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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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時計

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「ちゃんと、整理しときなさいよ」
 机の上に放り出された皺だらけのプリント類を見て、綾音がからかうように言った。
「私じゃないわよ」
 圭子はそう言いながらも、まだ探している。
 終業式の日に、自分で捨てるのが面倒で誰かが放り込んだものかも知れない。
「誰よ、こんなものまで入れとくのは!」
 苛立たしげに圭子が投げたそれは、空気が抜けて歪んだピンクのゴムボールだった。綾音はそれを拾い上げて、床へ軽く投げつけてみた。ボールは跳ね返ってくることもなく、不器用に転がっただけだった。
「あった、あった」
 圭子がザラ半紙のプリントをようやく見つけて言った。「これがないとね」
「何? それ」
 綾音が顔を近づける。どこかで見た憶えがあるような……。
「あ!」
「どうやら、綾音もまだみたいね」
 それは、夏休みの課題の項目が印刷されたものだった。

「綾音!」
 疲れた足取りで廊下を歩いていた綾音は、呼び止められておもむろに振り向いた。
 夏休みが終わって一〇日が過ぎていた。
 今日の体育は水泳だった。泳ぎの苦手な綾音は、この授業が大嫌いだった。遊園地の大きなプールならスライダーなどもあって充分楽しめるのだが、学校にはもちろんそんなものはない。正味泳ぐだけというのは、綾音にとっては疲れるだけのものだった。
 まだ乾き切らない髪が艶やかに光っている。
 後ろから走ってきたのは圭子だった。
「どうしたのよ。そんなに慌てて」
 圭子はしばらく肩で息をしていたが、やがて少しばかり落ち着きを取り戻して言った。
「うん。ちょっとそこで聞いたんだけど、綾音にも言っといた方がいいと思って――」
「だから、何よ?」
「先刻、鍵を返しに行ったらね――」
 圭子が話し始める。圭子は日直で、更衣室の鍵を返しに体育部職員室へ行っていたのだ。「いい? 落ち着いて聞いてよ」
「圭子こそ、落ち着きなさいよ」
 人に落ち着けと言っている割には慌てている圭子に、綾音は言ってやった。
「まだ確かなことじゃないんだけど……」
 綾音の言葉をまるで無視して、圭子は真剣な声で言った。綾音もそれで少しは真面目に聞く態勢をとらなければならなくなった。圭子が言う。「――旧校舎、ついに取り壊しになるらしいの」
「ええ!?」
 綾音は思わず大きな声をあげた。
 廊下を歩いていた何人かの生徒が、何事かと振り返る。
 綾音は赤くなって、急いで自らの口を押さえた。
「今までの校舎を壊して、新しく建て直すらしいわ。まだ詳しいことは判らないけど」
 旧校舎を取り壊す? それが本当だとしたら、歌苗はどうなるのだろう――。
 綾音は複雑な心境だった。
 当然、あの時計もどこかへやられてしまうだろう。下手をすると、処分されてしまうかも知れない。
 そんなことは考えたくなかった。あの時計は歌苗そのものなのだ。
『時計が完全に壊れたら、その時間の束縛からは解放されるかも知れない』
 そんな歌苗の言葉を、綾音は思い出した。
「本当なの……」
 綾音は聞いた。
「無理もないでしょうね。今まで残してたのが嘘みたいなんだもの」
「そうね……」
 旧校舎はさまざまな問題があって、エアコンも取り付けられないのだった。それに、旧校舎と言っても、かつてのそれの一部でしかない。その優雅な洋風建築の大半は、戦災で失われていたからだ。
 考えてもみれば、圭子の言うように今までそれが残されていたこと自体が不思議なのだ。なんでも当時の理事長が、「この地に空襲があったことを後世に語り継ぐために」と、一から建て直すよりも費用がかかるにもかかわらず、その部分を残して建て増したのだという。それが、現在も残る奇妙な校舎の由来だった。
 しかし時は流れ、戦争を知らない世代にとって、空襲を語り継ぐということの意義さえ忘れ去られてしまった。もはや、そんな不格好な校舎を残しておくことに意味はなくなってしまったのだ。
「歌苗さん、知ってるのかな……」
 綾音が言った。
「さあ……」
 圭子には、分かるはずもなかった。
 歌苗との会見を許されているのは綾音だけだったからだ。歌苗に言わせると、それは圭子が“別の時間を生きている”からだそうだ。
 綾音は、大椴に訊けば何か判るかも知れないと思った。大椴は美術部の顧問で、美術室は第一、第二とも旧校舎にある。このことについて、当然何か知っているものと思われた。
「圭子」
 綾音が言った。「今日は、部活に出られる?」
「今日は大丈夫よ」
 二学期ともなれば、生徒会は学園祭のことで忙しくなる。
「珍しいね」
「たまには顔出しとかないとね。忘れられちゃう」
 二人にとって、これが高校生活最後の学園祭である。
 圭子は春に生徒会長に立候補していた。大して口も上手くないために、残念ながらその座は他の者に取られてしまったが、彼女は副会長として頑張っていた。
 一方、綾音は美術部長として何とか学園祭を成功させようと躍起になっていた。昨年の大成功があるだけに、下手に手を抜くことも出来ない。
 それに、もし圭子の話が真実だとしたら、旧校舎の美術室にとっても最後の学園祭になるかも知れないのだった。
 この日のクラブ活動の内容は、夏休みの課題の品評会だった。そうして違った視点から捉えられた意見を聞くことによって、それを描いた者は作品の出来を確かめられる。また、その作品が見る者にどういう感情を呼び起こすのかを知る機会にもなるのだった。
 綾音は「現実の中の幻想」という主題で、一つの作品を提出していた。
 高層ビル群の窓ガラスに映った古代遺跡。評価は上々で、圭子も絶賛していた。綾音は手抜きさえしなければ、本来いいものを持っているのだ。
 今年の学園祭のテーマも、どうやらそれに決まりそうだった。
「では、その方向でやってみるか」
 大椴が言った。他の部員は帰ってしまって、美術室には圭子と綾音だけが残っていた。大筋は、すでに部員の諒解を得てある。
「先生――」
 クロッキー帳をたたんで辞そうとする大椴に、綾音が声をかけた。そのクロッキー帳には特に何かが描かれているわけではない。大椴がいつも普通のノート代わりに持ち歩いているものだ。それは美術教師としての、せめてもの威厳なのかも知れなかった。
「何だ?」
「先生。旧校舎(ここ)が取り壊しになるって本当ですか?」
「もう知ってるのか。噂というやつは、どこから拡がるか分かったもんじゃないな」
 大椴は溜め息をついた。
「じゃあ、本当なんですね」
 綾音は、圭子の方を見た。圭子は「ほらね」とでも言いたげな顔で見返してくる。
「今さら隠しても仕方がないな。――この前の理事会で、その話が出たんだ。まだ、はっきりと決まったわけじゃないんだが、遅かれ早かれ、いずれそうなることは確かだな。校長も乗り気だったというし……」
 大椴は複雑な表情をした。あまり嬉しそうな顔ではない。彼としては、この慣れ親しんだ校舎を去り難く思い、また悲しんでもいるのだろう。
「いつ頃になるんですか?」
 綾音が訊く。
「君たちが卒業するまでは大丈夫なはずだ」
「じゃあ、来年の春……」
「うん。その線が今のところ濃厚だな」
作品名:時計 作家名:泉絵師 遙夏