癌になった親の介護記録
この半年で何度も入退院を繰り返していたので、保険会社からも本当の事か疑われたほどだった。3回目の入院に関しては、保証の適応外だと言われ、私が賄うしか無かった事もあり、父の病気はかなり深刻な問題だった。
当の本人は、点滴治療をすれば直ぐに回復する為、大して悩んでもいなかった。
だけど、見るからに窶れてしまった私を心配してくれた先生が、父に忠告してくれた。
「ここで食べたい気持ちに勝てず、また繰り返す様であれば、今度は娘さんが病気になってしまうから、治す努力が出来なければ精神的な治療を専門にしている病院へ転院して貰わなくてはなりません!」と…。
父は、ここで初めて自分がしている事がおかしな事だったと受け入れました。
なぜなら、自分の親の介護をしていた時に、親のワガママに耐えられず精神病院へ入れた過去があるからでした。
叔母からも、「あんたも娘に捨てられて、あの鉄格子の病院に入るんだよ!」と叱られた。
息子に関しては、「俺が子供の時に一緒に暮らしたいなんて言わなかったら、こんな事にはなっていなかったから、俺の責任として、じいちゃんには施設に入って貰う!」と涙ながらに訴えた。
その結果、父の口からは初めて「悪かったょ…」と言う言葉が出てきた。
〈エピソード9〉
2018年6月末
ようやく父がこれではいけないと気づき、積極的に治療に励む様になった。
退院を許されて、月に一度の受診だけになった父は、本当に嬉しそうだった。
再び食べてしまう不安はあったが、退院前の検査では、食道の広さが直径1ミリになっていると分かり、先生からも、「飲み物だけなら少しずつ飲んでトレーニングしてみましょうか!」と許可が出た。
初めは全く塞がっていた食道が、放射線治療によって癌の進行は現時点では止まり、少しずつ自己再生をしている様だと言われた。
普通の人からしてみれば、直径1ミリは細いかもしれないけれど、全く物が通らない人には奇跡の様な幸運なのだと言える。
こうして、退院してからはきちんと自制し、食べ物は我慢しながら、好きなコーヒーやジュースを少しずつ飲みながら父は生きている。
体重も、入退院を繰り返していた時は40キロを切っていたが、今現在は53キロにも増えた。
2019年の12月で余命と言われた2年が来るが、今のところは異常もなく過ごしている。
作品名:癌になった親の介護記録 作家名:TSUKIKO