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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Riptide

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 サイレンの音が林の中に響き渡り、上谷は思わず手近なくぼみに体を伏せた。再び現れた柵を乗り越えて、尾根から見下ろすように開けた景色を見たのが一時間前、そこから元来た道を引き返していたつもりだったが、どこかで方向が逸れたらしく、上っていたときは左手も林だったはずが、引き返している今は、右手に山道が見えていた。木々の隙間を刺すように赤い光が貫き、身を伏せていた上谷は、小さくため息をついた。あのワゴンRは、手配されていたのだろうか。白須が消えたとき、宇多は『おれたちは大丈夫だ』と胸を張っていたが、近所に住む友人は、『刑事みたいな人が来てたから、上ちゃん帰らない方がいいよ』とメールをくれた。やはり、警察の手は、楽天家の宇多が思っていたより、近くまで来ていたのだ。上谷は体を起こした。
 ずっと逃げて来た。あるときは親だったり、学校だったり、様々なことから。車のガソリンが切れて、山の中をさまよっている今も、逃げていることには変わりない。記憶する限り、今までの人生で、逃げる直前に考え直して唯一足を止めたのは、高石を助けると決めたときだった。暗い廊下を息を殺して歩きながら、カウンターの後ろで笑う高石の顔を、思い出していた。今よりずっと派手な格好で、表情も豊かだった。よく、『お金ないんだなあ』と言いながら、チェイサーの余った水にこっそりウィスキーを混ぜて、薄い水割りを作ってくれた。その目線から中々自由にしてもらえずに、上谷がグラスや壁にかかったポスターへ視線を泳がせていると、高石は『仕事、紹介しようか』と言った。簡単なものだった。
 上谷はスマートフォンを取り出した。電波が復活していて、自分を示す青い点が画面上に現れた。さっきのサイレンから判断すると、パトカーが抜けていったのは、やはり港の方向だ。自分がいる場所とは真逆の方向に注目が集まっている。今が、そのときなのかもしれない。捕まらなくても、このままなら脱水症状で倒れるのは目に見えている。高石は眠そうにしていたが、それでも汗は相当かいたはずだ。考えはまとまらないが、ジュースを買って、車を盗むぐらいならできる。
 地図アプリのストリートビューを繰っていると、山道沿いに無人の自販機が置いてあるようで、『リフレッシュコーナー』という看板が出ていた。上谷はその方向を見定めると、少し勢いをつけて、山道への下り坂を歩き始めた。
   
「結構上ったね」
 千夏が後ろを振り返って、言った。酒井は、木の隙間や少し開けたところに視線を走らせていたが、諦めたように額の汗を拭った。入るときに越えた柵が、三人を取り囲むように、また目の前に現れた。正人は、立ちはだかる柵が自分の責任ではないことを強調するように、言った。
「あの、これはタイキックが作った柵なんです」
「農家の人?」
 酒井が言うと、正人は首を傾げた。
「何をしてるか、よく分かんない人です」
 千夏が片方の耳を押さえながら、顔をしかめた。
「ねえ、なんかキーンってしない?」
 酒井と正人が振り返ると、千夏は汗で濡れたキーホルダーをベルトから外して、柵に向かって投げた。接触すると同時に火花が散り、弾けるような音が鳴った。犠牲になったキーホルダーを拾い上げた千夏は、言った。
「わたし達が来るとき、電気は流れてなかったよね」
「これ、掴んだら怪我するだろうな」
 酒井が笑いながら言い、重大なことを思いついたように、千夏にその大きな目を向けた。正人は、今まで一度も電気の流れたことがない柵なのに、どうして今日だけは違うのか、その理由を考えようとして、すぐに、千夏が蹴った石が原因だということに気づいた。
「あ、あの。タイキック来てます」
 正人が二人の服の裾を引っ張ると、酒井が、ずっと探していた答えを見つけたように千夏から目を逸らせて、笑顔になった。
「そうか。出られないんだな」
「そーだよ。みんな出られない」
 千夏もそれに合わせて言ったが、正人は今まで目指していたのとは少し違う方向を指差した。
「ロープ使って登るところがあるんですけど、そこは柵がないです」
 酒井は正人の指を目で追ったが、すぐに千夏の方へ向き直った。
「そのロープは、簡単に見つかる?」
「知ってれば……」
 正人はそう言って、気づいた。この二人は絶対に知らないし、おそらく翔平も知らない。あの抜け道を知っているのは、自分だけだ。そう思ったとき、千夏が正人の方を向いて、言った。
「巻田くん、だっけ。友達じゃないんだよね」
「はい、いじめられてます」
 正人は、するりと言葉が出たことに、自分でも驚いた。普段はかかっているストッパーが抜けてしまったようだった。明弘にすら、はっきりとは言わなかったのだ。酒井は、正人の肩に手を置いて、言った。
「つらいな。ガキ大将みたいなやつか?」
「そう……、でもないです。引っ越してきた家族なんですけど」
 千夏が、平らな岩に腰を下ろした。それが合図になったように、酒井は木の根に器用に座り、正人は千夏が座った岩の、余った部分に座った。千夏が言った。
「じゃあ、逃げてたの?」
 正人はうなずいた。そういうことを笑ったり、馬鹿にしたりするような感情の起伏を、二人は持ち合わせていないような気がしていた。千夏は納得がいったように、小さくうなずいた。
「わたしと一緒にいたら、来ないって。そういうことだったのね」
 酒井がリュックサックの紐を肩から抜いて、言った。
「天敵みたいなもんだな。助けてくれる人はいる?」
 正人は、酒井がリュックサックを開けて、中から細長いケースのようなものを取り出すのを見ながら、答えた。
「兄ちゃんが、一緒にいてくれます。でも、今日は時間が合わなかったんです」
 千夏は、ブーツの紐を一度緩めると、きつく締め直した。腕まくりを下ろして、袖がばたつかないよう、ボタンで留めると、言った。
「きっかけは、あったのかな。分かったら、困んないか」
「うちの親はよく、巻田の親のことを、よそ者だって言ってます。何をしてるかよく分からないし、ふらふら生きてるって。僕はそんな風には思ってなかったけど、もしかしたら……」
「無意識に、そういう態度を取ってた可能性も、あるかもしれないな」
 酒井が言葉を継いだ。そして、千夏の方を向くと、面白がるように言った。
「なあ、畜生腹」
 その言葉に、千夏は意地悪そうな笑顔を一瞬見せると、さっき身代わりに感電したキーホルダーを、酒井に投げつけた。酒井は笑いながらそれを体で受けて、千夏に投げ返した。
「もー、そういうこと言わないの」
 千夏はそう言うと、表情だけ笑顔のまま、正人の方を向いた。
「聞いたことない言葉でしょ。わたしは、お母さんのお腹の中にいたときは、双子だったんだ。ただ、わたしの田舎だと、双子ってのは、なんか評判が悪くてね。そんな風に呼ばれてたんだって。でも、生まれたときは、わたしだけ生きてて、片方は死んでた」
 突然、頭の中に流れ込んできた情報の洪水に、正人は思わず体育座りになって、姿勢を正した。千夏はそんなことなど全く意識していない様子で、続けた。
「お母さんは、双子が欲しかったらしくて。わたしはずっと、あんたが姉を腹の中で殺したって言われて、育った」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ