時計
プロローグ
低く垂れ込めた雲の間から電霆(いなずま)が迸る。少し遅れて、その後を追うように雷鳴が窓硝子を震わせた。薄暗い廊下を青白い閃光が照らし出し、古い窓の桟の一本一本までも、その板張りの床に焼き付ける。
しかし、それは一瞬とも言えぬ短い時間でしかなく、後には暗さだけがさらに際立つのだった。
しばらく経ち、再び雷光が閃く。
彼女は泣いていた。誰もいない寒々としたその場所に、ひとり取り残されて。
薄暗い校舎の片隅、打ち棄てられたようなその空間……。
そこは──
誰もいない廊下。懐かしい板張りの床。幾度も油がひかれ、元の色を留めていない木材。白く塗られた壁も所々ではげ落ち、もはや老いを隠せないほどに古びてしまっていた。
天井からは傘の付いた裸電球がまばらに下がっている。今、それらは輝きを失っていて、くすんだ汚れをあらわにしていた。古びた両開きの窓に嵌った硝子は所々茶色く変色し、表面がひどく凸凹していることからも、かなりの年月に晒されて来たことを物語っている。そこでは、無限にも思えるときの流れが、まるで休息しているかのようだった。
空は、今にも雨が降り出しそうなほどに真っ暗だ。グラウンドが、咆哮を上げる空の下で、妙に白々と映えて見えた。
夕立……。
彼女はこの季節が一番嫌いだった。もっとも、昔――そう、ずっと以前はそうではなかったのだが。
暑いのは元々苦手な彼女だった。だからといって、夏という季節そのものが嫌だったわけでは決してなかった。
そう、それは今となっては、もはやどうでもいいことなのだ。喪われてしまった時の流れの中に、暑さという要素が入り込む余地など全くないのだから。
静まりかえった廊下に、閃光とともに雷鳴が轟く。
彼女は声にならない叫びをあげた。
残響が消えた後には、再び不気味なほどの静寂が訪れた。それは、眩しい光に晒された目が、闇に慣れるまでの感覚に似たものかも知れなかった。
静けさの中に、時計の時を刻む単調な乾いた音だけが異様なほどに大きく響いていた。
砂埃と長年の歳月にまみれた窓硝子が小さな音をたてた。一陣の風を伴って、数瞬後には激しい雨がその窓を叩き始めていた。
敵意に充ちたその雨音は、彼女の不安を一層かき立てるのに充分だった。
彼女は待った。時がただ過ぎるのを。
そして彼女は知っていた。
――そう、自分にとっての“時”とは、すでに喪われてしまったものに過ぎないということを……。