎの用がある。
 小侍従二人が迎えに来ず、尋常ならざる事態が起きているように思われることを説明した。
「それはゆゆしきこと。わたくしの家の者を二、三人連れてお行きなさい。そなたたちの家にはわたくしから知らせます。ですが、無理をしてはなりません。ルシャデール、行く先はわかっているのですか?」
「方角だけは」
「では、行くのはピスカージェンの市街地の中まで。いいですね? 壁道より外へは行ってはなりません。行かねばならないとしても、その前に必ずここかご自分のお屋敷に戻り、当主どのに報告して指示を仰ぐこと」
 壁道とは、かつてピスカージェンの街を取り囲んでいた城壁ぞいの道のことだ。城壁はかつての戦いでほとんど壊れてしまったが、道はそのまま街全体を取り囲む環状道路となって残っている。道の内側をピスカージェン市街地としていた。
「はい」
 エディヴァリは自分も一緒に行こうと言ったが、かえって邪魔になる。ルシャデールは丁重にお断り申し上げた。
 ミナセ家の門を出て、ルシャデールは天気を見るように空を見上げ、目を閉じる。
 北だ。
「行こう」
 彼女はパルシェムの手をつかみ走り出す。ミナセ家の従僕三人もついてくる。
 屋敷前の道をいったんは西に進む。しばらく行くと、オテルス大寺院と斎宮院を結ぶ道に出た。迷いなくルシャデールは大寺院の方へ向かい、次はスメラ橋の方角へ。
 この地域はピスカージェンでも一番の繁華街だ。屋台や人混みを避けながら走る。
 スメラ橋を渡って、最初の四辻でルシャデールは初めて立ち止まった。右手はエニセ地区。王宮を始め、貴族の館が立ち並ぶ。左手はアビュー家のあるカシルク地区だ。右手からは楽の音が流れてくる。犬が風に乗ってくる匂いや音を捕らえようとするように、彼女は顔を上げた。
 そう遠くない。
「武術指南院がこの近くだよ」
 パルシェムが息を切らしながら言った。
「武術指南院じゃない」考える前にそう答えていた。「でも、近くだ」
 ネズルカヤ地方へと続く道からエニセ地区へ入って行く。甘い花の香りが漂う。
 ああ、これはアムラーテだ。