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大地は雨をうけとめる 第4章 逃亡計画

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輿《こし》は揺れないようにゆっくりと進んでいく。
 ミナセ家から帰るルシャデールにつき従いながら、アニスはぼんやり考えていた。
つつがなく毎日が通り過ぎて行く。
 周りがどんどん変わっていくような気がする。
 空は青いままなのに、周囲は雨が来そうだと、走り出している。ルシャデールも、オリンジェも、へゼナード、トリスタンやデナンも、シャムでさえ少し変わった。前はもらった給金はぱっぱ、ぱっぱと食べ物や酒、小口の賭け事など使っていたが、最近貯金をしているらしい。
『おれも先のこと考えなけりゃな。いずれは嫁だってもらいたいしさ。知ってるだろ、男が払う結納金は三年分の給金が相場だぞ。そりゃさ、おまえみたいに高い金もらえるなら、いつでも好きな女と結婚できるだろうけどな』
 シャムにも好きな娘がいるのかもしれない。軽口たたいてじゃれ合うだけの女の子ではなく、結婚してもいいと思うような娘が。
 おまえみたいに高い金もらえるならいいけどな。
 その言葉にかすかな棘を感じた。
 アニスは輿の上の女主人を見上げた。輿に乗ると言い出した時、すっと彼女が離れて行った気がした。もちろん、彼女の身の安全を考えれば、徒歩よりもいいに決まっている。暴漢にでも襲われた時、彼ひとりではルシャデールを守れそうにない。情けないが事実だ。
 鏡を割った日から、ルシャデールは乱れない。自分の立場にふさわしく振る舞っている。だが、それはアニスに対しても同様だ。一線を引いてしまった。
 来年の七月には『錫杖《しゃくじょう》の儀』が予定されている。彼女の成人の儀式だ。アニスはその前の半年を仮仕えとして王宮に上がる。そして、王からの賜り物として『錫杖の儀』に神和家|嫡子《ちゃくし》に与えられ、正式に仕えることになるのだ。
 仮仕えも不安の種の一つだが、今から心配しても仕方がないし、王宮の侍従たちはたいてい武術指南院《アデール》で知った顔ぶれだ。
 それより、仮仕えの半年は王宮から出られない。彼自身は、そういうものか、と思うが、それですませられない者がいた。オリンジェだ。
 彼女はもっと頻繁《ひんぱん》に会いたいと言っている。だが、アニスにすれば月二回、時間をとるのがやっとだ。もう少し、こっちの立場も考えて欲しいと思う。
 最初の頃、アニスのことをうさんくさげに見た彼女の父親も、最近ではやけに歓迎してくれる。それも重荷だった。
 輿担ぎたちは乗降台に輿を乗せた。アニスは彼女の履物をそろえて置く。立ち上がったルシャデールはゆっくりと台から降りた。
「ごくろうさまでした」
 彼女は輿担ぎたちをねぎらい、屋敷に入っていった。すっかり『アビュー家の御寮様』だ。
 彼女を部屋まで送ると、廊下の向こうにデナンが待っていた。
「アニサード、話がある」
 感情を表に出さないデナンだが、ずっと彼の指導を受けていると、少しはわかってくる。いい話じゃなさそうだ。彼の部屋へ黙ってついて行く。
 使用人の中で、唯一デナンだけが主人と同じ階に部屋を持っている。ソファ、絨毯、低いテーブルはあるが、ずっと質素だ。彼は戸を閉めると、立ったまま話を始めた。
「ロサイム・ヤズハネイが私に会いにきた」
「えっ?」
 オリンジェの父親だ。
「仮仕えに上がる前に、娘とおまえのことを、もう少しはっきり決めておきたいとのことだ」
「はっきり決める?」脳みそが蒸発していきそうな気がした。
「年齢的にはまだ早いが、数年後には娘を嫁にすると約束してほしい、とのことだ」
 アニスは口をぽかんと開けて、デナンを見る。
「四年前に教えた侍従の心得を、また一から教えなければならないとは情けないな」
 デナンは冷ややかにアニスを見る。
「おまえにとって一番大切な者は誰だ?」
「……御寮様です」
 デナンは軽く息をつく。
「本当にそうか?」
「はい」
「では、御寮様よりも大切だと胸を張って言えない娘なら、最初から相手にするな」
「!」自分の中途半端な気持ちを見透かされ、アニスは黙り込む。
「御寮様がどれほどおまえに気をつかわれていらっしゃるのか、わかっているのだろうな?」
「はい」
「オリンジェ・ヤズハネイとはうまく手を切れ」
「はい」
 素直にはい、はい、と答えるアニスに、デナンは息をつき、眉間に皺をよせる。
「アニサード。他人の顔色をうかがうな。己が正しいと思ったことは信じろ」
「はい」
「もういい、行け」
「はい」
 デナンの部屋を出て、溜息をつく。現実が陽炎《かげろう》のようにおぼろにかすむ。
(どうして僕は……いつもこうなんだろう。どこか……誰もいないところへ行ってしまいたいな……)


「なんだ、しけた顔してるな」
 ミナセ家から武術指南院に向かうアニスに、へゼナードが追いついてきた。
「そういう君は元気そうだな」
「おれはあいつと離れれば元気になるんだ」
 へゼナードは肩をすくめる。確かにパルシェムと一緒の時の彼はしかめっ面を崩さない。
 へゼナードとパルシェムは従兄弟同士だとアニスは聞いていた。どちらも一人っ子だが、パルシェムは両親に猫かわいがりされて育ったらしい。
「かわいい女の子ならまだしも、あんな甘ったれのクソガキ。同じ侍従やるんなら、おまえのところの方がまだいいよ」
「男の方がいいよ。女は何考えているのかさっぱりわからない」
 妙に実感のこもったアニスの言葉に、それもそうだな、と彼はうなずいた。
「でもさ、おまえのところの御寮さん、最近落ち着いてきたじゃないか」
「表面的にはね」
「……何かあるのか?」
「わからない」
 アニスは小さく首を振る。最近のルシャデールは何かを必死に封じ込めているようだ。根拠はないが、それに触れてはいけない気がして、最近は何も言わないことにしている。
「オリンジェとかいう娘《こ》とはどうなってるんだ?」
「あー……うん、手を切れと言われた。デナンに」
 話題がオリンジェのことに変わって、声が軽くなる。
「なんでだ? ……あ、御寮さんか? やきもちでも焼いてるのか?」
「やきもちはないと思うけど、でも気をつかわせているみたいだ」
「おまえ、いいのかそれで? 確かに、おれたちは主人第一の侍従だけど、これだけは譲れないってこともあるだろ」
 アニスはちょっと考える。
「……ないよ。そりゃ、御寮様に突然、死んでくれとか言われたら、ちょっと待って下さいってなるけど」
 へゼナードはあきれた顔してアニスを見た。
「オリンジェよりも、御寮様の方が優先か? 信じられない奴だな、おまえは。あんなかわいい子、ちょっといないぞ。潤んだような目とか、ぽっちりしたピンク色の頬とか、それに」彼は両手を胸の前で丸く形作る。「だろ?」
「君は彼女の家族に会ってないから、そんなのんきなこと言っていられるんだ」
「家族がどうかしたのか?」
 父親は一見家の中で威張っているようだが、何か言おうとするとき、妻の顔を窺う。母親は半ば睨むように、何かを言わせようと顎でしゃくる。アニスはその母親がオリンジェとよく似ているように思えてならない。