本の妖精リセラ
「この本も、ずっとここにあるなぁ」
リセラはつぶやいた。
本の妖精。とある古本屋に住みついている。
いま、リセラが見ているのは、もう長いこと棚にある古ぼけた本。その両どなりの本はわりとすぐに売れるのに、その本だけはいつまでもそこにある。すこしだけ左右に場所がずれることはあっても、そう大きく変わることもない。
リセラは本の妖精。本と人とを結びあわせる妖精。
人が本をえらぶとき、ほんとうは本がそれを読む人をえらんでいる。でも、それも違う。本と人との出あいは、妖精がやっている。そのひとりがリセラ。この古ぼけた本屋で、人と本を結びつけてきた。
ただ、リセラの仕事ももうすぐおわる。この古本屋はもうすぐなくなる。
本の妖精は、本屋ができたときに生まれ、店がなくなるときに消えてしまう。
むかしはもっといっぱい古本屋があって、毎日がたのしかったけれど、今ではリセラのいる店だけがのこった。
売れのこりの本は、もうほんとうに長いこと、そこにあった。
この本を買ってくれる人が来るまでは、どうか店がなくならないでほしいとリセラは願った。
だからといって、だれでもいいというわけにはいかない。
本は、それをほんとうに必要としている人にこそふさわしいのだから。
本の妖精は、中みを読まなくても何が書いてあるのかが分かる。これはとてもいい本だと、リセラは思っている。これまでに売れたどの本よりも、ずっといい本だと思っている。なのに、この本に合う人はこれまでに一人もいなかった。
かわいそうな本。
リセラは少し黄ばんだ背表紙にほおずりをする。
きっと、見つけてあげるからね。
そう、声をかける。
実際のところ、全部の本が妖精によって結び合わされるわけじゃない。半分くらいは何もしなくても勝手に売れてしまう。本にもこころがあって、それを感じた人が買う場合もあるし、性格がはでな本は目に止まりやすかったりする。
そういう時は、本の妖精はちょっぴりさびしかったりする。
店主が店の奥であくびをしている。
もうそろそろ店を閉めるのかな?
リセラは思った。外はもう真っ暗になっている。道を歩く人はいるけれど、だれもこの店に目を向けない。
そこへ、ひとりの若者が入って来た。
おずおずとしたようすで、手には一冊の本を持っている。外に平積みにされていた文庫本。
ああ、またしくじった。
リセラは思う。
結び合わせは妖精の仕事なのに。
その男の人はまっすぐに店主のところへは行かず、店の中を見回している。
あ、この人はほんとうに本が好きな人なんだと、リセラは思った。
じゃあ、きっとこの本も気に入るんじゃないかと、ようすをうかがう。
本と人とを結びつけるとは言っても、むりやりに引き合わせるわけじゃない。それとなくみちびいて、相性をたしかめないといけない。
本と人とのあいだに、うすい光の線が見えたら、それを結びあわせる。うまくむすぶことができたら、人はその本を手に取る。そこで最後の仕上げ。本のこころを人に流し込む。
男の人は店の中を見まわしたあと、まっすぐにリセラの方へ来た。
この人なら、買ってくれるかもと、リセラは期待する。
本棚の隅に身をひそめて、リセラは若者が本に手をのばすのを今か今かと待ち受ける。
今はまだ、どちらからも光の糸は出ていない。いや、少しだけ出たり引っ込んだりしている。本からのびる細い光。それから若者の方からのびる、迷っているような感じの光。
これは、もう結んでしまってもいいだろうと、リセラは本のかげからそっと忍び出る。まずは若者のほう。これはうまくいった。でも、本の方がうまくつかまらない。手をのばしても逃げるようにくるくると円をえがくだけ。
「どうしてよ。あなたも、この人を選びたいんでしょう?」
リセラは問いかける。
そのことばに光の糸はリセラの周りを何周か回ったあとに、本の中に消えてなくなってしまった。
あわててその先端をつかもうとしたが、間に合わなかった。
これはいったい、どういうことなんだろう?
リセラは首をかしげる。
こんなことは、はじめてだった。
リセラが手こずっている間に若者はべつの棚の方へ行ってしまった。本からはもう光の糸は出ていない。背表紙の上からちらちらと様子をうかがうように、ちいさなかがやきがもれ出ているだけ。
「あなただけ、売れのこってもいいの? あなたは、あのひとにぴったりなはずよ」
リセラは聞く。それでも本は小さな光のつぶをわずかに振りまくだけで、何も言わない。
若者は最初から手に持っていた本を買っただけで、店を出て行った。
それからも本はずっとそこにあった。店をたたむ日はどんどん近づく。店じまいの札が出てからも、その本は売れなかった。
そしていよいよ最後の日。
売れ残ったのは、あの本だけじゃない。もっとたくさんの本が売れないままに残された。 もっと高価でめずらしい本もあった。そのなかで、あの本が特別というわけではなかった。でも、なぜだかリセラは気になって仕方がなかった。
看板の明かりを消し、外にあった台を片づけてから、店主は木戸を閉める。これが最後の日だというのに、店主はこれまで通りに、明日もまた店を開けるかのようにふつうに店を閉めた。
店の明かりも消して、店主はそのまま奥へと入ってしまった。
まっ暗な部屋の中で、本たちがおたがいにあいさつをしている。
「ごめんなさい、みなさん。ちゃんと結んであげられなくて」
リセラは売れ残った本たちにあやまった。みんな、リセラにお別れのあいさつをしてくれた。おつかれさまでした、ありがとうと。
そう、リセラは本の妖精。本屋に棲む妖精。ひとつの本屋が出来たときに生まれて、なくなるときに消えてしまう。
「あなたは、これでよかったの?」
ずっとだまったままの本に、リセラは聞いた。いつもおとなしいけれど、今日はとりわけ静かだった。はなればなれになってしまう他の本たちにも何も言わないままだった。
ここの本たちが全部なくなったとき、リセラはいなくなってしまう。
物音ひとつしなくなった店の中を、リセラは見回す。もう、これで最後。
「わたしの場所、わたしの本たち……」
みんなが寝しずまったころになって、奥のほうから灯りが近づいてきて、リセラはそちらを見た。
店主がランプを手に入ってくる。電気がとまっているわけでもない。木戸のすき間から外の明かりが射しこんでいる。なのに、店主は電気もつけずにランプをかざして部屋の中を見わたす。
それから、ゆっくりと棚の方へ。
ランプを横へ動かして、棚の本をながめてゆく、
そして、それが止まる。ほのおの中にうかび上がる背表紙。
「あっ」
リセラは声を上げた。
それに気づいたのか、店主がゆっくりと振り向く。でも、すぐに本棚のほうに向きなおった。
人間が本の妖精に気づくことはない。きっと何かほかのことを思いついただけだろう。
リセラが声を上げたのは、それまで黙ったきりだった本が光りはじめていたからだった。
店主が本棚に手をのばす。あの本の方へ。
リセラはつぶやいた。
本の妖精。とある古本屋に住みついている。
いま、リセラが見ているのは、もう長いこと棚にある古ぼけた本。その両どなりの本はわりとすぐに売れるのに、その本だけはいつまでもそこにある。すこしだけ左右に場所がずれることはあっても、そう大きく変わることもない。
リセラは本の妖精。本と人とを結びあわせる妖精。
人が本をえらぶとき、ほんとうは本がそれを読む人をえらんでいる。でも、それも違う。本と人との出あいは、妖精がやっている。そのひとりがリセラ。この古ぼけた本屋で、人と本を結びつけてきた。
ただ、リセラの仕事ももうすぐおわる。この古本屋はもうすぐなくなる。
本の妖精は、本屋ができたときに生まれ、店がなくなるときに消えてしまう。
むかしはもっといっぱい古本屋があって、毎日がたのしかったけれど、今ではリセラのいる店だけがのこった。
売れのこりの本は、もうほんとうに長いこと、そこにあった。
この本を買ってくれる人が来るまでは、どうか店がなくならないでほしいとリセラは願った。
だからといって、だれでもいいというわけにはいかない。
本は、それをほんとうに必要としている人にこそふさわしいのだから。
本の妖精は、中みを読まなくても何が書いてあるのかが分かる。これはとてもいい本だと、リセラは思っている。これまでに売れたどの本よりも、ずっといい本だと思っている。なのに、この本に合う人はこれまでに一人もいなかった。
かわいそうな本。
リセラは少し黄ばんだ背表紙にほおずりをする。
きっと、見つけてあげるからね。
そう、声をかける。
実際のところ、全部の本が妖精によって結び合わされるわけじゃない。半分くらいは何もしなくても勝手に売れてしまう。本にもこころがあって、それを感じた人が買う場合もあるし、性格がはでな本は目に止まりやすかったりする。
そういう時は、本の妖精はちょっぴりさびしかったりする。
店主が店の奥であくびをしている。
もうそろそろ店を閉めるのかな?
リセラは思った。外はもう真っ暗になっている。道を歩く人はいるけれど、だれもこの店に目を向けない。
そこへ、ひとりの若者が入って来た。
おずおずとしたようすで、手には一冊の本を持っている。外に平積みにされていた文庫本。
ああ、またしくじった。
リセラは思う。
結び合わせは妖精の仕事なのに。
その男の人はまっすぐに店主のところへは行かず、店の中を見回している。
あ、この人はほんとうに本が好きな人なんだと、リセラは思った。
じゃあ、きっとこの本も気に入るんじゃないかと、ようすをうかがう。
本と人とを結びつけるとは言っても、むりやりに引き合わせるわけじゃない。それとなくみちびいて、相性をたしかめないといけない。
本と人とのあいだに、うすい光の線が見えたら、それを結びあわせる。うまくむすぶことができたら、人はその本を手に取る。そこで最後の仕上げ。本のこころを人に流し込む。
男の人は店の中を見まわしたあと、まっすぐにリセラの方へ来た。
この人なら、買ってくれるかもと、リセラは期待する。
本棚の隅に身をひそめて、リセラは若者が本に手をのばすのを今か今かと待ち受ける。
今はまだ、どちらからも光の糸は出ていない。いや、少しだけ出たり引っ込んだりしている。本からのびる細い光。それから若者の方からのびる、迷っているような感じの光。
これは、もう結んでしまってもいいだろうと、リセラは本のかげからそっと忍び出る。まずは若者のほう。これはうまくいった。でも、本の方がうまくつかまらない。手をのばしても逃げるようにくるくると円をえがくだけ。
「どうしてよ。あなたも、この人を選びたいんでしょう?」
リセラは問いかける。
そのことばに光の糸はリセラの周りを何周か回ったあとに、本の中に消えてなくなってしまった。
あわててその先端をつかもうとしたが、間に合わなかった。
これはいったい、どういうことなんだろう?
リセラは首をかしげる。
こんなことは、はじめてだった。
リセラが手こずっている間に若者はべつの棚の方へ行ってしまった。本からはもう光の糸は出ていない。背表紙の上からちらちらと様子をうかがうように、ちいさなかがやきがもれ出ているだけ。
「あなただけ、売れのこってもいいの? あなたは、あのひとにぴったりなはずよ」
リセラは聞く。それでも本は小さな光のつぶをわずかに振りまくだけで、何も言わない。
若者は最初から手に持っていた本を買っただけで、店を出て行った。
それからも本はずっとそこにあった。店をたたむ日はどんどん近づく。店じまいの札が出てからも、その本は売れなかった。
そしていよいよ最後の日。
売れ残ったのは、あの本だけじゃない。もっとたくさんの本が売れないままに残された。 もっと高価でめずらしい本もあった。そのなかで、あの本が特別というわけではなかった。でも、なぜだかリセラは気になって仕方がなかった。
看板の明かりを消し、外にあった台を片づけてから、店主は木戸を閉める。これが最後の日だというのに、店主はこれまで通りに、明日もまた店を開けるかのようにふつうに店を閉めた。
店の明かりも消して、店主はそのまま奥へと入ってしまった。
まっ暗な部屋の中で、本たちがおたがいにあいさつをしている。
「ごめんなさい、みなさん。ちゃんと結んであげられなくて」
リセラは売れ残った本たちにあやまった。みんな、リセラにお別れのあいさつをしてくれた。おつかれさまでした、ありがとうと。
そう、リセラは本の妖精。本屋に棲む妖精。ひとつの本屋が出来たときに生まれて、なくなるときに消えてしまう。
「あなたは、これでよかったの?」
ずっとだまったままの本に、リセラは聞いた。いつもおとなしいけれど、今日はとりわけ静かだった。はなればなれになってしまう他の本たちにも何も言わないままだった。
ここの本たちが全部なくなったとき、リセラはいなくなってしまう。
物音ひとつしなくなった店の中を、リセラは見回す。もう、これで最後。
「わたしの場所、わたしの本たち……」
みんなが寝しずまったころになって、奥のほうから灯りが近づいてきて、リセラはそちらを見た。
店主がランプを手に入ってくる。電気がとまっているわけでもない。木戸のすき間から外の明かりが射しこんでいる。なのに、店主は電気もつけずにランプをかざして部屋の中を見わたす。
それから、ゆっくりと棚の方へ。
ランプを横へ動かして、棚の本をながめてゆく、
そして、それが止まる。ほのおの中にうかび上がる背表紙。
「あっ」
リセラは声を上げた。
それに気づいたのか、店主がゆっくりと振り向く。でも、すぐに本棚のほうに向きなおった。
人間が本の妖精に気づくことはない。きっと何かほかのことを思いついただけだろう。
リセラが声を上げたのは、それまで黙ったきりだった本が光りはじめていたからだった。
店主が本棚に手をのばす。あの本の方へ。