和ごよみ短編集
《其の36》『よかん』
「ううん だぁいすき」
「ワタシも アナタ ダァイスキ」
ここで おわかれ……
はるがきても わすれないよ
そっときえる ゆきのすがたを みんなはみおくりました
「はい、おしまい」
「ゆき、もうきえちゃったの?」
「そうねぇ……」
娘に絵本を読んであげた私は 窓の外に目を向けました。
明るい陽射し。窓越しに見る風景は 暖かさをいっぱい抱いているようです。
娘に絵本を手渡すと 私の膝の上からおりて 自分の好きな絵本が並ぶ本箱にしまいにいきました。そして、カーテンをくぐりサッシの戸に掴まりながら 外を眺めはじめました。
背伸びをするとサッシ戸の擦り硝子部から顔を出して外を見ることができるようになった娘は きっと世界が広がったのでしょう。
最近のお気に入りの場所でした。
「ゆき きえちゃったんだぁ」
晴れた空からは雪を運ぶような雲など見あたりません。娘の溜息がガラスを曇らせたり乾いたりして 娘の気持ちを目に見せてくれるようです。
「どれどれぇ、雪さんはみあたりませんかぁ。もういっちゃったのかなぁ」
私もサッシ戸に近づき見ると、暖かな部屋のはずなのにサッシ戸もその傍もひんやり冷たさを感じました。
まだ遠い暖かな春。そんなことを思わせました。
ふと見ると、ベランダには昨夜投げた大豆が数個落ちていた。
「まだ、豆が落ちてるね」
誰が拾うわけでもないし、片付け掃除もしていないのだからあたりまえのことです。
「えぇどこぉ みたいぃ」
私は 娘を抱き上げて硝子越しに見せました。
「手が冷たくなっちゃったね」
娘の手はサッシ戸に触っていたせいでしょう、冷たくなっていました。
抱き上げ、片手でずつ手を握って温めてあげながら落ちている豆を見せてあげました。
「豆まき楽しかった?」
「うん…」
昨夜の 楽しそうな元気な「おにはそと ふくはうち」が嘘のような娘の様子に横顔を見つめました。
「どうしたの?」
「おにさん、さむくなかったかなぁ」
娘の心配は、我が家を追い出された鬼が この寒さの中をどこに行ったのか?ということのようでした。
「きっと 鬼さんたちは集まって おしくらまんじゅうしてるわよ」
私は、娘をぎゅうっと抱きしめました。
「まんじゅうたべてるの?」
時代でしょうか…… 娘には おしくらまんじゅうが 食べ物にしか思えなかったのです。
「みんなで ぎゅうってしあってるの。ぎゅうーって」
「じゃあ あったかいね」
節分を終え、今日は立春。
暦の上では 春が始まる。
それでも まだまだ余寒の厳しい日があることでしょう。
お別れしたはずの雪も もしかすると これからお目にかかるかもしれません。
このところ ぐっと背も伸びた娘は、何を思ってこの風景を眺めているのでしょう。
絵本と現実の違いもわかっても夢をなくさないでいて欲しい。
こうして 抱き上げた腕から見る風景は、私よりも高いところまで見ていることでしょう。
春の気配が日ごと 濃くなっていきます。
寒さが遠のき、春のきざしが感じられる頃、みな心躍るのでしょうか。
適温のカイロのような小さな身体をずっと抱きしめながら、素敵な一年になる予感がしてなりません。
「春よ来い。早く来い」
「ちゃんとくるから まってくださいって」
「っふふ、そっか。そうだね。ゆっくりでも春はくるね」
娘に教えられてしまいました。
ふくふくと 春のおとずれ……
― 完 ―