時代の端っこから
物心ついた時にはじいちゃんは既に市内の町工場を退職して、団地の周りを毎日散歩するのが日課のいかにもという感じの好好爺だった。年に数回会うくらいだったけど、今年に入ってちょっと調子が良くなかった。だけど、亡くなるまで足腰は健康で杖をつくこともなく家族を困らせることなく逝ったことが本人の遺志だったようで、遺されたばあちゃん始め家族のみんなはある意味でホッとしている。
「じいちゃんってどこの人なの?」
耳に残る言葉、高校生の僕には詳しくはわからないが、あれは関西弁でないことだけは分かる。あれは、九州のなまりに違いない。そういえばじいちゃんの出身地なんて今まで質問したことなんてなかった。
「端島の出身なんじゃよ」
「ハシマ?」
僕は初めて聞いたその地名を繰り返した。
じいちゃんの話す言葉は時折聞き慣れないなまりが出るが基本的には関西弁。子どもの時は島に住んでいたとは聞いたことがあるが、突っ込んで聞いたわけでなくやがてその事も薄れて、じいちゃんはずっとこの辺りに住んでいるものと思っていた。
「それって、どこ?」
「長崎県にあるんじゃよ」
「軍艦島と言えば賢太郎も分かるか?」
「軍艦島?」
端島だか軍艦島だか、違うところを指しているのかと考えたけどどうやら同じところのようで僕はますますわからなくなった。
「まあ、無理もないわ。賢太郎は行ったことないからの」
「というより今は行けないじゃないですか」
あとは僕を残して大人たちだけでわいわいと昔話に花を咲かせていた。じいちゃんは「行けない」ところに住んでいたのか?
「あんときはエラかったよなぁ」
「そうそう、台風でしょ?」
「そう!波が島を飛び越えたりして……」
「あぁ、そーだったわね。沈没するかと思ったわよ」
「だから島なんだからそりゃあらへんがな」
「せめて、最後に行かせてあげたかったなあ。懐かしがってたしねえ」
故人を囲んでおばあちゃんや伯母さんが大笑い、これも気持ちのある弔いだと思う。だけど僕は話に入り込めず一歩離れて、オードブルの皿の上で僕を待っている残り一個の軍艦巻きのイクラに手を伸ばすと、そこには同じように手を伸ばした姉ちゃんの巴(ともえ)と目が合った。
「これ、あたしのやからね」
「俺が先やで」
普段の生活でも滅多に食べないイクラをめぐってケンカになりかけたところで、横からそれを見ていた従兄の諒一(りょういち)兄ちゃんが僕たちに割って入って火は未然に消えた。