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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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あの日の空に帰りたい

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 京都へ戻ってから、妙子は翠の調子の良さそうな日に、外へと誘うようになった。体調は以前にも増して悪化していたが、必ずしも毎日そう酷いわけでもなかった。叔父の死後、妙子自身が塞ぎこみがちだったこともあり、やはり寂しかったのだろう。
 おそらくこれが、翠にとって平穏な最後の日々だった。後になって、このことについても妙子は最初から全部知っていたのではないかと翠は回想することになるのだった。
 叔父の死から一年と少し後、翠はついに仕事を続けることが出来なくなった。朝、起き上がることもかなわず、昼頃まで臥せっていることが多くなった。それまでも妙子は何度も医者へ行くよう勧めたが、翠は拒み続けていた。知るのが恐ろしかった。本当に原爆の毒にやられていると知らされたらどうしようという恐怖が、受診を遅らせた。だが、こうなってしまっては妙子の言うことを聞くよりなかった。
 町医者ではなく、大きな病院へ連れて行かれた。様々な検査を受けた。結局そこでも分からずに、もっと大きい病院へ回されることになった。診察室を一人追い出されて、翠は廊下の長椅子に掛けて妙子が出てくるのを待った。
 出て来た妙子の表情は青ざめていた。妙子は隣に腰を下ろすと、そっと翠の肩を引き寄せた。
「ウチ、どないなるんですか」
 翠は訊いた。
「どうもあらへん。どうもならへん」
「それって」
「まだ何も分からへんのやさかい、いらん心配せんとき」
 途中で軽く食事をしたあと、家に戻るなり妙子は床の準備をした。今は大丈夫だと言う翠に、いつでも疲れたら横になるようにと、妙子は言った。その時に、紹介されたのは山城大学病院だと知らされた。京都で一番の病院。医師は、そこでなら治療法があるかも知れないと妙子に伝えたのだと。指定された日時は三日後の午前、医師直々に予約を入れてくれたらしかった。
 その当日、市電ではなくタクシーで大学病院へ向かった。その日はとりわけ具合が悪く、立って歩くのさえ辛いほどだった。
 血液や目の他に口の中などの検査を受けた後、医師から多くのことを聞かれた。質問の内容は、あの日の広島での詳細だった。どこで、どのように被害に遭ったのか、その時の怪我の状況やどのように行動したのか等微に入り細にわたって質問された。聴き取りが終わってから、医師は妙子と翠に向かって言った。検査の結果が出るまでには時間がかかること、被爆者には特別な医療制度があること、すぐにでも被爆者手帳を申請するようにと言われた。
 被爆者。敢えて遠ざけてきたその呼称が自分自身に与えられてしまったことに、翠は打ちひしがれた。あの日、広島にいた全ての人間は被爆者。その後に身内の安否確認のために市内へ入った者、救援のために駆けつけた者も同じく被爆者なのだという。もしそうならば、叔父も被爆者として特別な治療を受けられていたはず。妙子も叔父の死因などを医師に話した。それに対しては、医師は首を横に振った。この制度はつい最近、昭和31年から実施された、なのでそれ以前に亡くなった叔父には何の恩恵もなかったのだと。
 そんな馬鹿なと翠は愕然とした。あれだけの被害があったにも関わらず、国がそれを完全に放置してきたことに。あれだけお国のためだとか愛国心だとか言っておきながら、自国民をこれまで見殺しにしてきたことに憤りを覚えた。同時に、こんな国に忠誠を誓って何の疑いも持たなかった自分自身に嫌悪感を抱いた。
 現状では命に別状はないだろうということで、その日は帰ってよいと言われた。医師の指示通り役所へ行き、被爆者手帳申請の手続きをした。叔父が翠の戸籍を広島市民として復活させていてくれたおかげで、かなりの手間が省けた。あとは、医師の診断書を提出するだけだった。
「ウチ、やっぱりピカの病気やったんですね」
 帰り道、翠は言った。
「まだ分からへんわ」
「もう分かってしもたやないですか」
「ほぅやな」
 妙子は無理には否定しなかった。家に着いてから、妙子は翠に革装丁の手帳を手渡した。
「これは」
「前に言うとった、おっちゃんの記録や」
「ええ、まあ」
「読んでみたらええ」
「何が書いたぁるんですか」
「日記みたいなもんや。今更隠してもしゃあない。変に心配するより、少しくらい覚悟はしといてええかも知れへん」
 叔父の日記。翠はその小さな手帳を見つめた。
「今すぐとは言わへんさかい、その気になったら読み。読みとないんやったら、それでもええ」
 浴衣に着替え、小さな文机の前に正座して、翠はその手帳を眺めた。見せるのを躊躇っていた妙子が、今になって読むようにと言った真意について考えた。この手帳には、大事な何かが書かれている。それも叔父も妙子もこれまで話すことがなかった何かが。それを知りたいという思いと、知ることに対する恐れが交錯し、手帳に手を伸ばすのを躊躇させた。幾度も手を出しかけては引っ込めるということを繰り返した。
 階下から名前を呼ばれて、翠はもうすっかり外が暗くなっていることに気づいた。その日、翠は手帳を開かないままに終わった。
 診察の結果が出たのは数日後だった。原爆症を正式に宣告された。疑いではなく、正式に診断が下された。これで手帳の交付は問題ないと医師は言った。今後の治療についての長い説明を、翠はほとんど聞いてはいなかった。耳に入って来てはいても、まるで上の空で他人事のようだった。
 診察室を出てから、妙子は翠に言った。
「あんた、話聞いてへんかったやろ」
 翠は黙って頷いた。
「手帳もまだ読んでへんやろ」
 それにもまた、何も言わずに頷いた。
「しんどいやんなぁ」
 妙子がしみじみと言った。
「すんません」
「何であんたが謝るのん」
「妙子さんに迷惑かけてばっかりで」
「それは違うで」
「何でですか」
「ウチは病気もなんもない。しんどいんは、あんたがや」
「ええ」
「神さんなんか、ほんまにおるんやろか」
 妙子が遠い目をした。
 自宅療養しながら通院という日々が、それから続いた。問診と、たまの輸血。新しい血を入れることで良くなることもあるらしいとのことだった。気の問題かもしれないが、輸血してもらった後は少しだけ身体が軽くなった感じがした。そういう時は、妙子を煩わせて本屋に立ち寄ったりもした。翠のお気に入りは丸善だった。
 これまでも、都合がついて体調も良ければ祇園祭にも連れて行ってもらえた。今となっては仕事もなく、家でだらだらとしているだけだったが、それでも元気があれば妙子と共に宵山に行った。長刀鉾のあるところは人が多すぎて遠くから眺めるだけだったから、菊水鉾や船鉾の辺りをのんびりと巡った。床几に掛けて祇園囃子を聞きながらかき氷を食べるのも、翠は好きだった。昭和35年夏、それが翠にとって最後の祇園祭となった。
 この少し前から、翠は日記をつけるようになっていた。原爆症と診断されたあと、叔父の手記を読んだ。内容は衝撃的だったが、途中の数頁は破り取られていた。そのことを妙子に質すと、それは最初からなかったもので自分がしたことではないとのことだった。翠はそれを信じたいと思った。そして、叔父がしたように自分も何かしら記録を残したいと思った。