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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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駅 ~Terminal~

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私は、何を見るでもなく立っている。
 夜の駅の改札前。
 ラッシュを過ぎてなお、慌ただしさの残る時刻。
 何を待っているのか、何をしようとしているのか。それももう忘れかけている。
 だから、ただ立っている。
 電車が着くたびに決して多くはない人たちが改札を出てくる。
 改札の正面に乗車ホーム。
 1番線と2番線。
 二つの線路を挟んだ外側が降車ホーム。
 急行と、普通電車が交互に到着しては発車してゆく。
 降りる人が右、左、右からへと変わる。
 その中に、私の待つ人はいない。
 だって、私は待っているわけじゃないのだから。
 簡素な造りの終着駅。地下鉄との乗り換え用の屋根の下を人々が行き交う。外は小雨。
 私は濡れてもいない赤い傘の先で、床を何度か突いた。



 彼女がそこに立ってから、もう20分近くが経っている。
 普通と急行がそれぞれ10分おきに発車する。彼女が乗るのは急行列車。それももう、3本目が到着しているにも関わらず、彼女はそこから動こうとしない。
 改札の内側から、僕はただそれと気づかれないよう、視界の隅で彼女を捉えている。
 見てはいけない。
 もう、忘れてしまった。そう思ってくれるのが一番いい。僕の存在など関係なく、気兼ねなく自分の人生を送ってくれるのが一番いい。
 そちらに目を向けたい気持ちを抑えて、僕はただ改札に立っている。
 乗客と、ただの駅員。運命のいたずらで、この駅に配されて、ほとんど毎日彼女の姿は目に入ってしまう。
 ずっと前に終わった恋。華々しく散ることさえ許されなかった思い。
 でも、今日の彼女は違った。いつものように真っ直ぐに改札を通り抜けるのではなく、到着する電車の見える位置に立ち続けている。嫌でもこちらからも見える位置に。
 改札というのはそういう造りになっている。だから、どうしても目についてしまう。
 誰かを待っているのだろう。その待ち人が来たら、それがどんな男なのか興味はあった。それに、いつも今にも泣きだしそうな表情の彼女が楽しそうにしているところを見てみたかった。それが決して自分には向けられないものだとしても。
 さきほどまで、小雨が降っていた。
 彼女は目立つ赤い傘を地面に立てている。
 そして時々、傘の先で地面を叩くのだった。



 彼は、私に気づいているのだろうか。
 たぶん、気づいているに違いない。
 でも、決して私の方を見ようとはしない。
 分かっている。
 彼は、私を避けている。
 そりゃそうだと思う。だって、私は彼を振ってしまったのだから。振ったと言えば、それさえ綺麗ごとになってしまうかもしれない。私は、はっきりと彼の告白に答えを返したわけじゃない。ただ、逃げただけ。初めて男の人から告白されて、どうしたらいいのか分からなかったから。
 でも、私は気づいた。
 ずっと女子ばかりの環境で育って、頭でっかちになっていたのかも知れないと。ついひと月ほど前に、付き合っていた人と別れた。周りからはいい人だと思われていて、確かにいい人だったけれど、なかなか合わなかった。
 誕生日とか記念日は祝ってくれたし、それなりに気を遣ってくれていたとは思う。でも、私をきちんと見てくれていないような気がしていた。
 私は別れる理由を探しながら付き合いを続けることに、いつの間にか疲れていた。お互いに言い争うこともなく、何となく別れた。理由なんて、本当はどうでもよかったのだろうと思う。
 私のことを本当に見てくれる人はいるのだろうか。
 空っぽになった心で何日も過ごした。表向きはいつも通りに振舞いながら。
 そんな中、いつも通る駅に彼がいるのを見つけた。まさか、私を追ってということもないだろうし、人事異動でそうなってしまっただけに違いなかった。
 利用する駅が同じで、時おり出会ってしまうこともあった。そんな時、彼はいつも一瞬驚いた顔をして、すぐにまるで気づかなかったかのような素振りを見せた。
 それが私に関しての嫌な出来事を思い出してなのか、それとも彼がまだ私のことを気にしているからなのかは分からない。
 でも――



 彼女はいつまで待つのだろう。いったい誰を待っているのだろう。もうすぐ電車の本数が減ってしまう。まさか、こんな時間からデートでもあるまいし。
 駅に隣接したターミナルからは深夜バスも出ている。でも、旅行に出かけるようないで立ちでもないし、それらしい荷物もない。
 僕は彼女を気にしながら、改札前を通り過ぎる人たちを眺める。
 思いつめたような顔。彼女はいつも、そんな顔をしている。それが、僕がここにいるからなのかどうかは分からない。分かっているのは、初めて見たときからずっと、彼女はそんな表情をしていたということだけだった。
 憂鬱そうな表情、潤んだ瞳、髪をショートにしているのも、あの時から変わらない。
 もういいだろうと思う。
 彼女が何を、誰を待っているのでも。
 でも、きっと――



 彼が私を気にかけているのが分かる。努めてこちらを見ないようにしていても、気配を感じる。
 そう、きっと彼は私をまだ好きでいてくれる。
 どこにいようと、私を気にかけていてくれる。
 彼なら……
 彼なら、きっと私を……
 だから、私は――
 今日こそ――



 今を逃せば、思いを伝えることは二度と出来ないだろう。
 僕は意を決して、奥にいる上司に声をかけた。急用で家に連絡しなければならないことがあると。多少の小言は覚悟の上だったが、上司は出来るだけ早く済ませるようにとだけ言って、持ち場を離れる許可をくれた。
 上司と交代し、僕は改札の外へ出る。
 もう、失敗は許されない。
 彼女には気づかないふりをしながら、視線は別の所に定めて、僕は歩き出した。



 ずっと改札にいた彼が奥へ引っ込む。奥の人と何か話しているようだ。
 しばらくして、彼がドアを開けて出て来た。
 まさか。
 まさか――
 まだ決心すらついていないのに、予想外の行動に出られたら、何も出来なくなる。
 時間が恐ろしくゆっくりになってしまったような気がする。
 彼がこちらに向かって歩いてくる。
 まるで私を試そうとするかのように。
 そうじゃないことは分かっている。
 私は緊張で動けなくなってしまった。
 彼を目で追うことも出来ず、ただぼんやりと改札の向こうの電車に視線を投げる。
 気がつくと、彼は私の少し先を斜めに横切ってしまっていた。
 何がどうなっているのか分からない。
 何が起ころうとしているのか。
 彼はいったい、何をしようとしているのか。
 でも、今しかない。
 私は傘の柄を強く握りしめた。



 彼女が身を固くするのが分かった。
 大丈夫。何もしない。もう安心させてあげるから。
 僕は三つ並んだ公衆電話の前に立ち、出来るだけ自然にカードを差し込もうとする。でも、どうしても手が震えてしまう。残高が表示され、番号を押す。自分のものではないような強ばった指先で、迷いのない素振りで。
 呼出音。
 彼女の気配。
 緊張に息切れしそうになる。
 頭の中が真っ白になってゆく。
 電話の向こうに、高校時代からの親友が出たときは、少しだけ安堵した。
 こんな時間にどうしたと、友人が訊く。
作品名:駅 ~Terminal~ 作家名:泉絵師 遙夏