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 「まだ僕には帰れるところがあるんだ」というのは、特に「おじさん」世代の一定数に馴染み深い、『機動戦士ガンダム』の名ゼリフです。その作品が本記事をお読みのうちの若い皆さんの目に今後触れ得ることを考えて、そのセリフがどういうコンテクストで発されたのかをつまびらかに書きませんが、それでも、「帰る場所」をめぐる何かがおじさん(もちろん、往時は子どもだったのですが)の感情を揺さぶったのだろうとは、推測されることでしょう。
 ところで、そのセリフに対して、「フィクションじゃないか」というケチを付けられるのは事実です。ハリウッドの実写映画だろうが、国産のアニメだろうが、そこから冷めた態度がなされるのはやむを得ないところです。
 よって僕は、先の『「両親が養親」という問題縁に僕は明るくありませんが、それでもある程度は知っています』から、更にひとつの例を引っ張ってきたいです。
 僕は読書録に、『俺たちは野良犬か! それでも生きた孤児たち』という 1 冊を記しています。戦災孤児出身の著者が身の上を書き綴ったものですが、印象深かったエピソードがありました。
 孤児院のメンバー(小学生)が、養父養母のところへ里子として引き取られていった。自分を含む仲間は、彼の様子を気にして、彼のところまで見に行ったりする。結局彼は、養親の下での生活に馴染めず、養親に向かって「孤児院に帰りたい、帰りたい」と訴え続けて、出戻ってきた……というものです。
 まあ、一概にいい話だとは言えないかもしれません。ただ、この孤児の「彼」に気心の通い合う仲間がいて、帰りたいところ、帰るところがあったというのは、とても胸を打つ話だと受け止めました。形の親よりも、気心の通い合う仲間――一般的には、ただ気の毒な場所だと思われている孤児院という場所――のほうが、ずっと大切だったのです。
 そしてこのことは、最近の川崎の事件、元農水省事務次官の事件、それから老親を失って「孤児」になる「高齢引きこもり 61 万人」の帰る場所について考えさせます。
 川崎の事件の犯人は、大切な子ども時代に、もっと相応しい場所を得させてもらうべきだったのかもしれません。
 元農水省事務次官の事件については、血縁よりも問題縁だったのかもしれません。こちらの父子は、お互いを深く理解し合うには、あまりに立場が違っていました。
 最後に、「高齢引きこもり 61 万人」の帰る場所は、問題縁のセルフグループこそが最も尊いのではないか、と僕は考えます。国が支援するのであれば、特にこの立ち上げや運営に対してがいいのではないでしょうか。この大きな数字は、見方によっては、非常に頼もしいものです。

 なお、この話は、決して多様性を否定したいわけではありません。企業も、スポーツチームも、交響楽団も、多様な役割を担う人間が協調することによって成立して、ただの烏合の衆ではない、特別なパフォーマンスをしています。
 がしかし、一方で、やはり、例えばバイオリニストのだけの集まりがあって、技術上達のコツを話し合ったり、「バイオリイストあるあるねた」などで笑い合ったりできれば、それは尊い時間でしょう。そして、苦痛を問題縁とするセルフヘルプグループも、そういうことができて……苦痛を一緒に笑い飛ばしたりすることができて、きっと人生の新しい道筋がつながっていくことでしょう。
 僕は、そういうリンクの可能性を信じています。

(了)