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天空の庭はいつも晴れている 第2章 アビュー屋敷

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薬草摘みはアニスの好きな仕事だった。今日摘むのはカミツレの花だ。心を落ち着かせ眠りを誘う花は少し甘い香りがする。一面に咲く白い花は母や妹を思い出させた。
(坊様がお葬式で言っていたように、父さんや母さんは天空の庭から僕を見ててくれているはず。もう抱きしめてくれることはないけど)
 そんなことを考えていた時、黒っぽい塊が足元に跳ねてきたと思ったら、彼の肩に飛び乗った。
「痛いよ、パシャ!」
 黒灰色の猫の爪が服の上から肌を刺す。猫の来た方を見ると、見たことのない犬がいた。円形状になぎ倒された草むらの真ん中、ふんふんと匂いを嗅いでいた。そして犬の向こうから枯草色の髪の女の子が歩いて来る。
 アニスはにっこり微笑み、一礼する。
 だが、ルシャデールはしげしげと彼の顔を見た後、むっつりした顔のままそっぽ向いた。
 アニスは再び花を摘み始めた。無愛想な可愛げのない子。確かにそうかもしれない。
 と、ルシャデールが再びアニスの方を見る。様子をうかがっているような目だ。餌を差し出した時の野良猫に似てる。そう思って、なぜかおかしく口に笑みが浮かぶ。少女は怒ったようにアニスをひと睨みして、倒れた草に視線を移す。
馬鹿にされたと思ったのかな?
 といって、言い訳するのも変だったから、彼はそのまま花を摘み続けた。
「クホーンだ……」少女が独り言のようにつぶやいた。
 アニスはちらりと彼女に目を向ける。
 円形状に倒れた草むらを庭師のバシルは「雨虫様の足跡」と呼んでいた。雨虫様は大きな蛇で雨を降らしに天から降りてくる。そして時々は柔らかな草地でとぐろを巻いて休むのだという。
 クホーンって何だろう?
「竜だよ」ルシャデールは顔を上げずに言った。
 え? 誰に言ってるんだろう……。犬に? あれは犬? 狐みたいだけど。
 黙っていると、今度こそルシャデールはアニスの方を向いた。馬鹿にしたような表情を浮かべている。
「雨を降らせる竜のことだよ。カームニルでは雨主《あめぬし》様とも言っていた」
 アニスは花を摘む手を止めた。ルシャデールは話しかけるきっかけを探していたのだ。彼女は『雨虫様の足跡』を横切ってアニスのそばにやってきた。「それはおまえの猫?」
「いいえ、迷い猫です」
ルシャデールは手を伸ばし、猫の額を撫でようとした。シュッ。猫は身をひるがえして草むらを走って行った。
「ふん、普通の猫だ」
普通じゃない猫っているのかな? どういう猫?
「あれは普通じゃない犬」ルシャデールは狐顔の犬を指差した。「半分精霊なのさ」
「えっ……精霊?」
 本当に? 母から聞いた昔話が、どくん、と脈打ち、アニスの頭に展開していく。召使としての礼儀作法より好奇心が勝ちをおさめた。
「じゃあ……じゃあ、一つ目の巨人に化けたり、山のような金貨を出したり、きれいなお姫様を連れてきたりできるんですか?」
 少女の口に浮かぶ冷ややかな笑みにアニスはちょっとたじろぐ。
「できるかい、カズック?」
 ルシャデールは犬の方を振り返る。
「大昔、おまえたちのひい爺さんのひい爺さんの、そのまたひい爺さんがまだ生まれてもいないような昔だったらできただろうな。精霊(本当は神なんだが)も浮き沈みがあるのさ、坊や。晴れる日もありゃ、土砂降りの日だってあるさ。がっかりさせて悪いが」
 しかし、アニスはがっかりするどころか、大きく目を見開き声を上げた。
「すごい! 犬の妖精がしゃべっている」
 好奇心丸出しでカズックの横にまわったかと思うと、後ろから見たりしている。その素朴な喜びように、犬は困惑気味でルシャデールを見る。
「単純だね。だから子供は嫌いだ」
 バカにしたような言いようだった。が、アニスの笑みは崩れなかった。
「おまえ、アニス……だったっけ?」
「アニスです。アニサード・イスファハンといいます」
 彼女は少し大仰にうなずくと、屋敷の方へ歩いて行った。精霊がその後を追いかけていく。
 アニスはその後、小一時間ほど花を摘み、籠をいっぱいにして表門の方へ向かった。施療所へ持っていくのだ。
「ロビナさん、カミツレ摘んできました。」施療所の裏で修道尼に籠ごと渡す。
「ありがとう、アニス。明日はたちじゃこう草とゼラニウムを採ってきてくれますか?」
「はい」
 屋敷へ戻ろうとして、侍女のメヴリダが施療院の方へ向かっているのが見えた。
「アニス、御寮様見なかった?」
「御寮様なら、さっき薬草園からお屋敷の方へ行きましたよ」
 メヴリダは深く溜息をついた。
「お部屋にいたと思ったら、急に走って出ていくし……。とても追いつけないわ」
 四十過ぎのメヴリダはアビュー屋敷での勤めも長い。
 しかし、もう二十年以上子供がいない屋敷で、その世話係になるのは、貧乏くじをひいたようなものだった。
「あんたみたいに、言われたことちゃんと聞くような子だったらいいんだけど……。汚い石をかたづけたら、えらい騒ぎを起すし。部屋に飾ってあった高価な壺を二つも投げつけてきたんだから! それに朝から追いかけっこばかり。勝手に出歩かれて迷子にでもなられたら、またあのハゲ執事に怒られるじゃない……」
 すでにメヴリダは執事から注意を受けているらしい。大きなしくじりをしでかすと、給料を減らされることもあるという。悪くするとお屋敷を出されるかもしれない。アニスにも世話係の大変さは察することができた。
「何か言っても、ろくすっぽ返事もしやしない。どういう育ちしてきたのかしら」
「はあ……」
「あんたに愚痴言ってもしょうがないわね」メヴリダは気を取り直して、屋敷正面の玄関ホールへ向かっていった。
 アニスは西廊へと歩きながら、また御寮様に精霊の話が聞ければいいな、と思っていた。皮肉っぽい目つきで見られると緊張するが、好奇心の方が勝った。
幽霊や妖怪などの話は好きだったが、彼にその類の体験はなかった。不気味な気配がするという、四階の女中部屋の一室に入らせてもらった時も、何も感じなかった。
 幽霊でもいいから見たかった。赤の他人の幽霊はどうでもいい。死んだ父さんや母さん、おじいちゃん、妹のエルドナに会いたい。もしできるなら、話もしたい。鼻の奥がつんとして、アニスは思いを振り払い、西廊棟へ走りだした。