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天空の庭はいつも晴れている 第5章 動き出した計画

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<章=第五章 動き出した計画>


 五月も末になると、さまざまな花が薫る。
 薬草園では早くもラベンダーが咲き乱れる。その香りはルシャデールの部屋にも届いていた。ベッドわきや居間のテーブルに大きく飾られている。心を落ち着かせ不眠に効果があるからだろうが、興奮して壺を壊すなどしているからかもしれないと、彼女は思う。
 この季節は雨の日が多く、花守探しは進んでいなかった。
「市場を見に行きたい」
 雨季のさなかの、珍しく雲のない日だった。ルシャデールは執事に言った。
「アニスを連れて行く」
「連れて行くのは構いませんが、御前様はお許しされましたか?」
 そんなこともいちいち許可をもらわないといけないのかと思ったが、素知らぬふりで、
「うん」と答えた。トリスタンは施療所だ。患者が四、五人来ていたから、すぐには戻らないだろう。
「アニスは子供ですし、せめてメヴリダをお連れ下さい」
「あの女の顔を見たくないから出かけるんだ!」
 メヴリダの名を出されて、ルシャデールは思わず大声を出す。
 ちょっと外出しようとするだけで、許しはもらったかだの、大人を連れていけだの、大事《おおごと》になる。このまえアニスには迷惑をかけてしまったし、少しでも仕事を休ませてやりたい。そう思ったのだ。もちろん、自分も屋敷を離れて遊びたいという気持ちがあった。
 やってきたアニスは、執事に呼ばれたとあって、不安そうな面持ちだった。
「ああ、アニサード。御寮様が市場を見たいとおっしゃられている。お前は供について行きなさい」
「僕がですか?」
「そうだ。気をつけて行くんだよ。必要なかかりは屋敷に代金を取りに来るよう、店の者に言いなさい」
「はい」
 玄関から出ようとした時、デナンが入ってきた。
「お出かけですか?」
 ルシャデールはうなずく。
「市場を見に行ってくる」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」そうルシャデールに声をかけてから、彼はアニスの方へ「事故のないように、御寮様をお連れしなさい。そして無事に帰ってくること。いいね」と注意した。

 門を出て、西の方へ歩いていく。アニスは後からついて来る。
「ごめん」
 しばらくしてからルシャデールは立ち止まって振り返った。
「え?」
アニスも止まる。
「このあいだ、怒られて食事抜きだって?」
「あ……いえ、後でシャムがこっそり持ってきてくれました」
「おまえまで怒られるなんて……そんなつもりじゃなかった」
「御寮様のせいじゃないです」アニスはにっこり笑う。「僕は間抜けだから、前はよく怒られていました。慣れてるから平気です」
「間抜けじゃないよ」ルシャデールはむっつりと言った。「あんなメヴリダばばあの言うことなんか真に受けるんじゃない」
 二人は再び歩き始めた。
 道沿いにところどころ、古い城壁の石積みが残っている。場所によっては、大人の背丈よりも高い石積みもあった。ラーサ師によると、千年ぐらい前のものだという。グルドール帝国の襲撃に備えて設けられたらしい。自然に崩れたり、家を建てようとする者が持ち去ったりして、今では三分の一程度しか残っていなかった。ただ、その名残として、城壁沿いの道は『壁道《かべみち》』と呼ばれていた。
 壁道は屋敷の西で、北のナヴィータ王国へ向かう西街道と交差していた。南に折れればピスカージェンの市街に出る。市場に行くなら、もちろん左折することになる。が、ルシャデールはまっすぐ進んだ。
「御寮様! 市場へ行くなら向こうですよ」
 アニスが足早についてくる。
「わかってる。市場には行かない」
 え? とアニスは聞き返した。
「人のいないところに行きたい」
 屋敷ではあれこれ干渉され、注目されている。市場でも好奇の目で見られるだろう。
「でも、執事さんやデナンさんは市場へ行くと思っていますよ。もし何かあったら……」
 彼は不安そうだ。
「デナンはわかっているよ。私が市場なんか行かないって。出かける前、おまえに『無事に帰ってくるように』って言っていたのは、私に聞かせていたんだ」
「そう……だったんですか」
「いろいろあってさ」
 ルシャデールはせんだってのデナンとの話を思い返す。彼は主人側の人間としてとるべき態度を注意したが、手伝おうとした仕事の内容の適否については問わなかった。品位に欠けるとか、上級使用人ならば言いそうなことだったが。
(なぜ、デナンじゃなくトリスタンが叱らなかったんだろう)
 部屋へ戻ってつぶやく彼女に、カズックは
「離れた方がよく見えるだろう? 景色も、もめ事も」と答えた。
 それだけじゃないだろう。要するに、トリスタンは本気で私と関わる気はないんだ。面倒なことは侍従や召使にやらせておけばいいと思ってる。
 アニスが執事にこっぴどく叱られ食事抜きになったことは、その時にカズックから聞いた。
 貧しくてもいいから、普通の親と普通の暮らしがしたい。親に甘えたり、叱られたりしたい。自分でも気づかずにいた密やかな望みだった。薔薇園の家に行った日に、それは彼女の心の奥の深い洞窟から飛び出してしまった。飛び出した後で、望みは行き場を失って右往左往している。
「御寮様? どうなさったんですか?」
 うなだれて考え込んでいる彼女をアニスが心配する。
 何でもない、と首を振りルシャデールは、道の傍らの石積みに腰をおろした。アニスもそれにならう。
「この前、どうして本当のこと言わなかったのさ?」
「本当のこと?」
「私が無理に手伝おうとしたって、メヴリダに言えばよかったのに」
「同じことだったと思います」
 アニスは哀しげに笑った。
「同じ?」
「メヴリダさんからすると、主人である御寮様を叱るより、下っ端の僕を叱る方が楽なんです。きっと、『御寮様のせいにするつもりかい、ずうずうしい!』とか言って、やっぱり怒ったと思います」
 アニスはメヴリダの口真似をして言った。その甲高い声とやや早口の言い回しがそっくりで、ルシャデールは笑ってしまう。ややあってから、ぽつりと言った。
「おまえは怒らないんだね、メヴリダにも私にも」
「御寮様のせいじゃないです。御寮様は僕の仕事を手伝ってくれようとしたんです。メヴリダさんに対しては、……悔しいと思わないわけじゃないけど。あの人はああいう人だから、怒っても仕方ないです」
 ルシャデールはおや、と思って彼を見た。子供っぽく感じることも多いが、仕事や周りの人間に対しては、諦めているのか達観している。 
 丘を走る壁道からは眼下にピスカージェンの街が見渡せた。ごちゃごちゃと建て込んだ建物は身を寄せ合っているようにも見える。道から少し降りたところにも、何軒かの農家らしき家が建っていた。
 振り返れば、道の背後には草が生えているだけの丘が連なっている。このところの雨で草は青々としていた。
「あれは何?」
 ルシャデールは道のずっと先の丘に見える白い神殿のような建物を指差した。
「斎宮院《さいぐういん》です。斎姫《いつきのひめ》様の御住まいで、月の女神シリンデをまつっています」
「斎姫様って……巫女さんみたいなもの?」
「はい。斎宮院にはたくさんの巫女さんがいて、斎姫様はその長です」
 そう言えば、ファサードの列柱は神殿風だ。