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皮膚の下は他人

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皮膚の下は他人
1木屋町は不思議な空間
御池通を北に上がると、木屋町通は趣を一変させ、静けさに包まれる。同じ木屋町通ながら、御池通より南は盛り場であって、色彩もとりどり、騒がしく、人々が肩をすれ違いように行き交いしているから、どこか人なつこく感じられる。普段着の京都の飲屋街だと思う。盛り場らしい風俗のにおいも漂っている。しかし、このあたりは、道に座り込むような若者も居ない、客引きもない。なにより、照明が少ない。おすまししている京都か。ほどよい闇が旅人を落ち着かせる。
 高瀬川は南北の風情のちがいを知らず、とどまっているようにも流れているようにも見える、おだやかな水面である。勾配がほとんどないから平らかに思える。木屋町通二条の一の舟入跡は高瀬川の起点、いわばターミナルである。このあたりに船宿の雰囲気をただよわせる建物が少なくないが、その由緒は一の舟入にある。京都ホテルもその一つだったかも知れない。舟入は、スエズ運河と同じ水門を使った運河であったことの名残であるが、17世紀の日本人の知恵には感心する。三の舟入の跡が、三条通を上がったあたりにあるが、旅人も気付かず、若者も通り過ぎてしまう。その原風景のままにしながら、現代の町の片隅の意味を物語っているから、京都は不思議な大都会ではある。なかでも、木屋町は不思議な空間だ。不易流行、人なつこさと他人行儀が入り交じっている。ほかの都市にはない。
 御池通を北へ上がると、小さなろうじがたくさんあるが、その一つ、人がひとり歩ける程度の幅しかない石畳の小径を先へ進んでいけば、つきあたりに小さな旅館があった。そこが今夜の宿だ。風通しもよく明るいのだろうが、不用心とも思える格子戸だ。開けると、女将が和服で出迎えてくれた。
「ようこそ、おこしやす」
第一音節にアクセントがある標準語とまったく違うから、京都弁には音階があって聞いていて心地よく、京都に居るのだという実感が湧いてきた。
わずか5部屋ほどの規模、まるで隠れ家か妾宅のようだ。女将がひとり、切り盛りしている。50歳代か、女将は曰くありげな存在感がある。
「おせわになります」
男は微笑しながら、挨拶をした。
部屋は鴨川縁に面している。鴨川は思った以上に川幅があり、対岸は遠く他人の視線が気にならない。東山のスカイラインが手近に見え、漆黒の闇をスクリーンにして、フルムーンが山の頂を離れ中空にさしかかったばかり、ぽっかり浮かんでいる。得難い景色だ。鴨川を東に見るホテルや旅館はほとんどないというから、この旅館はとても貴重で、あまり人に知られたくない。しかし、どうやって商売しているのか、スポンサーでもいるのか、この旅館の由来、女将について、男には疑問がつぎつぎと湧いてきた。
「落ち着きますね、いいところを紹介していただいた。」
「みなはん、ご紹介のかたばかりなんで」
言い換えると、「一見、お断り」と言っているのだ。物事を説明するのに、主語がなく第三者的に表現するのは京都弁の特徴だろう。
土壁に格子窓、歳月を刻んだ柱や床。幕末の建物らしい。米国なら国宝級の建築物になるのではないかと、ほめあげた。女将は補修が大変で、
「もう年やさかい、売って大原にでも隠居しょーかと、思てます」
大原とは粋なことを言うではないか、男は女将がただものではないのをさとらされた。
先斗町での宴会の終わり頃、コンパニオンクラブの女社長に「朝までゆっくりつきあってくれる人はいないかな、有閑マダムとか」と冗談を交えて気楽に持ちかけたら、宿まで手配してくれたのだった。男は、小さな宿にしては不釣り合いな広い浴室には入り、くつろぐ。木の浴槽がうれしい、天窓からのぞける夜空も一興で、秘境気分だ。
2純米酒を思わせる上質な女
「11時頃になりますね、いい人ですよ、やさしくしてあげてくださいね」
女社長から連絡があって、出会いを待つという楽しみに浸った。
「お連れさんがお見えどす」
女将がその女を案内しながら連れてくる。木屋町なのに、ろうじのせいか、ほかに泊まり客がいないのか、人の気配も物音もなくて、静寂とさえ思われるなか、部屋のふすまが開けられた。
「こんばんは」
あれ、標準語のアクセントではないかと疑問をいだきつつ、男は女にあいさつを返した。
「こんばんは、ようこそ」
女はいざりながら部屋に入り、男が座っている机の方に向かってあいさつして、立ち上がる。女がつま先をまっすぐ前に出しすすみだすのを見て、男は好ましく思った。きっと、ふだんから姿勢がよいのだろう、和服を着慣れているのかも知れないと、あれこれ想像が巡った。町では、女性たちは老いも若きも逆八の字でぱたぱたと歩いている。
女は机の向かい側に坐った。赤いミニスカートが太股まで後退するのを見ながら、下着も赤いのではないかと想像した。男はずいぶん久しぶりに愉快な気持ちになっている。ぽっちゃりして愛らしい。庶民派の女優さんの誰かに似ているが思いだせない。30才代後半か。
女が来たらどうしようかと思案していた。まずお風呂に一緒に入り、じゃれ合いながら親しくなろうと決めていたから、
「お風呂、入りますか」
と誘った。
しかし、女は
「お風呂に入ってきましたから」
とていねいに断るのだった。
たちまち、男の筋書きが狂った。いつものパターンが通じない。狂ったものの、お風呂に入ってくるとは準備がよいのではないかと前向きに受け止めて、気を取り直した。
「朝までゆっくりしてくれるのですね」
男が念をおす。
「朝と言っても、4時か5時には帰らせてください」
「そんな」
と気色ばんだ。女は、表情一つ変えずに淡々としている。女の冷静なうけごたえに不快な感情も薄れ、男はこの女への興味が再び湧いてきた。人とのつきあいはこういう小刻みな変化の繰り返しなのだろう。きめつけてはいけない。意外にいい女なのではないかと、何か事情があるのだろうかとも思い、もう一度気持を切り替え、この逢瀬を楽しむことにした。
「お酒、呑みますか」
「わたし、お酒大好きです」
感情をあらわにして肯く。よほど、日本酒が好きなんだろう。
「女将のおすすめでね、蒼空」
「純米酒でしょ、伏見の小さな蔵の逸品ですよね」
「うまいね」
「おいしい」
女が一口呑んで声をあげた。
男が勧めると、また杯をあけてのみほす。
「呑みっぷりが、なかなかいいね」
と、男は感心した。
「呑みたい気分ですね」
と女が返してくる。
男はけっこう呑んではきたが、またこの女と飲み直そうと思った。酔っぱらわないか、ちょっと心配だったが、いいお酒なので、味わいながら呑むのもおもしろい。女も酔った方がくつろげるのでは、そう思った。
「生まれは熊本なんです。あっちは焼酎なんで、純米酒は京都に来てから。こんなに美味しいものがあったって、もう底なしです」
上手に盛り上げてくる。もともと飲める方らしい、九州だし、強いのかも知れない。お酒がほんとうに好きな女と飲み明かせるのは楽しいかな、男はしだいにこの状況、女がもたらす雰囲気、もたらそうとする設定を受入れていった。ほろ酔いかげんで、舌がよくまわるようになる。

3毛を剃っている女
「どんなことをしてくれるの」
作品名:皮膚の下は他人 作家名:広小路博