和ごよみ短編集
《其の1》『きざし』
「雪 キライ」
スクランブル交差点で信号待ちをしていた誰かが言った。
その声を聴いた数人が 声の主を探すかのように首を進行方向から逸らして見た。
「雨 きらい」
同じように 信号待ちをしていた誰かが言った。
またその声を聴いた人が 声のした方に首を向け 辺りを見た。
確かにこの場所にその声の主が居ると、自分の隣を 背中を向けた人を 斜めの人との隙間を覗き見る。
目が合えば、皆、頭に言葉を浮かべて 目を逸らす。
(私では ないわよ)
(僕じゃないさ。あ、声は女性でしょ?)
(ねえ誰よ? あんた?)
見つからないことに諦め 信号に目を移す。
あまり頭を動かさずに 目だけで犯人捜しを続ける。
可笑しなことに巻き込まれたくないと イヤホンを急いで耳にはめる。
今のは 聞き違いだ、と深呼吸をして落ち着く。
ほんの僅かな時の流れが 緊張と緩和をうみだした。
信号がかわった。
音響装置付信号機の誘導音に 歩行を開始する。
前の人が動いたことで気付いて 歩行を始める。
スクランブル交差点には 縦に 横に 中央をめざして斜めに行き交う。
肩をぶつけ カバンをひっかけ 小走りに進んで とさまざまに動く。
もう先ほどの声を気にする人は 誰もいないかのような喧噪の世界。
「ほらね。もう忘れられちゃった」
「そんなことない。誰かいるわよ」
「あら? そうかしら」
くすくすと笑いあっても もう足を止める人はいない。
「ねえ、本当に 雪 きらい?」
「アナタだって 雨 キライ?」
「ううん だぁいすき」
「ワタシも アナタ ダァイスキ」
ここで お別れ……
春が来ても 忘れないよ。
そっと消える雪の姿を 雨は優しく隠してゆく。
まっしろいのに 透明にとけて消えてゆく。
そっと そっと……
― 了 ―