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天空の庭はいつも晴れている 第8章 ミルテの枝

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『おやおや、その誰かさんは突然神様に連れて来られてしまうのかい? 親や兄弟や友達と別れて?』
『ダメかな? じゃあ、じゃあ……僕がその島に住む! そして鵺鳥と友達になるんだ。そうすれば、鵺鳥は寂しくないね?』
『ああ、きっとそうだね。そして鵺鳥は幸せに暮らしました、おしまい』
 そこで家の灯りが見えてきて、父さんと競争したんだった。エルドナが生まれて少し経った頃だった。
「よっ、なにぼんやりしてるんだ!」
 いきなり後ろから背中を叩かれた。アニスの思いは破られた。シャムだった。苗の入った籠を肩に担いでいる。
「痛いよ」
「さっさとやんねえと、二十五軒終わんねえぞ」
 はっぱをかけてシャムは、薬草園へ走っていった。再び、アニスは鵺鳥に思いを巡らす。ルシャデールという名の鵺鳥に。
 先日、執事に言われたことは忘れていなかった。あの時はショックだったが、よく考えてみると、誰かの悪意があるような気がした。誰かとはもちろん言うまでもない。アニスは唇をかむ。
 お屋敷を追い出されたっていい。僕は正しいと思った方へ行く!
 
「おい、起きろ! 起きろったら、起きろ!」
「うーん、うるさい」
「何を言う、起こせと言ったのはおまえだぞ」
 カズックの声にゆっくりと目をあける。室内は暗さがやわらぎ、外は青い大気に包まれている。まだ夜明け前だ。ルシャデールははっと気がついた。トリスタンに会わなければならない。がば、と起き上がる。
 養父と話をしなければと思ったのは三日前だったが、話す機会がなかった。例年ならば祭りの一週間ぐらい前から帰宅しないのだが、今年は深夜になっても連日帰宅しているという。先だっての失踪騒ぎで、ルシャデールのことを気にかけているらしい。ただ、出仕が早朝のため、彼女が朝起きた時にはすでに屋敷にはおらず、実質的にはいないのと同じだった。
 顔を洗って、服を着て、髪をとかし、御浄衣処《ごじょういどころ》へ向かう。
アビュー家の屋敷は神和師の住まいとして、通常の貴族の屋敷にはない施設がある。舞楽堂、御浄衣処、御定処《ごじょうどころ》、御禊処《おみそぎどころ》の四つである。一階の表廊下を東に行くと隣の大寺院へ通じる渡り廊下に出る。渡り廊下は途中で分かれており、右へ行くとそれらの四施設へ繋がっていた。
 手前から禊をする御禊処、祭事用の衣服に着替える御浄衣処、静かに瞑想をする御定処、そして奉納舞踊の修練を行う舞楽堂が並んでいる。
 トリスタンは御浄衣処で結髪の最中だった。
 何と言って声をかけていいものか迷って入口に立っていると、イェニソール・デナンが気がついた。
「おはようございます、御寮様」
「おはよう」
「おはよう、ルシャデール。今朝は早いんだね」
 結髪しているトリスタンは振り向かず、目線だけ彼女に投げかける。
「忙しいだろうけど、ちょっといい?」
「もちろん。支度にはもうしばらく時間がかかる」
 トリスタンはまだ祭事用の長衣を着ていなかった。ルシャデールは部屋の隅に座った。支度するのを見ているのも面白かった。トリスタンの髪は柄の長い筋立ての櫛でいくつかの部分に分けられ、左右に三分の一残し、頭頂部に結い上げられる。デナンの持つ櫛ですいすいとトリスタンの髪が結われ、形作っていく。ルシャデールは不思議なものをみるようにそれを見つめていた。
「そのために髪を伸ばしていたんだ」
「そうだよ。髪も装具の一つなんだ。似合う、似合わないにかかわらずね。」
 ルシャデールはいつもと違う養父の姿をじっと見る。端正な顔立ちだと思う。神和師でなければ、あちこちの女性から好意を集めたに違いない。
「何か話があったんじゃないのかい?」
 黙っているルシャデールに、トリスタンの方から問いかける。
「うーん……やっぱりいい。何を話すか忘れた。」
 召使のアニスと『御寮様』のルシャデールとでは身分が違うから、親しく話したりできないのがつまらない。何とかしてほしいと、言いたかった。だが、何とかしてもらったとしても、ますますアニスを困らせることになるかもしれない。
(アニスのことじゃない、言わなきゃならないのは)
 そう思ったが言いだせず、それより髪が結われていく様がなかなか面白い。
「見てていい?」
「もちろん」
 頭頂部に作られた瓜型の結はアーモンドオイルと蜜蠟で作られたワックスで固められた。結の根元は銀色のリボンできつく縛られ、余ったリボンは後ろに垂らす。次に結のまわりにヒスイや銀、アベンチュリンなどの石がついた髪飾りをつけていく。
 耳にはトルコ石を飾る。左腕に銀の太いブレスレット。細かな細工がしてある。装飾品を身につけていくと、天上から降りてきた神のようだ。しかし、神よりももっと、温かい血の流れを感じる。
(うん、いいな)
 心の中でつぶやく。そして最初の問いが彼女に降りて来る。さりげなく、辛辣な問いを発する。
「あなたにとって、私は何なの?」
 トリスタンは深く息を吸い、少女を見る。跡継ぎの養女。そんな答えは求められていない。家族……にはなりきれていない。
 返ってこない応えにルシャデールの方が口を開く。
「私にとって、あなたは家主みたいなものだと思う。親子ではないし、家族でもない。たぶん、あなたもそうでしょ? あなたの家族は向こうの人たちだ」
 薔薇園の中の一つの家族。ルシャデールは幸せそうなその姿をくっきりと思い出すことができる。愛し合っている男と女がいて、その間に生まれた子供がいる。祝福された子供だ。彼女には手の届かない世界だった。
「確かに、あの二人は私の家族だし、君とはまだ、そういう風にはなれていない。跡取りということがなければ、養女に迎えることはなかった。それも事実だ。だからといって、 今、現実にここにいる君のことをおろそかに考えているわけじゃない」
 養父も悩んでいるのは、ルシャデールにもわかる。彼自身も幼い頃に、アビュー家に連れて来られた。神和師になることが、何を意味するかも理解せぬままに。
最愛の女性と実の子は、世間に公表できない。表むきは他の男のものになっている。跡継ぎの養子とは、親子にもなれず、といって他のものにもなれない。
「どうして血がつながらないのに、私たちは親子にならなきゃならないんだろう? 親子って何だろう?」ルシャデールは誰に、というわけでもなくつぶやく。
 トリスタンは重苦しそうに目を伏せた。それから再びルシャデールに眼差しを戻した。
「君はどうしたい? ここを出て行きたいとでも?」
 ルシャデールは首を横に振った。
「それも悪くないかな。辻占いのルシャデールに戻るだけだから。でも、今はまだ出て行かない。あなたがこんなひねくれた娘は、すぐ出て行って欲しいと言うなら別だけど……」
「そんなことは考えていない」
 情けない気分に侵されて、トリスタンの顔はしだいにうつむきがちになっていく。
「御前様、顔を上げてください」
 トルコ石のピアスをつけようとしていた侍従が声をかける。その声にトリスタンは頭を上げた。
「あなたが悪いわけじゃない」
 ルシャデールは立ち上がった。