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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Riptide

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 白猫はしばらく同じ姿勢でいたが、短く鳴くと、中原が履いているスニーカーの紐を噛み、引っ張った。解けはしなかったが、結び目がいびつな形になっていき、中原は苦笑いしながら言った。
「お前は、家でええもん食っとるだろう」
 白猫は、言葉が通じたように体を起こすと、中原の車の方へ歩き出したが、すぐに立ち止まり、振り返って腰を下ろした。中原は諦めたように腰を上げた。集会に出てから帰るようにというサインだ。こうやって、よく猫の集会に呼ばれる。特にやることもないばかりか、呼んだ本人までが『何しに来た』という目線を寄越してくるから失礼な話ではあるが、中原は白猫の後ろをついて歩いた。今日の集会場所は、ワゴンRの前だった。全員が揃っていて、横になっている猫はいなかった。その妙にかしこまった佇まいを見た中原は、笑った。
「どうした? くつろいでないな」
 黒猫が、待ちくたびれたように中原の顔を見ると、ワゴンRのドアを引っ掻いた。中原は慌てて黒猫を抱え上げ、脇にどけた。
「人様の車を引っ掻くんじゃない」
 改めて、そのワゴンRを見た中原は、気づいた。追突されたようにリアハッチの下端が歪んでいて、右のドアミラーがない。そのただならぬ様子に中を覗き込んだ中原は、鍵すらかかっていないことに気づいた。
 助手席には、赤いリュックサックが置かれていた。
     
「確かに滑るね」
 バランスを保ちながら千夏が笑い、その手を転ぶ寸前で掴む酒井を見ながら、正人は、二人が研吾と結子のような夫婦なのではないかと、思った。苔が生えた最後の岩を、全員が越えたことを確認してから、言った。
「もう、滑るところはないです」
「ありがとう」
 酒井が言い、今まで自分たちが通ってきた道を振り返った。
「正人くん。いつもこの林を通ってるの?」
 正人は首を横に振った。
「ほんとは通ったらダメな道なんです。僕が案内したって、言わないでほしいです」
 千夏が笑顔になって、小さくうなずいた。
「そんなこと、誰にも言わないよ。ねえ、酒井っち」
「言わないね。誰も知らないままだよ」
 酒井が呟くように言ったとき、千夏は正人の頭に手をかざした。
「正人くん、何年生?」
「四年です」
「結構、大きいよね」
 正人はクラスの中でも小柄な方だが、千夏の意見は異なるようだった。酒井は黙っていたが、その目は千夏の方向をじっと見つめていた。千夏は言った。
「あの、友達じゃない子も、同じぐらい?」
「いや、巻田はもっと大きいです」
 正人が言うと、千夏は記憶を掘り起こすように、目を泳がせた。正人の背中にぽんと触れて、言った。
「あの人は?」
「タイキックですか? 多分、追っかけて来てないし、もう大丈夫だと思います。あ、えっと、酒井さんと同じぐらいです」
 その呼び名に、酒井は笑った。百八十センチは中々の長身だ。
「いっぱいいるんだな。おれと同じか。やせ型?」
「はい、やせてます。あ、あと高齢者なんで、少しは縮んだと思います」
 正人の言葉に、今度は千夏が笑った。
「面白いなあ。色んな言葉知ってるね」
 正人が何も言い返せないでいると、千夏は、正人の首筋についた虫を払った。同時に、港の方向から大きな悲鳴が上がった。正人が思わず振り向いたとき、自分たちがその視線から逸れたことを確認した千夏は、酒井と目を合わせて、満面の笑顔を見せた。スマートフォンの壁紙にした、『二十五秒』。
 高石にナイフで斬り付けられたあと、二人がワゴンRで逃げようとしていることに気づいた酒井は、車庫まで先回りしようとして走った。千夏も後を追うつもりだったが、目の前で宇多が起きて、お約束のように椅子から転げ落ちた。千夏は血まみれになった腕でスマートフォンを取り出すと、ストップウォッチをセットして言った。
『いっけるかなあ』
 赤いリュックサックの中身は、千夏が二十五秒の『世界記録』で斬り落とした、宇多の頭。
 千夏は、正人の後ろ姿を眺めながら、考えた。これだけの時間、直射日光に晒されていたのだから、熟れ切っているだろう。
 なぜなら、ビニール袋に溜まった血ごと、中で逆さまにひっくり返したから。
    
 足腰は、健全そのものだった。田井は、喉の渇きすら感じることなく、一直線に歩いた。すでに三十分近くが経っているが、先週歩いたときより荷物が多いにも関わらず、イノシシを追っているという事実が、気合を筋肉に注ぎ足し続けていた。田井は大きな岩に腰掛けると、肩から吊ったガンケースの位置を調節した。狩猟をしているのであれば、本来なら散弾銃はガンケースから出して、薬室を開いた状態で担ぐのが正しいが、勇み足で飛び出してきたときには絶対に必要だと思ったものの、いざ林の中に入って澄んだ空気を吸い込むと、途端に邪魔な荷物と化していた。田井は呟いた。
「落ち着け……」
 靖之によく言われた言葉。記憶に残っているのは、その少し呆れたような笑顔だけだが、今思い起こせば、職場でも、趣味の世界でも、常に色々な人から言われ続けてきた。田井は、首に巻いたタオルの端を掴み上げると、ほとんど坊主のような刈り上げ頭に浮いた汗を拭いながら、思った。欠点なのは、自分でよく分かっていた。ことわざにあるように、『短気は損気』だ。しかし、昔の自分と繋がる要素が、今でも残っているという事実は、例え欠点であっても、どちらかというと、田井を安心させた。
 深呼吸をすると、田井は岩から腰を上げた。ここから、下りが始まる。窪地のようになっていて、田井は、上りよりも下りの方に、細やかな配慮を配るようにしていた。上れなくても、元の場所に帰ってくるだけだが、下りるときに足を踏み外すと、どこまでも落ちていく。途中、苔で靴底が滑るのを何度か感じながら、田井はそれでもバランスを崩すことなく下り切った。あのイノシシと対決したのも、日差しの通りにくい、この辺りだった。両方が涼しい場所を求めて、出くわした。田井は拳を一度固めて、再び開くと、歩き出した。不自然に崩されたような土の塊を見つけて、心臓が高鳴るのを感じた。田井は少しよろけると、片膝をついた。息をひそめて、ガンケースから散弾銃を抜く。薬室を開き、ポーチの中へ手を入れて、触れた一発のリムが上を向いていることを確認した。まだ弾は込めない。
 回り込むように木の根を踏み、木の後ろ側を覗き込んだとき、靴下を履いただけの足が二本、こちらへ向かって突き出しているのが見えた。田井は思わず飛びのいて、尻餅をついた。ほとんど土のかかっていない頭が見えた。顔に開いた真っ赤な穴は、形のなくなった左目がかつて存在した跡で、鼻や顎などほとんどが破壊され、強調された頭蓋骨の絵のように歪んでいた。田井は、体の機能の半分を忘れてしまったようにふらつき、木を掴みながら立ち上がった。心臓が痛いぐらいに跳ねまわっている。携帯電話は持っていないから、通報するには家に戻るしかない。様々な考えがルーレットのように頭をめぐる中、ただ一つ確実なことが、田井の頭の中でぴたりと動きを止めた。
 林の中に、殺人犯がいる。
     
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ