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天空の庭はいつも晴れている 第9章 海

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「あっ、ガシェムさんのおじいさんだ」
 門前の道を歩いて来る老人を見て、アニスが声をあげた。夜の道を、野菜を積んだ荷馬車をひくロバを連れている。
「ガシェムさんのおじいさんは去年、市場に行く途中で亡くなったんです」
 アニスはガシェムじいさんをじっと見ていた。あまり怖いとは思わなかった。話に聞く幽霊は、恐ろしい目つきで睨むとか、不気味にニタニタ笑っているとか聞くが、じいさんは生きていた時と同じように、ただ黙々と歩いていた。
「死んだことに気づいてないんだ。あんなのいくらでもいるよ。放っとこう」
 ルシャデールは老人の方に背を向けて行こうとする。アニスはあわてて彼女の腕をつかんだ。
「待ってください。ガシェムさんはどうなるんですか?」
「どうなるって……」
 そのままだよ、とルシャデールは面倒くさそうに答えた。アニスは食い下がる。
「天の園に行けずに、ずっとああやってるってことですか?」
「そうだよ。言っとくけど」彼女はアニスの方へ向き直った。「おまえは初めて見るだろうけど、私はそういうのを今まで嫌ってほど、見てきたんだ。いちいちかまってたら、一晩あっという間に過ぎてしまう」
(でも、ずっとあのままなんて、かわいそうだ)
 アニスは恨めしそうにルシャデールを見た。
「そりゃ、ガシェムさんはあのままでも、別に困っていないかもしれないけど。僕は自分の家族が死んだことも気がつかず、土に埋もれて苦しんでるところなんて想像したくないです」
 ルシャデールはため息をついて、じいさんの方へ降りていった。アニスもついて行く。
「じいさん、どこ行くの?」
 ルシャデールは声をかけた。ガシェムじいさんは彼女の方を不審そうに見る。
「おめえさんはどこの子だね? 見たことねえ子だ」
「こんばんは、ガシェムさん」アニスがルシャデールの背中から出た。
「おお、おまえさんはアビュー様んとこの童(わらわ)じゃな」
「うん。どこへ行くの、おじいさん?」
「市場に野菜を納めに行くとこじゃ」
「おじいさん、今は夜だよ。それにおじいさんは……」アニスはちょっと言いよどんだ。
(はっきり言ってしまっていいだろうか? ショック受けないかな?)
 ためらっているうちに、ルシャデールが先に言ってしまった。
「じいさんはとっくに死んでるんだよ」
 それを聞いて、じいさんは大きく目を見開く。
「何を言うんだ、このあまっこは! わしはこの通りぴんぴんしている。どっこも悪くねえ。死んでるなんて、縁起でもねえ」老人は大きな声を出し、元気だと言わんばかりに腕を広げたり閉じたりして見せた。ルシャデールは、小馬鹿にしたようにそれを見やる。
「死んだもんは死んだんだよ」
 じいさんの白いもじゃもじゃ眉が吊り上ったのを見て、アニスがあわててルシャデールを制して前に出た。
「ねえ、おじいさん。おじいさんはいつからここを歩いているの?」
「わしか? けさ、夜明けに礼拝へ行ってから野菜を収穫して、朝飯を食って、それからじゃよ」
「おじいさん、周り見てごらんよ。真っ暗だよ」
 その時、老人は初めてあたりの景色に気がついたようだった。まわりをきょろきょろ見回した
「こりゃなんとした。いつの間に夜になったんじゃ」
「うん、だから、晩御飯食べに帰らなきゃ」
 アニスはルシャデールを見た。どこへ連れて行けばいいのかわからない。
「光を探すんだ」彼女はぼそっと言った。
 光? アニスはきょろきょろ見回し、頭上に月よりも明るい輝きを見出した。
「おじいさんあの光見える?」
 じいさんはアニスの指差す方を見上げた。
「ああ、あの光かね?」
「うん、そっちへ行けば家があるよ。きっとご飯の支度できてるよ」
「そうか、そうか。それじゃまた明日な。おまえさんも早くお屋敷にお帰り。悪い友達と遅くまで遊んでるんじゃないぞ」
 そう言ってガシェムじいさんは、ルシャデールの方をちらりとにらみ、ロバと荷車を連れて光へと向かって行った。
「大丈夫かな? ちゃんと『庭』に行きつけるんだろうか?」
「たぶん。途中、囚われの野にとっつかまらなければ大丈夫だよ」
「囚われの野……?」
 ルシャデールはうなずき、ぷいと背を向けて街の方へ移動する。
 音楽が聞こえる。広場にはケシェクスの踊りの輪が見えた。晴れ着を着た男女が手をとってくるくる回ったり、跳ねたりしている。
「灯りがきれいだ」アニスがつぶやく。
「うん。踊りの輪の上に、精霊が来ているよ」
 よく見ると、確かに青や白、黄色など小さな光の玉が飛び交っている。音楽に合わせるかのように、リズムに乗った動きを見せていた。アニスはルシャデールの方を向き、たずねた。
「一緒に踊ってるの?」
「そうじゃないかな。祭りのように浮かれた気分のところには精霊がよく集まるんだ。でも、あのうち半分は死んだ人間の魂だよ。祭りが懐かしくなって上から降りてきたやつもいれば、上にまだ行けていないやつがふらふらと寄ってきたのもいる。……さ、行こうか。こっちの風景はまた見れるよ」
 こんな鳥みたいに上から街を眺める機会なんて、そうあるもんじゃないけど。アニスはもう少し見ていたい気がしたが、ルシャデールに手をとられて上へあがっていった。
 あたりは再び先ほどの暖かな闇に包まれた。
「ここからが本当のユフェリだよ」ルシャデールが教えてくれた。「こっちの世界は何も見ようとしなければ見えない。肉眼で見ているわけではないから。波の音が聞こえる? ここは海なんだ」

 それは……大地と空がひっくり返るような瞬間だった。
 闇が一瞬にして消えた。
 浜辺に沿って松林が延々と続いている。
 その先には白い灯台が崖の上に見える。
 そして……海。
 見はるかす青い水。
 繰り返し打ち寄せる白い波。
 アニスは言葉もなく、ぽかんと口を開けて海に見入っていた。
「海だよ。見るの初めて?」
 アニスはうなずく。
(これが父さんが話してくれた海……)
「うわあー海だあー!」
 叫ぶや駆け出したアニスはまっしぐらに波打ち際に向かった。
 澄んだ海は手前が碧色、遠くになるにしたがって青緑、セルリアンブルーへと変化していく。波に足を洗われながら、アニスは海水をすくいあげ放るように飛ばす。
「子供じみたことしてるよ」ルシャデールは冷ややかにつぶやく。
〈子供だからな〉突然、カズックが向こうの世界から話しかけてきた。〈おまえはどうなんだ? 最初にここへ来た時、ああいうことはやらなかったのか?〉
〈……やった。だって、私は七歳くらいだったよ。おまえがここに初めて連れてきてくれた時〉
〈ああ。覚えているさ。七歳という年齢にしては、あまりにもやさぐれていたからな〉
〈……〉
 気がつくと、アニスはかなり遠くまで行っている。
〈あいつ溺れないか?〉
〈溺れない海だよ、ここは〉
〈そうじゃない。こっちの、カデリの感覚が染みついているんだぞ〉
 水の中では息ができない。高いところから落ちたらケガをしたり、死ぬ。空を飛ぶことはできない。火は熱い。氷は冷たい。