⑥冷酷な夕焼けに溶かされて
それが、違和感の大部分を占めていた。
(どうしたら、確かめられるかしら…。)
私は考えながら、ぐるりと部屋を見回した。
そういえば…この小部屋に私をひとり残したのは、隙だろうか、罠だろうか?
(逃げようとすれば、本物か見極められる?)
かつて剣をわざと枕元に置いたのは、罠だった。
あれを手に取らないことでミシェル様の信頼を得ることができたから、今回も大人しくしているべきなんだろうか。
(でも…ルイーズが危ない…。)
きっと、ルイーズもミシェル様に油断するはず。
そう思うと、やはりいてもたってもいられなくなり、ソファーから立ち上がった。
「ダメです。」
突然、頭上から声が聞こえる。
見上げると、天井の板が一枚わずかにずれていて、そこから黒い大きな瞳が覗いていた。
「確実に、私たちをあぶり出す罠です。」
「!…すみません…。」
私が謝ると、大きな瞳が半月にゆるむ。
「姫。ある意味、これは好機ですよ。」
「え?」
「どんなに探しても見つからず、死さえ覚悟した彼が、出てきたじゃないですか。
しかも、何気に元気だし。」
「…あ…。」
(そうだ。)
(たしかに、マル様やフィンが死を確信するほどの目に、ミシェル様は遭われていた。)
(なのに、彼は私を軽々と抱え上げて歩けるほどお元気だったわ。)
私が思わず頬を綻ばせると、マル様は小さく頷いた。
「私達は一旦、退きます。
カレン達が国境へ辿り着く前につなぎをとり、必ず助けに来ますので、それまであなたは彼のことを探れるだけ探っておいてください。」
正直、ひとり取り残されるのは心細い。
けれど、私は奥歯を噛みしめて、笑顔を作ってみせた。
「はい。戻られるまで、なるべく多くの情報を集めておきます!
皆さんも、お気をつけて!」
私の笑顔に、マル様の瞳が再び半月になる。
そして、静かに天井板が元に戻された。
「やはり、星一族の捕獲は無理か。」
「!」
突然聞こえた低い声に、体が大きく跳ねる。
いつの間にか、そばにミシェル様が立っていた。
「天井板…塞ぎたいところだが、掃除ができなくなると不衛生だしな…。」
顎に手を添えながら天井を見上げ淡々と呟く姿は、以前のミシェル様だ。
ジッとその横顔を見つめていると、夕焼け色の瞳がゆっくりとこちらを見下ろした。
「…。」
無言でこちらを見つめてくるので、私も無意識にその瞳を見つめ返す。
すると、すっと顎をとらえられた。
「!」
(また口づけされる!?)
反射的に身を引くと、一瞬その瞳が大きく見開かれる。
けれどすぐにそれは細められ、冷酷な表情になった。
「おまえ、自分の立場がわかっていないようだな。」
低い声でそう囁かれると同時に、左手を荒々しく掴まれる。
けれど次の瞬間、ミシェル様が驚いたように動きを止めた。
「…なんだ、これは?」
そして私の指輪を、怪訝そうに見る。
「え?」
意外な言葉に驚くと、ミシェル様の美しい瞳が歪む。
「これは…あの剣についていたはずだ…。」
だんだんと揺れが大きくなる、夕焼け色の瞳。
「これをなぜ外した!」
「!?」
思いがけない言葉に、私はミシェル様と指輪を交互に見つめた。
「だって、これはミシェル様のご命令で剣から外して作ったと…」
「なんだと?」
地の底からわきあがるような低い声で、凄まれる。
「そういえば、おまえ、剣はどうした。」
「!」
ハッとして背中を触るけれど、そこに剣はなかった。
(たしかに背負っていたのに!)
いつの間になくなったのだろう。
(まさか…マル様が…?)
あのどさくさに、マル様が剣を持って行ったのだろうか。
「ちっ。」
ミシェル様は小さく舌打ちすると、薬指に爪をギリッと食い込ませる。
「…あ…の野郎…。」
「っ!!…痛っ!!!」
手を引きながら小さく叫ぶと、ミシェル様がハッとした様子で乱暴に私の手をふり捨てた。
咄嗟に胸に抱きしめた指からは、血が滴り落ちる。
「…っく…」
歯を食い縛ったけれど、痛みを堪える声が思わず漏れた。
そんな私の左手を再び掴むと、ミシェル様は薬箱を引き寄せる。
「バカは、どうせ何のことかわかってないだろう。」
見下すように言われた言葉が、容赦なく胸に突き刺さった。
「…はぁっ。」
苛立ちを吐き出すようにため息を吐きながら、ミシェル様はドサッと荒々しくソファーへ腰を下ろす。
そして、私の指の手当てを始めた。
(優しい…。)
かつて、何度もミシェル様に手当てをして頂いたことを思い出す。
(ぶっきらぼうだけれど、薬を塗る手がとても優しい。)
(やはり、この方はミシェル様なのかしら…。)
惑う心のまま視線をさ迷わせた時、再び舌打ちが聞こえた。
「くそっ!あれがなきゃ、帝国に帰れねーし。」
(!!)
くだけた口調で、怒りを露にするミシェル様。
その様子に、再び違和感を感じる。
「…帝国に、帰られるんですか?」
おずおずと訊き返すと、ミシェル様の暗い橙の瞳がこちらをギロリと睨み上げた。
「ようやく母上も諦めて、ルーチェを帝国に併合すると決めたしな。
そもそもこんな国に遣わされたこと自体、恥辱の極み。」
はぁっと再び荒々しくため息を吐きながら、ミシェル様は私の指の包帯をきゅっと強く結ぶ。
「…だから、王冠を被らなかったのですか?」
あまりにも酷い言葉に、思わず言ってしまった。
口にしてすぐ後悔したけれど、もう取り消せない。
烈火のごとく怒るだろうと予想して身構えたのに、思いがけず目の前のミシェル様は目を大きく見開き、きょとんとしている。
「…は?」
寝耳に水といった表情に、私は首を傾げた。
「…王冠、被らなかったのか?あいつ…。」
「!」
『あいつ』!?
「『あいつ』って、誰ですか?」
思わず、ミシェル様に詰め寄る。
「あなたはやはり、『ミシェル』様ではないのですね!?」
自らの失言を悔やむように、彼は私からふっと目を逸らした。
けれど、すぐに不遜な態度に戻り、ソファーへふんぞり返るように深く身を沈める。
そして、ニヤリと笑みを浮かべた。
(つづく)
作品名:⑥冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか