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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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最愁列車

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女の恋は上書き。
 誰かがそう言った。
 でも私には、上書きされるものがない。
 何故って?
 そう、それからの時が停まっているから。
 ずっと同じ人を想っているから。
 次なんて、なかったから。

 たった一両の列車は雪原を走り続ける。
 私だけを乗せて。
 見えるものは白い原野、雪に覆われた立木、そして遠くの山。
 ブリザードで知られた最果ての地。
 雑誌の写真で見て、ここならと私は思った。
 街は嫌い。
 大勢の人たちの中で、自分が透明人間になったように感じるから。
 何気ない日常の中で、私だけが取り残されてゆく。
 限りなく希薄になって行く存在感。
 自分自身でさえ、存在しているのかどうか分からなくなる。
 誰もいない場所、誰にも忘れ去られた場所。
 そこに確かに存在しているのに、誰も見向きもしない場所。
 私にぴったりだと思った。
 この路線は、間もなく廃線になるのだと言う。
 平日だからか、マニアらしき人の姿もない。
 そういった趣味の人たちにさえ忘れられた場所。
 この列車に乗る前、切符を買う時に窓口の人に言われた。
 そこで降りるなら、事前に運転士に伝えないといけないと。
 そうしないと通過してしまうのだそうだ。
 時刻表には停まるように書いてあるのに通過されてしまう。
 実際、これまで数駅も減速するだけで通過している。
 案内放送で、私の降りる駅が告げられた。
 私は前に向かった。
 運転士がマイクを通して降車の確認をしてくる。
 私は予定通りに、その駅で降りる旨を伝えた。
 列車は減速し、小さな駅に停車した。
 降りる際、怪訝な表情で運転士が私に言った。
「何もないけど、本当にここでいいの?」
 私は、はいと答える。「写真を撮りたいので」
 そして、どうでもよいことを付け加える。
 運転士は、なるほどという顔になる。
「寒いから、気をつけて」
 最後にそう言ってくれた。
 私を降ろした乗客のいない列車が動き出す。
 どこまでも続く真っ直ぐな線路を去ってゆく列車を、それが見えなくなるまで見送った。
 本当に、何もない駅だった。
 列車一両分もない粗末なホーム。
 ベンチすらない。
 広告もない柵に、駅名の書かれた看板だけが立派だった。
 風が強い。
 見渡す限りの白い原野に一本の線路。交差する道路がこれまた白一面の世界に黒々とした創傷となって続く。
 ホームの横にはプレハブの待合室。
 人も車も見えない。
 辛うじて除雪された地面に降り立つ。
 線路の近くにいると、車輪の響きがまだ聞こえているのに気づいた。
 私は列車の去った方角を見た。
 すぐそこに列車がいるかのような、錯覚を覚える。
 風が耳朶を弄ぶ音以外で、唯一人の存在を感じさせるもの。
 それはまるで幻の列車が目前にあるかのような不思議な感覚を起こさせた。
 線路は少し高台を走っている。
 山側には凍てついた湖が見えた。
 寂しい?
 こんな所にひとりっきりで。
 私はむしろ、静かな充たされたような気分だった。
 何もない、本当に何もない世界で、私はたったひとり。
 他の誰にも紛れてしまわない、百パーセントの存在。
 誰と比較することもなく、人混みに希釈されない本当の私。
 ここでなら、それを感じることが出来る。
 本当に寂しいのは、大勢の人たちの中で、自分が忘れ去られること。
 そして、自分自身でさえ自分を見失ってしまいそうになること。
 どうしようもない傷跡。
 情けないほどに救いようのない恋。
 高校生の時からずっと好きだった、名前も知らないあの人。
 始まった時点で、すでに終わっていた恋。
 振られたのは分かっている。明確に態度で示されたわけではないけど。
避けられているのは分かった。
 だから、もう追いかけたりはしなかった。
 でもね……
 同じ駅を利用してるんだよ。
 たまには出会ってしまうのよ。
 ずっと会えないままなら、そのうち忘れられたかも知れない。
 何の悪戯か、彼とはよく出会ってしまった。
 町で見かけたこともある。
 大きくもない町だから、それは当然だった。
 その度に私は、知らない振りをした。
 同じ電車で、すぐ斜め向かいに彼がいても、それに気づかない振りをした。
 本当は、すぐにでも話しかけたい、その顔を何の躊躇いもなく見ていたい、そんな気持ちを必死で抑えて。
 それと、今にも溢れそうな涙をこらえて。
 だって、そうじゃない――?
 彼には、素敵な彼女がいるんだよ――?
 私なんか、足元にも及ばないような、綺麗な人――
 幸せそうな、絵に描いたように幸せそうな光景を見せつけられると、もう何も出来なくなる。
 略奪すればいいと、友達は言う。
 でも、それをすれば彼が哀しむ。
 一番好きな人の哀しみの上に、自分の幸せを築こうなんて思えない。
 傷心の私を慰めようと、男子と一緒のカラオケとかにも誘われた。
 新しい彼氏を作れ、と。
 そうやって適当にやってれば、それで忘れられると。
 無理だった。
 それとなくお喋りして、どうでもいいことで笑ってみせて。
 でも、それだけ。
 それ以上には進めなかったし、参加していた男子も誘っては来なかった。
 投げやりになって、夜の町を徘徊したりもした。
 酔っ払いが声をかけてくるのを、何度も無視した。
 一度など、思い切り袖を引かれて怖い思いもした。
 人間の薄汚い部分だけが際立つ、醜い町。
 派手なネオンで覆い隠された劣情。
 却って人間というものの存在に対する嫌悪感を増しただけだった。
 そして私は知っていた。
 その嫌悪感はそのまま私自身に対するものなのだと。
 いっそのこと、誰か他の人に抱かれてみようかとも思った。
 私の存在そのものを無視されるくらいなら、せめてこの身体だけでもと。
 でも、その勇気すらなかった。
 純潔だとか、そんなことはどうでもいい。
 そんなものは何の役にも立たない。
 そもそも自分で存在価値を認められないのに、そこにどんなステータスを重ねたところで意味はない。
 ゼロにいくら掛けても、ゼロでしかない。
 じゃあ、足せば――?
 漆黒のアビスの上に、何ものをも付け加えることなんて出来ない。
 成績はよかったよ?
 常に上位に入れるくらいには。得意科目だけだけどね――
 だって私は、勉強するしかなかったから――
 それを友達は羨ましがる。
 何なら、代わってあげるよ、まるごと――
 むしろ、代わってよ――
 無責任。
 みんな私を置いて行く。
 そして忘れていく。
 そんな私にとって、この駅はこの上なく相応しい。
 わざわざ事前に言わないと列車の停まらない駅。
 何もなく、存在すら忘れられているから、降りようとする人もいない。
 素通りされるだけのために造られた駅。
 そして私は、素通りされるためだけに生まれて来た存在。
 これはもう、笑うしかないよね――
 実際、私は笑っていた。声も出さず。
 こんな滑稽なことはない、と。
 どんなに泣こうが喚こうが、ここではそれを聞く人もいない。
 大勢の人に助けを請うて、必死でしがみついても、まるでそこに私なんかいないかのように振舞われ続ける。
 それは、本当に辛いことだった。
作品名:最愁列車 作家名:泉絵師 遙夏