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母の日の忘れモノ

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もうすぐ母の日がやってくる。
 毎年この時期になると、母はそれなりの動きを見せてくる。しかし、俺は特に何をするというワケでもなく毎年の母の日をやり過ごしていた。
 母は今年もそれなりのアプローチを仕掛けてきた。
 それは半ば儀式的になっていて、もうすぐ母の日ね、と言う母に対する我が子の反応を見て楽しんでいるのだと思っていた。
 就職した俺は、早期出社のために盆前には実家を離れて寮に入ることになっている。従って、実家で何かしら行事が行われるのは、母の日が最後だ。

 父を早くに亡くし、女手一つで俺たち兄妹を育ててくれた母。
 決して貧困ではなかったが、裕福な家庭でもなかった。それでも母は、俺を大学にまで行かせてくれた。
 家計の足しになればと、高校時代からずっと続けてきたバイト先の店長は、そんな母を立派な人だと言ってくれた。
 もう少し若かったら、なんて恐ろしいことまで言っていたが、俺は心のどこかで、この人なら母を幸せにしてくれるのではないか、と思っていた。

 高校生の頃、年齢の割に見た目も若く綺麗な母に、何で再婚をしないのか、と訊ねたことがあった。

―― 妹だってきっと分かってくれるから、再婚しなよ。

 再婚を薦める俺に、父さんみたいないい男がいないのよ、と母は話をはぐらかした。
 店長に会ったのはその後のことだ。
 どこかで父親という存在を求めていた俺は、店長を父のように慕い、尊敬し、真剣にバイトに勤めた。

 ―― 今年の母の日に、精一杯感謝の気持ちを伝えようと思うんです。

 そうか、と一言だけの返事をしてくれた店長は、遠い記憶に微かに残る父の影とは少しも重ならなかったが、大舞台に立つ息子を後押しするように力強く俺を包んでくれた。
 俺は、いつかこの人を父と呼ぶ日が訪れることを確信した。単なる俺の願望でしかなかったのかもしれないが、母のためにも、そして俺自身のためにもそうなって欲しいと思っていた。
 店長と相談して、母の日には花を届けることにした。

 母の日は大嵐だった。
 当然、花は届かなかった。
 家を出ることさえも出来ない程に激しい風雨が荒れ狂い、俺は灰色の空を力無く眺め、窓に打ち付ける雨音を聞き流しながら、母の日をやり過ごすしかなかった。
 店長からメールが届く。
 ―― 普段しないことを考えるから、記録的な大嵐になるんだよ。
 文章の後に続く笑顔の絵文字に、普段しないことをしているのはどっちだ、と思った。店長なりに励ましてくれたんだと思う。
 残念だったな、という店長の声が聞こえた気がした。

 リビングに行くと、長ソファーに寝そべった母が紅茶とクッキーを伴侶にテレビを見ていた。
 俺を横目で確認した母は、お菓子なら二番目の引き出しよ、とテレビに顔を向けたまま言った。
「これ、母の日のプレゼントだよ」
「はぁ?」
 母は、間の抜けた声を返した。

 大嵐のおかげですべての計画が流れてしまった。考え抜いた挙句、俺はへそくりの10万円を包んで渡すことにした。
「色々考えたんだけどさ、何を贈ればいいのか分かんなくてさ、それで、好きなように使ってもらうのが一番だと思ったんだ。
 リビングのカーテンを換えるとか、絨毯とか掃除機とか、そんなのを買い換えるのに使うんじゃなくてさ、化粧品を買ったり、服とか指輪とか、そういう、なんての、自分自身のことに使って欲しいんだ。エステに行ったりとかでもいいんだ。
 温泉旅行とかは一人じゃ行けないから、家族みんなで行くのとかはどうかな? 一泊なら充分いけるだろ。
 でもさ、宝くじを買ったりへそくりにしたりするのは、できれば止めて欲しいんだ。いや、そうしたいって言うならそれでもいいんだけど。使いたいように使ってくれればいいんだ。
 家のためじゃなくてさ、母さん自身のために使って欲しいんだ」
 俺は一息に吐き出して、それじゃ、と最後に付け加えて部屋へ戻った。

 すぐに扉を叩く音が聞こえた。

 ―― ちょっといい?
 ―― ん……

 ―― このお金はどういうつもりなの?
 ―― ん……

「母さんはね、こんなお金が欲しくてあなたを育てたわけじゃないの。好きに使ってくれって渡されても、嬉しくなんかないの。分かる?
 どんな高価なものよりも、ありがとうの一言の方が嬉しいのよ」

 ど〜よ、良いこと言ったでしょ?
 扉の向こうに立つ母の気配は、間違いなくそう言っていた。
 俺の凝り固まった何かを溶かすには充分だった。

「あ……いつも、ありがとう」
「どういたしまして」
 母はそのままリビングに戻っていった。再びテレビの前でクッキーを口に放り込んでいるのだろう。

 今までありがとう、という気持ちを込めて。

 ―― ところで母さん、さっきの金は?
 ―― あなたの気持ち、しっかり受け取ったわ

 雷鳴が目の前を真っ白に染めた――。


 そんな去年の母の日を思いだしながら、窓の外を流れる懐かしい風景を眺めていた。何も変わっていない街並みに、じんわりと何かが湧き出てくるのを感じた。

 ―― この街に忘れモノがあるんだ

「母さん、これからもよろしく」
 今年は忘れないようにしなければ。
作品名:母の日の忘れモノ 作家名:村崎右近