小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

天空の庭はいつも晴れている 第2章 アビュー屋敷

INDEX|3ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

 アビュー屋敷の召使は十一時頃から交代で昼食をとるようになっている。二時頃まで常時十人ぐらいが食堂にいた。アニスは一番隅に腰を下ろした。
「御寮様はどんな具合だ」
 庭師のバシル親方が言った。夕べから使用人たちの話題は、アビュー家の跡継ぎの少女のことばかりだ。
「ひどいらしいよ。メヴリダの話は聞いたかい?」レイダが答えた。
「ああ。それにトナヴァンの話もな」
 トナヴァンは給仕係だ。昨夜の夕食の時の話も、すでに使用人に知られている。
「行儀が悪いのはともかく、えらく無愛想で可愛げのない子だな」
 厩番のギュルップが口をもぐつかせながら言った。
「まあね、神和師(かんなぎし)は大貴族と同様の家柄だけど、みんな養子で来るから生まれはあたしたちと同じか、それ以下だからね」
「トリスタン様は漁師の息子だと聞いたな。兄弟姉妹がたくさんいて、口減らしで売られたようなもんだったって」
「その時、親に大枚払って養子にしたとか聞いたよ」
 そんな会話に、アニスはさっき会った御寮様を思い出す。警戒心の強い、野生のけもののようだった。
(でも……知らない大人ばかりのところで、心細いんじゃないかな)
 自分がこの屋敷にやってきた頃のことを思い、彼はひそかに同情した。

 アニスがこの屋敷に来たのは、一年半ほど前だ。雨の多い年だった。
 いつもの年なら夏の日差しが照り出す頃だというのに、雨季が終わる気配はなかった。フェルガナの各地で河の氾濫が相次ぎ、畑は水びたしになって麦も野菜も収穫前に腐り始めていた。
 ピスカージェンの北に位置するネズルカヤ山地の山奥、ハトゥラプル村も例にもれず、すでに不作が案じられていた。
 雨は十日も続いていた。
「アニス、薪を取ってきてちょうだい」
 母に頼まれ、母屋から少し離れた物置小屋へ行く。その直後だった。地の底から響いてくるようなゴゴゴゴーッという音。メキメキと生木が裂ける音。何が起こったのかわかず、物置小屋でただじっとしていた。
 音がおさまって、そっと物置の戸を開けた。むっとする土の匂い。すぐ眼の前は泥山だった。母屋は見えなかった。ところどころから木の枝が、根が突き出ている。
 呆然と立ち尽くしていたのは、どのくらいの時間だったろうか。泥の下に家族がいるのだと気がついて、あわててスコップを手に土砂をかきだす。そのうちに、村人がかけつけ、掘り起こしてくれた。
 家族四人の遺体が見つかったのは翌日だった。
「嘘だ……。母さん……父さん。エルドナ。おじいちゃん」
 アニスは一人一人の顔を見ていった。何か悪い夢の中にさまよいこんだような気がした。
「母さん、起きてよ!」母の体を強くゆするが、目を覚ますはずもない。
 誰かがアニスの横にしゃがみこみ、肩を抱いた。
 亡くなった家族は村の墓地に埋葬された。遺体は泥がきれいにぬぐわれ、マーガレットやひなげし、藪手毬などたくさんの花に被われていた。村の礼拝所を預かるオドレント師の祈りの後、棺に土がかけられた。
 そして時間が通り過ぎていく。
 土砂崩れの後、しばらくはペレニンさんの家で世話になっていた。しかし、この年は穀物も野菜も例年の三割程度しか収穫が見込めず、子供の多い家にやっかいになるのは難しかった。
「そりゃあ、あたしだって世話してやりたいよ。あの年でみなしごなんてあんまりだしねえ。だけど、うちは五人も子供がいるんだ、今年は麦の出来も期待できないじゃないか……」
「俺んとこだってそうだ。うちにゃ気難しい年寄もいるこったし」
「イスファハンさんはピスカージェンから来たって話だが、親戚とかいないのかねえ」
「駆け落ちしてこっちに来たんだろ。喜んで迎えてくれるとは思えないけどな」
「やっぱりこういう時は、お寺とかで面倒見てもらうのが一番かもな」
「大きい街なら、子供でも使ってくれる仕事もあるだろうさ」
「オドレント様に頼めば、紹介してくれるかもしれないよ」
「ここにいるのも辛いだろうしなあ」
 そんな大人たちの会話も他人事のようにアニスは聞いていた。
 ひと月ほど過ぎた頃から、アニスは雨降りを異常に怖がるようになった。布団をかぶって泣き,震える。ひどい時は悲鳴をあげて、雨の中をどこかへ走り出していく。世話をしていたペレニン一家も持て余すようになってしまった。
 葬儀から二ヶ月ほど経った日、礼拝所を預かるオドレント師がアニスのところに来た。「アニス、あさって私とパスローへ行こう。パスローの大きなお寺へ行って、これからの、君の身の振り方を考えてもらおう」
 アニスは困ったようにオドレント師を見た。
「僕……行きたくありません。だって、ここにいなかったら、お墓を守る人がいないし、冬至のお祭りには亡くなった人が帰ってくるんでしょ? ぼくがいないと、迎えてやれない……」
 いい子だね、とオドレント師は言った。アニスだってわかってはいたのだ。自分がここにはいられないということを。
 パスローへ移ってもアニスの落ち着き先は決まらなかった。ここもハトゥラプルと同様、農作物の不作で子供一人を引き受けるのも厳しい状況だった。
 半月もせずに彼は王都ピスカージェンのカシルク寺院へ送られた。そこなら子供でもできる仕事があるだろうと、パスローの寺では考えたのだ。それに隣には寺院を所有するアビュー家がある。その当主は癒し手として高名だ。
 カシルク寺院に来て二週間目だった。やはり雨の日にアニスはパニックの発作を起こし、アビュー屋敷の施療所に連れて来られたのだ。トリスタン・アビューは彼を寝かせ、目を閉じるように言うと、額に手を当てた。
「今、君がいるのは静かで何もないところだ。
誰も、何も君を傷つけたりしない。
恐ろしいもの悲しいもの苦しいもの、
何もここには入り込まない」
 不思議な声だった。少し低めで、剣呑なもの、尖ったものをすべて平らかにしてしまうような。しかも、その声に導かれるように暖かく柔らかな空気がアニスの体と心を包んでいく。
「雨はもう止んだ。
さあ、目を開けてごらん」
 気がつくと涙があふれていた。恐怖感は去っていた。
 それがトリスタン・アビューの治療だった。彼は発作が起こることを心配し、自分の屋敷で働くよう取り計らってくれた。その後、アニスは六回ほど治療を受けている。ここ半年は落ち着いているが、近づく雨季が少し不安だった。
 彼は年のわりによく働いた。ハトゥラプルにいた時から、親の手伝いはよくやっていたし、働くのは苦痛ではなかった。素直な性格で他の使用人たちにも可愛がられている。トリスタン・アビューは顔を合わせると、声をかけてくれた。
 それでも、家族を亡くした喪失感や深い悲しみは、そう簡単に消えそうもない。思い出して眠れない夜は多かった。

 翌日は、昼から薬草摘みだった。
アビュー家の施療所では身分の貴賤に関わらず、けが人や病人を受け入れていた。神和家は財政的にも豊かで、治療費はとっていない。そのため患者も多かった。
 トリスタンが行うのはユフェリの「気」を手かざしで患部に注ぎ込む手法の癒しだった。癒しの技を出し惜しみすることはないが、補助的に薬草も使っている。