忘れものを届けに
次の停留所の案内、その間に流れる店の宣伝。
日曜日のこの時間にしては、まずまずの乗車率。私の隣ではお婆さんがうつらうつらしている。
バスが動き出す。
――左に曲がります、ご注意ください――
機械の案内音声。
誰かが降車ボタンを押す。
――つぎ、停まります。お降りの方はバスが完全に停まるまで……――
どこかから悲鳴のようなものが上がる。
次の瞬間、右後ろから衝撃が来た。
私は窓枠に激しく頭をぶつけられる。
思う間もなく背中を思い切り突かれ、その勢いで今度はのけぞってしまう。
何が起こったのか分からなかった。
痛くはなかったが、私はそのまま……
青空に煌めく無数の光の断片……
交差点をバスが左折してゆく。
『あれ? これって私が乗ってたバスだ』
何で? 私はあの中に――
信号待ちをしていた人々の中から悲鳴が上がる。
トラックがスピードを緩めないまま赤信号の交差点に突入する。横断歩道を歩いていた人は辛うじて逃げられたが、トラックは左折途中のバスの右側面に衝突した。
衝撃で積荷の鉄筋が崩れ、そのうちの数本がバスの車体を貫く。
それは――
『私……死んだの?』
死んじゃったの? 嘘でしょ? そんなのって、ないよね――?
でも、隼は泣いている。まるで子供のようにしゃくり上げ、嗚咽を漏らして。
私は手を伸ばし、彼の髪に触れた。
彼が、はっとしたように顔を上げた。
『ね? 私は、ここにいるよ』
「なあ、俺が見えてるか?」
『うん、見えてる』
「俺、情けないよな」
『どうしてよ。私のために……泣いて、くれてるん、でしょ……』
「お前、泣いてるのか」
『当たり前じゃない』
「もっと一緒にいたかった……」
『うん……』
「ごめんな。あまり構ってやれなくて」
『隼ったら、今日は謝ってばっかり』
「もう、笑ってくれないんだな」
『笑ってるよ。ほら、今だって』
「有難うな。こんな俺と付き合ってくれて」
『何言ってるのよ。私、隼といるのが楽しいんだから』
「俺なんかと付き合わなければ、お前は……」
『そんなこと、言わないでよ。隼と出会わない人生なんて、考えたくない。お願いだから、それを無かったことにしないで』
「詩音と出会えてよかった」
『うん、私も隼といられて幸せだった』
沈黙が流れる。
隼は私の手を取り、握ってくれる。
その温もりが、とてつもなく遠く懐かしく感じられた。
彼は痛いほどの視線で私を見つめる。まるで私の顔をその目に焼き付けるかのように。
「詩音。今頃で悪いけど。今日の服、似合ってたよ」
『そうなんだ。ちゃんと見ててくれたんだ』
でも、ボロボロで酷い有様だったはず。元の色なんて分からないくらいに。
「綺麗だよ、詩音」
『こんなになってても、そう言ってくれるのね』
彼が私に覆いかぶさる。
「寒くないか? こんなに、冷たくなって……」
『ううん、とってもあったかい』
布団がめくられる。その瞬間、息を呑むのが分かった。
『ちょっと、それは幾ら何でもダメ』
彼はそっと布団を掛け直した。そして、私の鎖骨に唇を当てる。その唇から涙が伝い、熱い滴が私の身体を痺れさせる。
「詩音、好きだ」
『私もよ、隼』
「詩音……」
唇が首筋を這い、頬、瞼、額へと移る。そしてもう一度、唇へ。
髪が、優しく撫でられる。
私はその背に手を置き、引き寄せる。
より強く、その感触を受け止められるよう。
思いだけが交わされる、思いだけが互いの魂に直接響き合う。
「ごめんな、守ってやれなくて」
『もう、謝るのは無し。ホントに、惨めになっちゃうから』
「でも、俺と出会ってくれて」
隼が真っ直ぐに私を見る。「ありがとう」
急に体が軽くなった気がした。
私は彼の背に回り、背後から抱きしめた。
『うん。私にも言わせて』
今度は、私の方から頬を重ね合わせた。『ありがとう』
『ほんとに……ありがとう』