短編集55(過去作品)
孤独と月
孤独と月
赤坂典子は、最近ネットに嵌っていた。正確には二度目のネット中毒というべきか。以前は離婚をきっかけにネットを始めたのだが、今回は言い知れぬ寂しさを紛らわすためのネットだった。
離婚を言い出したのは自分からだった。
夫が浮気性で、仕事にかこつけて、
「今日は、仕事で遅くなる」
と言っては、いつも最終電車での帰宅だった。典子もまさか浮気をしているなどと考えもしていなかったので、
「毎日大変ね」
と真剣、夫の身体を心配していた。
どちらかというと鈍感な方である。しかも人の話をすぐ鵜呑みにするところがあるので、騙しやすいタイプなのだろう。しかし、疑い始めればキリがなくなる性格でもある。それは今までに騙され続けた性格が災いしているに違いない。
学生時代など特にそうだった。気さくな性格で人当たりもいいことから、典子のまわりには絶えず男性がいた。自分から望まなくとも彼氏はその時々でできたのだ。
中学生の頃までは恋愛なんて興味もなく、
「恋愛のどこがいいのかしら」
と嘯いていたくらいである。それでも、いつも一緒にいる女友達から、
「ごめん、今日ちょっと用事があるの」
と、頻繁に誘いを断られるようになると、さすがに鈍感な典子でも、
――彼氏とデートなんだわ――
中学生のデートなど、たかが知れている。自分と一緒にいるよりも男の子と一緒にいる方がそんなにいいのかと不思議に感じたものだ。
偶然、駅で待ち合わせをしている友達を見てしまった。まだ彼氏が現れる前で、じっと待ち合わせスポットで待っている。思わず典子は見つからないように隠れたが、
――どうして私が隠れなければならないの――
と思わず苦笑していた。
待ち合わせスポットはさすがにたくさんの人が待っている。それでもそれぞれの人が一定の距離を保って待っていることから、それぞれに暗黙の了解ができているのか、それとも自分が同じように誰かを待つことがあるとすれば、すべてが無意識のうちに行われているような気がしてならない。
その他大勢の人から友達がいるのに気付くのは、なかなか難しいかも知れない。だが、その時はすぐに気がついた。ひょっとして最初からいることが分かっていたのではないかと思えるほどだ。
平日だったこともあって、服装は制服だった。パッと見て、地味に見えるが、待ち合わせ場所にいる女の子は皆お洒落な服装ばかりなので、却って制服は目立つかも知れない。
大人しく待っているその表情にほとんど変化はない。友達を待っている時の顔と同じではないか。
――彼氏を待っているんじゃないのかな――
と感じるほどだったが、しばらくして現れた男性を見つけた時の友達の顔は何とも言えない表情だった。
まずは安堵が漲っていた。
――来なかったらどうしよう――
と思っていただろう。来なかった時は惨めな気持ちになるに違いない。これだけまわりに人がいれば、惨めな顔を表に出すのは恥ずかしい。そう思って、最初から無表情だったのだろう。
彼女はそういうところのある女性だった。最初から計算されて行動するところがあるのだ。だが、人の目を気にするのは仕方がないのだろうが、そこまでしなければいけないのだろうか。たくさん人がいるということは、それだけ一人の人へ視線が向く確率は低くなるはずだからである。
典子は友達だという意識があるから見ているのだが、まったく縁もゆかりもない人が彼女一人を凝視することなどありえないだろう。皆自分のことだけで必死なはずだからである。
――もし、自分が彼女の立場だったら――
同じように無表情かも知れない。彼氏の顔を見るまでは安心できないと思うのは友達と同じで、むしろ典子の方が、その気持ちが強いかも知れない。
駅のコンコースは待ち合わせの人で埋まってしまうと、思ったよりも狭く感じられる。朝の通勤通学の時間も、人で埋まっているが、歩いている人も多いため、あまり広さを感じない。まだ夕方のラッシュになる前であれば、人通りもそれほどでもないので、広く感じられてもしかるべきである。
安堵の表情を浮かべてやってきた彼氏は、後姿しか見えず、どんな表情なのか分からないが、友達だけは嬉しそうな顔をしている。初めて見る友達の表情に思えた。
女友達と一緒にいる時も楽しそうな表情を浮かべるが、それとは違う顔である。
楽しそうな表情と嬉しい表情との違いなのだろうが、嬉しい表情の中には、相手に気持ちを任せようという雰囲気が感じられるのはなぜだろう? 典子は今までにそんな表情を浮かべたことはないはずなのに、見ていると気持ちが手に取るように分かってくるのは、きっと自分も彼氏がほしいと感じ始めているからかも知れないと感じていた。
その気持ちは当たらずとも遠からじ。
中学を卒業する頃には、男性を意識するようになっていたが、男性を意識すると必ず感じるのが、
――今の私ってどんな表情をしているのだろう――
というものだった。友達の嬉しそうな表情を思い浮かべ、
――あんな顔をしてみたい――
という願望を感じるが、なかなか自分の表情を想像するというのも難しいものだ。友達の顔の上に自分の気持ちを乗せて考えなければ成立しないイメージだったからだ。
中学の頃の方がしっかりしていたように感じるのは、毎日が平凡な生活になっているからかも知れない。
高校に入って少しして、典子にも彼氏ができた。自分で強く望んだわけではない。男の子から告白されたのだ。
告白されて最初はビックリしたが、すぐに違和感はなくなった。
――男性と付き合うとすれば、告白されてからだろうな――
と感じていたように思えたからだ。まったくそんな気持ちなどなかったはずなのに、後からそのように感じるというのは、心のどこかで告白されるシチュエーションを思い描いていたからかも知れない。
では自分が告白する場合だったらどうだろう? これも同じようにすぐに違和感が消えてしまうように思える。その場その場でのイメージを後から作ることができるからではないかと逆の考え方も生まれてくる。
典子に告白してきた男性は、あまり目立たない男性だった。まさか女の子に告白などできるタイプではないと思っていたくらいで、そういう意味でもビックリである。
二人の交際は、暗黙の了解のようなものだった。学校ではなるべく一緒にいることはなかったが、きっとまわりの女の子は気付いているだろう。隠すことはないのだが、自分から喋ることもない。何かあっても、心から相談できる友達がいないのも事実だった。
考えてみれば典子の恋愛はずっと地味だった。
隠しているわけではないが、人におおっぴらに知られることもない。
――何となく物足りない感じがするわ――
男性と付き合っていると、次第に典子の方が疑問に感じてくる。そんな思いは相手にも伝わるものだろうか、典子が余計なことを考え始めてから、付き合いはぎこちないものになって、最後は自然消滅のパターンが多かった。
作品名:短編集55(過去作品) 作家名:森本晃次