木陰の妖精ウズラ
鳥たちの声を聞きながら、ウズラは思った。
もうずっと花を咲かせない木。それでも春には新しい葉をつけ、秋には色づいて樹下に極彩色の絨毯を敷きつめる古い木。
その根元のちいさなくぼみに鳥がさえずるのを聞いて、ウズラは微笑む。
冬を知らせる風が通り過ぎる。乾いた音をたてて枝がゆれる。
金色の穂波はもうない。その向こうの村のほうをウズラは見やった。
毎年、冬前になると訪れる鳥たち。おそらく同じ鳥なのだろうが、数年ごとに入れ替わる。今、下にいるのは去年と同じ鳥だった。
この鳥は、寒い冬の間だけ来ては、まだ暖かくなる前に去ってゆく。春を知らない鳥たち。でも、彼らは冬の間に卵を産み、新しい命と共にどこへともなく去ってゆく。
音もなく枝から幹を伝い、そして地上へ。木の陰からそっと顔をのぞかせると、からまった根っこの隙間に鳥がいるのが見える。早々に巣をこしらえ、そこにはすでに小さなまだら模様の卵が幾つか産み落とされている。
そう、ウズラは冬の守り役、小さな命のお守役。
視界の隅に、黒いものが動く。
ああ、また来たかと、ウズラはそちらを見る。
鳥の方もすでに気づいていて、一羽がしきりに金切り声をあげて飛び回っている。
近づいてくる黒いもの。黒猫のキャティ。これもまた、毎年のこと。鳥の卵を狙って来る。
「性懲りもなく、また来たのね」
ウズラは前に進み出て言う。
「またで悪かったな」
キャティが悪びれるふうでもなく言った。
「あなたには、ほかに食べるものがいっぱいあるでしょう?」
「ぼくだって、新鮮なものが食べたいのさ。人間のくれるものは残りものだからね」
「だからって、生まれる前の命を食べることはないでしょう」
キャティは鼻で笑う。
「生まれてから食べるより、ずっといいだろうよ」
「どうしてよ」
「生まれてしまったら、痛いとか思うだろう? いろいろ苦しむまえに食べてやる方が親切というもんだ」
「親切ですって?」
ウズラが問う。
「そうだよ。生まれてきてから食べたら、血を流す。こいつらは生まれても、いつも誰かに狙われる。それよりも前に食べてやるんだ」
「かわいそうとか、思わないの?」
「かわいそう? 思わないね」
「どうして?」
「卵は卵だ。血を流さない。いろんな苦しいことやいやなことを知る前に食べてやるんだ。それを思い知らされるよりも、ずっといいじゃないか」
「それは理屈だわ」
「そうかな? こいつらが卵からかえって、いつも誰かにおびえて暮らしながら世の理不尽を嘆き続けると分かっていてもか?」
「そんなの、分からないじゃない」
ウズラが言う間にも、鳥はキャティを追い払おうとして飛び回る。
「ほら、見ろよ。こいつ、こんなに必死になってるぜ」
キャティがせせら笑う。
「当たり前よ。あなただって、自分の子どもが食べられそうになったら、守ろうとするでしょう?」
「まあな。でも、僕には分からない。守れないものは仕方がないじゃないか」
「あなたは、それでいいの?」
ウズラは憐れみの目で、キャティを見る。
「いいとか悪いとかじゃない。世界はそういうふうに出来てるんだ」
幾度となく繰り返された会話。
キャティ。
キャティは黒猫だけど、ウズラがそう呼んでいるだけだった。以前は三毛、その前は茶トラだった。ここへ卵を狙いに来る猫を、ウズラはキャティと呼んでいるだけ。だから、ほんとうの名前は知らない。
「とにかく、この子たちは渡さない」
ウズラは、鳥の巣の前に立ちはだかる。
それを見て、キャティは首を振る。
「あんたは、ほんとうにお人よしだな」
「この子たちは、わたしが守る」
「ああ、分かったよ」
キャティが言う。「でも、あんたがこいつらを守ったって、僕はほかの所で卵をあさるだけさ。それは、どうするんだい? ほったらかしか?」
これは、猫一流の脅し文句。ウズラも何度となく聞かされた。
「わたしは、守れるだけ守る」
ウズラは毅然として言った。
「ああ、そうかい。じゃあ、せいぜい頑張るといいよ」
そう言って、キャティは村の方へ去って行った。
挑発するように尻尾を立てながら。
「ごめんね。びっくりしたよね」
猫が行ってしまってから、ウズラは鳥に声をかけた。
鳥はよろこびと安心の歌を歌いながら、ウズラの周りを飛び回った。
「いいのよ。いつものことだから」
ウズラはほほ笑んで、鳥に言った。
キャティは、からかいに来ているだけ。本当は卵が食べたいわけじゃない。いつもそう。遊んでいるだけ。
いまのキャティは男の子。前は女の子だった。でも、いつも言うことは同じ。
鳥は安心して、卵を温めることに戻る。もう一羽は食べ物を探しにどこかに行く。
前のキャティが言っていた。
この鳥だって、虫を食べている。ヒナがかえると、虫を取ってきて食べさせる。虫だって生きている。鳥が生きるために虫を食べることには何も思わないのかと。
そう、この鳥たちが食べている虫は、おとなになる前の幼虫。彼らにだって、いのちはある。
だからといって、目の前でうまれる前の命が食べられてしまうのは、見ていられない。
でも、待って。
ウズラは思う。
親鳥がヒナに食べさせる虫。その虫は、目の前で失われるいのちではないのかと。
ごめんなさい。
ウズラは目をつぶる。
わたしは、冬の鳥の守護者。木陰に憩うものの護り手。それ以外に多くを思えない存在。
ごめんなさい。
猫は、いつも多くのことを教えてくれる。
生まれ変わり、立ち替わり、ほんとうにたいせつなことは何なのかを教えてくれる。
でも、ウズラにはそれが分からない。
いつか、それを知りたいと思う。
キャティとウズラ。
毎年繰り返されることば。
いつか、お互いに分かり合える時がきたら。
風がこずえをゆらす。
ウズラは空を見上げる。
寒空にうすずみ色の雲が流れる。
ウズラは、はかなげに笑う。
いま、目の前にあるいのちを。
それを護ることだけしか出来ないのだと。