天空の庭はいつも晴れている 第8章 ミルテの枝
あたりを見回してアニスは思った。一筋の光もない。しかし、同じ闇でも北丘陵の夜に体験した闇とは違う。気持ち悪くはなかった。もっと柔らかく暖かい。心が自然と開かれていくような安心感に満たされている。母の胎内はこんな感じだったかもしれない。
御寮様はどこに行ったんだろう、それにカズックも。そう思ったら声が聞こえた。
「……ニ……ス、アニ……ス、アニスったら! 何回も呼ばせるんじゃない!」
振り向くと、すぐそばにルシャデールがいた。その足元にはカズックもいる。
「ごめんなさい、気がつきませんでした」
周りはすべて闇なのに二人は見えている。それをあまり不思議とも感じなかった。
「どんな風に見えてる?」ルシャデールがたずねた。
「え?」
「私とカズックは見える?」
はい、と答えて、質問の意図がわからず、アニスはそのままルシャデールが何か言うのを待った。
「他は?」
「真っ暗です」
ルシャデールはカズックの方を見た。
「ここはまだ冥界とは言わない。生きた人間の世界と重なっている。門前の道ってところだな。屋敷の上空だ」カズックは説明した。
闇が少し薄らいだ。灯りがいくつか見える。建物が足のずっと下に見えている。
「あっ!」
うわあああー! 落ちる! 助けて!
急速に地上が近づいて来る。激突する直前、がくん、と落下が止まった。アニスの足が強い力で掴まれ、宙ぶらりんになっていた。
「ばーか。落ちないよ」
バカにした口調でルシャデールが言った。彼女はアニスの足首を握って空中に留まったまま、微塵も揺らがない。カズックが教えてくれる。
「俺たちは魂だけなんだ。肉体を持った状態なら、この高さで支えも台もなければ真っ逆さまに墜落するだろうが。人魂の話を聞いたことあるか」
「うん、死んだ人の魂が青白い炎になって浮いているとかって」
「そうだ、今ああいう状態だ。人魂は浮いていても下に落ちたりしない。ただ、落ちると思うと、落ちてしまうだけだ」
「落ちると思うと落ちる……落ちないと思えば落ちない?」
「その通りだ、坊や」
「腕離すよ」ルシャデールはそう言って、手を離した。アニスはそのまま浮いていた
「すごい……」
まわりを見てごらんよ、ルシャデールが言った。三人がいるところは屋敷の屋根と同じ高さだ。真下には玄関から門までの石畳が見える。門番小屋の外では門番と庭師がカードゲームに興じている。かたわらには酒の瓶が転がっている。門番が手を叩いて笑っている。金を賭けていたのだろう。庭師がポケットから小銭を取り出して相手に渡していた。
「ユフェリと言っても、見ての通り、この辺はまだカデリと重なっている」カズックがアニスに説明した。
「おれはこっちでおまえたちの体を見ててやるよ。二人で行ってこい」ルシャデールの顔が心細そうなったのを見て、彼はつけ加えた。「おまえは何度も行ってるんだ。坊やをちゃんと案内できるだろう?」
ルシャデールはうなずいたが、内心は心配だった。
「大丈夫だ」カズックはアニスの方を向いた。ユフェリにはあちこちに案内人がいる。困ったらすぐ助けを求めればいい」
「うん。僕たちの体を頼むね」
アニスに不安はなかった。
「行くよ」
ルシャデールはアニスの手を取った。
ユフェリに向かっていく二人を見送り、カズックはつぶやいた。
「頼んだぞ、坊や……」
作品名:天空の庭はいつも晴れている 第8章 ミルテの枝 作家名:十田純嘉