あの日の空に帰りたい
参考資料
●「京都に原爆を投下せよ ―ウォーナー伝説の真実」吉田守男著 角川書店
京都が空襲を受けなかったのは米国がその文化的価値を尊重したからだという伝説について書かれた大著。
実際は京都も空襲を受けていて、それが作中に登場する西陣と馬町空襲でした。いずれも焼夷弾によるものではなく爆弾でした。戦時中の軍の情報統制で、京都在住者でも知らない人が多かった空襲です。
また、戦後密かに語り伝えられていた京都が原爆投下目標であったという噂の検証がなされています。
京都安全説の裏付けとされていたウォーナー・リストの実態まで詳しく述べられていて、原爆のみならず米軍がいかに周到に日本攻略を考えていたかに戦慄を覚える内容です。
●「被ばく医師・肥田舜太郎が語る福島と広島(2)」
広島で被爆した医師の記録。
日本が被爆者を正式に特別な医療を要する者と認定したのは1956年、実に終戦から12年も経ってからだったということ、それまでは国から特別な保障は得られず、正確な知識すらないままに差別と苦しみの裡に多くの方が亡くなったこと。当然、被爆者手帳の交付も1956年以降のこと。
また、1968年には日本はアメリカと共同で「もう原爆の影響と思われる病人は皆無で、死ぬべき者は全部死んだ。広島・長崎の被爆者に関する医学問題は、現在の日本では解決済み」との公式見解を出していたとか。読めば読むほどに涙が溢れ、鳥肌が立ち、怒りが湧いてきます。
http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E8%A2%AB%E3%81%B0%E3%81%8F%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%83%BB%E8%82%A5%E7%94%B0%E8%88%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%81%A8%E5%BA%83%E5%B3%B6%EF%BC%882%EF%BC%89
●「被爆治療阻むGHQと京大研究者たちの抵抗 1951年の京都大学総合原爆展の背景」(長周新聞)
GHQによる原爆被害調査の弾圧、医療機関からの被爆者治療関連記録などの接収、原爆の人体に及ぼす危険についての言論封鎖が当時の研究者側視点から語られています。
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/8726
●「原爆投下と日本銀行」日本銀行広島支店HP内
被曝当時の状況、建物の被害や人的被害および復興に向けての記録。
https://www3.boj.or.jp/hiroshima/atomic-bomb/memory.html
●広島平和記念資料館
街の被害や写真資料など。復興への取り組みについて。
http://hpmmuseum.jp/
●被爆者手帳、原爆病院、京都市電の歴史について
Wikipediaなど
●京都新聞社、中国新聞社、京都大学附属病院のアーカイブ
※京都が原爆の投下目標であったことは、京都市民の間で都市伝説のように語り継がれていました。馬町、西陣の空襲については祖父母からも聞かされました。軍部の情報統制にも関わらず、巷間では結構知られていたようです。
※広島弁については京都弁と非常に似通った部分が多く、広島弁の(じゃ)を(や)に変えるだけで京都弁になる場合が多いのですね。あと、「ほぅやし(そうだから)」も普通に京都弁として使います。
作品名:あの日の空に帰りたい 作家名:泉絵師 遙夏