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天空の庭はいつも晴れている 第7章 無明の闇

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 六月も初旬に入るとそろそろ雨季が終わる。夏至の祭りドルメテも近づいていた。
 ドルメテの発祥は定かではないが、高温乾季の雨乞いがもとになっているのは確かとされている。東から月の女神シリンデと雨の竜クホーンを迎え、豊穣を願う。そんな趣旨の祭りだ。
 毎年、斎宮院の斎司長が月の女神の役を担い、神和師九人がクホーンを演じる。月の女神は王宮から、クホーンは斎宮院を出発して街を練り歩き、ピスカージェンの中央広場で出会い、舞うことになっていた。
「それは賑やかですよ。お練り行列は国中から見物に来ますし、芝居小屋もあちこちに建つんです。楽師もたくさん集まります。」
 新しくルシャデール付きの侍女となったソニヤが言った。
 噂通り、メヴリダは先週アビュー家を辞めていた。代わりに来たソニヤは四十近いが、これまでにも貴族やお金持ちの子供の乳母をしてきた女だった。
「ずっといてほしいと言われたんですが、若旦那様の赤ちゃんまでお世話をするのは、この年になるとちょっと荷が重いですからね。」
 来た翌日、彼女はルシャデールにそう話した。
 赤ん坊は走り回って屋敷の外へ出たり、癇癪《かんしゃく》おこして壺を投げることはしないがな、とカズックが後でつぶやいていた
「御寮様はお祭りを見にいかれるんですか?」ソニヤはルシャデールを夜着に着替えさせながらたずねた。
「ううん、興味ない」
 まあ、と、ソニヤは、ちょっと驚いたようだ。たいていの子供は祭りが好きだからだ。
 もちろん、ルシャデールだってピスカージェンに来て初めての祭りだ。心ひかれないわけではないが、他に気がかりなことがあった。
「御前様のお許しがあれば、私でよければご一緒しますが」
「いや、いいよ。おまえたち召使は行くのかい?」
 私たちはお屋敷の仕事がありますから、とソニヤは言い置いて、でも、と続けた。
「仕事がひけてからは、ケシェクスに行ったり、街の方へ飲みに行ったりするのではないでしょうか。今までいたお屋敷ではそうでしたわ」
「ケシェクスって?」
「ドルメテの五日間、あちこちの広場で、夕暮れ頃からダンスがあるんですよ。それがケシェクスです。毎年五月くらいになると、若い人はダンスの相手を探すのに大変な騒ぎなんですよ」
 フェルガナの社会は若い男女の交際には厳しい。娘の父親の許可が必要だし、交際できても二人きりで会うなどできない。会う時は必ずもう一人、乳母や弟などがついてくる。服の上からであっても、体に触れるなど言語道断。
 だが、ケシェクスだけは例外だった。自由にダンスの相手を選んでいい。門限もなし。
 そのためか、ピスカージェンでは秋ごろに結婚する男女が多い。たいていは、祭りの後、娘がみごもっていることに気づいた親が、あわてて結婚させる、というケースだ。
「他に御用はございませんか?」
「うん」
 彼女は最後にろうそくを消すと下がっていった。
 残ったルシャデールはアニスのことを考えていた。この前ドルメンで決行の日や必要な道具のことを相談してから一週間が過ぎている。
 マルメ茸とヌマアサガオの煎じ汁さえうまく効けば、アニスのユフェリ行きはうまくいくだろう。心配することはない。
 気がかりというのは、ここ何日かアニスの様子が微妙に変わってきたように感じることだ。表面的には目立った変化はない。顔を合わせれば、にこっと笑ってくれるし、話すそぶりもこれまでと同じだ。だが、彼の方から漂ってくるのは不安、怯え、後ろめたさ、そんな暗い感情だ。
(ユフェリ行きが不安、という程度ならいいけど)
 ルシャデールは寝返りを打った。


 ドルメンには土瓶や楕円《だえん》形の携帯こんろのラペム、燃料にする炭団が持ち込まれていた。これらはみんなアニスが用意した。土瓶やラペムは、使っていない道具をしまいこんでいる倉にあったのを借用してきた。倉の正面扉は鍵がかかっていたから、高窓によじのぼって侵入したという。炭団は薪小屋にあったのを失敬した。
「こそ泥の修行をしているみたいだね」
 ルシャデールに言われてアニスは困ったような顔で応えた。
 遠くから植え込みを刈っている音が聞こえる。フェルガナの六月は暑い。ドルメンの中は幾分涼しいとはいえ、カズックは身を扇ぐように太いしっぽを動かしていた。
「決行するのは祭りの三日目にしよう。朝食の後ぐらいからカズックが煎じ始める。昼過ぎは私が見に来るよ。夕食の時にはいったん屋敷の中に戻らなきゃならないから、またカズックが一人で見張る。夜、八時頃には煎じ終わるんじゃないかな。」
「十分だ。ただ一つ問題がある」カズックが言った。
「何?」
「おれの飯は? あたるのか?」
「私が入る時に、厨房の方へ行けば何かもらえるだろ」
「ちゃんと交代に来るんだろうな?」カズックは念を押す。
「もちろんだよ。何疑ってるのさ」
 カズックなら二、三日ご飯をもらえなくても大丈夫そうだけど。女の人たちにすり寄ったりして、自分で調達できそうだ。アニスは二人の様子を笑みを浮かべて見ていた。それからふっと、シャムに言われたことを思い出して顔が陰った。

 昨夜、寝る前にシャムが部屋に来たのだ。彼の話によると、アニスとルシャデールのことは『ちょっとした噂』になっているようだ。大方はほほえましく見守っているが、批判的な目を向けている者もいるという。筆頭はもちろんクランだ。
「あいつは次の侍従の座を狙ってるって噂だぞ」
「そうみたいだね」
「何かされたのか?」
 ううん、と、アニスは否定した。この間、クランに脅されたことは、シャムにも知られたくなかった。
「あいつ根性悪いから、そのうち何されるかわかんねえぞ。気をつけろよ」
 それに、御寮様と遊ぶんなら、さぼっていると思われないようにしろ。シャムはそうつけ加えた。アニスがルシャデールとこっそり何かやっていることが、使用人の中にも広まっているようだ。
 
「どうしたの、考え込んで?」黙り込んだアニスにルシャデールはたずねた。最近、アニスは黙り込むことが多い。「何か心配?」
「いえ……どうしてこんなに、よくしてくれるんですか?」
「え?」
「僕なんかのために。御寮様はこのお屋敷のお嬢様で、全然身分が違うのに、心配してくれた上に、向こうの世界に連れて行って下さるなんて」
「別に心配なんかしてないよ。うーん、そう、暇だからかな」
ルシャデールは笑ったが、アニスの真摯な瞳に捕らえられ、黙った。彼女のように世間ずれもしていなければ、ひねこびてもいない。アニスの星空のような純粋さは、柔らかくふわりと彼女を負かす。
 最初から持たなかった子と、途中で失った子。アニスならわかってくれるような気がしていた。何を? 答えはない。胸をかきむしられるような焦り、痛み、苛立ち。でも、それをうまく言葉にできない。
「優しいですね、御寮様は。」
 初めて言われた言葉だった。だが、かえって心が波立つ。