天空の庭はいつも晴れている 第10章 囚われの野
「……人間は二万年前の人たちとあまり変わっていないのかな?」
「あまり、ね」
「いいじゃないか、きれいさっぱりなくなって」
ルシャデールは他の二人に背を向け、意味もなく歩を落とす。
「よくない!」思わずアニスは大きな声を出していた。「醜いものと一緒に、美しいものもすべてなくなってしまうなんて」
「美しいものなんてどこにある?」
「どこにでも。どんなところでも」ルシャデールの冷めた目をアニスは見つめ返す。「美しいものは……あるよ」
彼は今まで見た美しいものを思い浮かべた。笑っている家族の姿。隣の家に生まれた仔犬。早春の木の芽、草の芽。あんずの花。夏のたぎる瀬。色づく麦の穂。雲を染める朝日と夕日。渡り鳥。暖炉の火。雪の降った朝。
それらは両親の愛を核にして、今のアニスを創っていた。だが、ルシャデールには核となるものがない。それに気づいて、アニスは黙った。
「わあ、すごいな!」
サラユルの声にアニスは振り返ると、足元に雲海が広がっていた。彼らは小島のような山の頂に立っていた。
夜の彩を残した空に金色の陽が昇り、雲を染める。逆光になった山の峰は黒々としてよく映えている。しばらくの間、みんなでそれを見ていた。
「なんで、急に変わったんだ?」
ルシャデールが我に返って言った。
「エルパク山だよ」アニスは言った「昔、父さんや近所のおじさんとヤマウギソウを採りに登ったんだ。その時に見た日の出だよ」
あの時、父さんは言っていた。
『時は過ぎていく。いい思い出も、悪い思い出も、記憶の中にうずもれてしまうが、最上の思い出っていうのは永遠なんだ。思いだしさえすれば、いつでもその瞬間に戻ることができる。アニス、このすばらしい風景が、おまえにとって永遠であるように祈っているよ』
あの時は小さくて、父さんの言ってる意味がよくわからなかった。でも、こういうことかもしれない。
アニスはルシャデールに微笑んだ。彼女は戸惑いの色を浮かべ、日の出に視線を移した。彼女がどう思ったのか、アニスにはわからない。ただ、彼がきれいだとか、素敵だと思うものを、彼女もそう感じてくれればと、望むだけだった。
『囚われの野』巡りは続く。
海の真ん中で難破した船の甲板で救助を待ち続ける人。
ずっと火あぶりになったままの人。
高い塔から何度も飛び降り自殺を図っている人。
寺院もあった。そこでは僧が生きていた頃と同じようにお祈りをしていた。
病気でずっと寝たままの人は、すでに死んでいるのに「死にたくない」と生気のない目でつぶやいた。
みんな死んだことに気が付かずに死んだ時のままだ。
「この人たちはずっとこのままなの?」アニスはたずねた。
「いいや、少しずつソワニが『庭』へ送り出している。でも、彼らは僕たちが見えないらしいんだ。見えないだけでなく、話しかけても聞こえない。だから遅々として進まない上に、新たに死んだ人たちがここへ囚われていくから、全然追いつかないよ」
「中でも自死した人は難しくてね。だけど、『庭』の本質は愛。すべての魂は『庭』を目指し、最終的には、遥かな始源の地へ還っていく。だからいつかは彼らも解き放たれていくよ、必ず」
さ、行こうか、と言ってからサラユルがルシャデールにたずねた。
「寄らなくていいのかい?」
「いいよ。何度行ったって同じだ」
御寮様のお母さんもきっとここにいるんだ。自殺したって言っていた……。
彼らは『庭』へ向かう。アニスの心は日陰から日向に出たように、鬱屈したものが払われた。
作品名:天空の庭はいつも晴れている 第10章 囚われの野 作家名:十田純嘉