きっとどこかにあるリンク
平成の幕開けに「オタク青年」という社会不適合者の事件があり、そして今令和の幕開けに「高齢ひきこもり」の事件がありました。この執筆時点においてもざわめきが残っているのですが、社会の隅っこから、僕にも少々書かせていただければと思います。
■最後のわら
今回の川崎の事件でも、突然に怪物――社会と途絶した怪物――が出現したかのような報道でした。実際センセーショナルな出来事であって、全国の幼稚園などが素早く子供たちを保護し始めたことが肯定されつつ、がしかし一方で、少なからぬ皆様にもそうだったでしょうように、僕も「事件の全体像を知りたい」と思ってもいました。
そして分かってみれば、犯人の身の上は非常に不幸なもので、少なからぬ同情がされるものでした。「無差別」の襲撃でないらしいのも見えました。実の両親から捨てられただけでなく、小学校の卒業アルバムなどによって、級友や先生からぞんざいに扱われていたのも分かりました。
更に僕は、こういう時に、英語圏ではメジャーらしい(しかし明治維新の頃には無かったのか、日本には広まらなかった)「最後のわら」という表現を思い出します。「最後のわら一本が、ラクダの背骨をへし折る」。ここまで来れば誰でも――上司や恋人(配偶者)に不満をぶちまけたことがある人も、無いままでじっとこらえている人も――意味がお解りになったと思います。
今回の犯人も、本当にたくさん耐えてきたのではないでしょうか。家族と愛し合って育っている級友たちや先生から軽く扱われながら、本当にたくさんの重荷を孤独に背負ってきたのではないでしょうか。そしてその果てに、とうとう最後のわらが乗ってしまったのでしょう。今回、僕が知るかぎり、この「最後のわら」は明らかになっていません。特に明らかになっていないのは、「そんな些細なことで離婚したのか」などと言われるレベルのもの、いやそれ未満のものであるが故に、既に亡くなった犯人以外には感覚しがたかったせいかもしれません。とて、全くの理解不能ということはありません。誰もが、完全ではなくとも、想像もリンクもできはします。
僕は決して、「ストックホルム症候群」に陥りたいわけではありません。被害者やご遺族のことも忘れていません。
ただ、一般論として、「『無敵の人』などというラベリングを安易にして、彼と共同体を隔て切ってしまうのはどうか」と思うのです。
■冬の花火
太宰治の晩年(死の 2 年前、1946 年)の作品に、『冬の花火』という戯曲があります。以下、青空文庫から引用します。
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あたしは今の日本の、政治家にも思想家にも芸術家にも誰にもたよる気が致しません。いまは誰でも自分たちの一日一日の暮しの事で一ぱいなのでしょう? そんならそうと正直に言えばいいのに、まあ、厚かましく国民を指導するのなんのと言って、明るく生きよだの、希望を持てだの、なんの意味も無いからまわりのお説教ばかり並べて、そうしてそれが文化だってさ。呆(あき)れるじゃないの。文化ってどんな事なの? 文(ぶん)のお化(ば)けと書いてあるわね。どうして日本のひとたちは、こんなに誰もかれも指導者になるのが好きなのでしょう。大戦中もへんな指導者ばかり多くて閉口だったけれど、こんどはまた日本再建とやらの指導者のインフレーションのようですね。おそろしい事だわ。日本はこれからきっと、もっともっと駄目になると思うわ。若い人たちは勉強しなければいけないし、あたしたちは働かなければいけないのは、それは当りまえの事なのに、それを避けるために、いろいろと、もっともらしい理窟(りくつ)がつくのね。そうしてだんだん落ちるところまで落ちて行ってしまうのだわ。ねえ、アナーキーってどんな事なの? あたしは、それは、支那(しな)の桃源境みたいなものを作ってみる事じゃないかと思うの。気の合った友だちばかりで田畑を耕して、桃や梨(なし)や林檎(りんご)の木を植えて、ラジオも聞かず、新聞も読まず、手紙も来ないし、選挙も無いし、演説も無いし、みんなが自分の過去の罪を自覚して気が弱くて、それこそ、おのれを愛するが如く隣人を愛して、そうして疲れたら眠って、そんな部落を作れないものかしら。あたしはいまこそ、そんな部落が作れるような気がするわ。まずまあ、あたしがお百姓になって、自身でためしてみますからね。
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僕は太宰に非常に詳しいということはない(彼の本心と、作家としての演出の差も厳密に知りません)のですが、太宰の生家が裕福だったのが良い学歴が得られた一因であること、だからこそマルクス主義が持てはやされる旧帝国大学に入って戸惑ったらしいこと、そしてその後臆病な(らしい)性格にも関わらず巨大戦争に巻き込まれたこと等等、大小さまざまな軋轢に疲れ切って、「ただ解り合えて許し合える人たちと穏やかに過ごしたい」という気持ちがあったとして、それは解ります。
一方、この桃源郷は高すぎる理想だとも思います。「一般社会」から現実に距離を置きすぎれば、警戒される集団になってもしまいます。太宰もこれをただの絵空事として霧散させていますが、ところでこれは、現代においては、無難なレベルで実現できているのではないでしょうか。
「セルフヘルプグループ」が、これに当たっていそうに思うのです。
「自分の過去の罪」とは言いませんが、自然に同病相哀れむことをできるのがそういう場所です。上からのアドバイスも、同じ目線まで下りてきてくれる気遣いも要らないのがそこです。
そして、川崎の事件の犯人についても、どこかに合流できなかったのかと悔やまれます。
ひきこもり系、メンタルヘルス系のセルフヘルプグループは、既に多いです。
「両親が養親」という問題縁に僕は明るくありませんが、それでもある程度は知っています。例えば、僕は少林寺拳法のメンバー(のはしくれ)ですが、この少林寺拳法の創始者は孤児です。川崎の事件の犯人にとっても、精神的なよい父親になってくれたのではないでしょうか。赤の他人の「頑張ろう」より、この創始者の「頑張ろう」のほうが、伝わる力を持ったろうと考えます。
あるいは、他でもない自分自身で、その問題縁のセルフヘルプグループを立ち上げてもよかったのです。自分自身を助けるノウハウをかき集めながら、他人をも助けていくことによって、豊かな人生になった可能性は低くなかったと思います。
■まだ僕には帰れるところがあるんだ
■最後のわら
今回の川崎の事件でも、突然に怪物――社会と途絶した怪物――が出現したかのような報道でした。実際センセーショナルな出来事であって、全国の幼稚園などが素早く子供たちを保護し始めたことが肯定されつつ、がしかし一方で、少なからぬ皆様にもそうだったでしょうように、僕も「事件の全体像を知りたい」と思ってもいました。
そして分かってみれば、犯人の身の上は非常に不幸なもので、少なからぬ同情がされるものでした。「無差別」の襲撃でないらしいのも見えました。実の両親から捨てられただけでなく、小学校の卒業アルバムなどによって、級友や先生からぞんざいに扱われていたのも分かりました。
更に僕は、こういう時に、英語圏ではメジャーらしい(しかし明治維新の頃には無かったのか、日本には広まらなかった)「最後のわら」という表現を思い出します。「最後のわら一本が、ラクダの背骨をへし折る」。ここまで来れば誰でも――上司や恋人(配偶者)に不満をぶちまけたことがある人も、無いままでじっとこらえている人も――意味がお解りになったと思います。
今回の犯人も、本当にたくさん耐えてきたのではないでしょうか。家族と愛し合って育っている級友たちや先生から軽く扱われながら、本当にたくさんの重荷を孤独に背負ってきたのではないでしょうか。そしてその果てに、とうとう最後のわらが乗ってしまったのでしょう。今回、僕が知るかぎり、この「最後のわら」は明らかになっていません。特に明らかになっていないのは、「そんな些細なことで離婚したのか」などと言われるレベルのもの、いやそれ未満のものであるが故に、既に亡くなった犯人以外には感覚しがたかったせいかもしれません。とて、全くの理解不能ということはありません。誰もが、完全ではなくとも、想像もリンクもできはします。
僕は決して、「ストックホルム症候群」に陥りたいわけではありません。被害者やご遺族のことも忘れていません。
ただ、一般論として、「『無敵の人』などというラベリングを安易にして、彼と共同体を隔て切ってしまうのはどうか」と思うのです。
■冬の花火
太宰治の晩年(死の 2 年前、1946 年)の作品に、『冬の花火』という戯曲があります。以下、青空文庫から引用します。
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あたしは今の日本の、政治家にも思想家にも芸術家にも誰にもたよる気が致しません。いまは誰でも自分たちの一日一日の暮しの事で一ぱいなのでしょう? そんならそうと正直に言えばいいのに、まあ、厚かましく国民を指導するのなんのと言って、明るく生きよだの、希望を持てだの、なんの意味も無いからまわりのお説教ばかり並べて、そうしてそれが文化だってさ。呆(あき)れるじゃないの。文化ってどんな事なの? 文(ぶん)のお化(ば)けと書いてあるわね。どうして日本のひとたちは、こんなに誰もかれも指導者になるのが好きなのでしょう。大戦中もへんな指導者ばかり多くて閉口だったけれど、こんどはまた日本再建とやらの指導者のインフレーションのようですね。おそろしい事だわ。日本はこれからきっと、もっともっと駄目になると思うわ。若い人たちは勉強しなければいけないし、あたしたちは働かなければいけないのは、それは当りまえの事なのに、それを避けるために、いろいろと、もっともらしい理窟(りくつ)がつくのね。そうしてだんだん落ちるところまで落ちて行ってしまうのだわ。ねえ、アナーキーってどんな事なの? あたしは、それは、支那(しな)の桃源境みたいなものを作ってみる事じゃないかと思うの。気の合った友だちばかりで田畑を耕して、桃や梨(なし)や林檎(りんご)の木を植えて、ラジオも聞かず、新聞も読まず、手紙も来ないし、選挙も無いし、演説も無いし、みんなが自分の過去の罪を自覚して気が弱くて、それこそ、おのれを愛するが如く隣人を愛して、そうして疲れたら眠って、そんな部落を作れないものかしら。あたしはいまこそ、そんな部落が作れるような気がするわ。まずまあ、あたしがお百姓になって、自身でためしてみますからね。
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僕は太宰に非常に詳しいということはない(彼の本心と、作家としての演出の差も厳密に知りません)のですが、太宰の生家が裕福だったのが良い学歴が得られた一因であること、だからこそマルクス主義が持てはやされる旧帝国大学に入って戸惑ったらしいこと、そしてその後臆病な(らしい)性格にも関わらず巨大戦争に巻き込まれたこと等等、大小さまざまな軋轢に疲れ切って、「ただ解り合えて許し合える人たちと穏やかに過ごしたい」という気持ちがあったとして、それは解ります。
一方、この桃源郷は高すぎる理想だとも思います。「一般社会」から現実に距離を置きすぎれば、警戒される集団になってもしまいます。太宰もこれをただの絵空事として霧散させていますが、ところでこれは、現代においては、無難なレベルで実現できているのではないでしょうか。
「セルフヘルプグループ」が、これに当たっていそうに思うのです。
「自分の過去の罪」とは言いませんが、自然に同病相哀れむことをできるのがそういう場所です。上からのアドバイスも、同じ目線まで下りてきてくれる気遣いも要らないのがそこです。
そして、川崎の事件の犯人についても、どこかに合流できなかったのかと悔やまれます。
ひきこもり系、メンタルヘルス系のセルフヘルプグループは、既に多いです。
「両親が養親」という問題縁に僕は明るくありませんが、それでもある程度は知っています。例えば、僕は少林寺拳法のメンバー(のはしくれ)ですが、この少林寺拳法の創始者は孤児です。川崎の事件の犯人にとっても、精神的なよい父親になってくれたのではないでしょうか。赤の他人の「頑張ろう」より、この創始者の「頑張ろう」のほうが、伝わる力を持ったろうと考えます。
あるいは、他でもない自分自身で、その問題縁のセルフヘルプグループを立ち上げてもよかったのです。自分自身を助けるノウハウをかき集めながら、他人をも助けていくことによって、豊かな人生になった可能性は低くなかったと思います。
■まだ僕には帰れるところがあるんだ
作品名:きっとどこかにあるリンク 作家名:Dewdrop