夢幻圓喬三七日
「うちは元々酒屋だったんですよ。お客さんみたいな人が多ければコンビニにしなくてもよかったんですが」
「そいつはちょっと寂しい話だな」
「これも時代の流れですね」
「ちょっとは逆らうのも面白ぇんじゃないのかい」
「えっ?!」
結局店長の勧めるままに買い物を済ませて出口に向かう
「ありがとうございました、また来て下さい」
店長と女の子がハモっている。師匠は笑顔で手をあげ、僕は会釈をして店を出た。
お隣の台所に明かりが点いている。ご主人が帰ってきているようなので、ビールパックを持って師匠と挨拶に行く。
「隣の河井です」
僕はインターフォンで奥さんに訪問理由を告げる
「今日から叔父が三週間ほど一緒に住みますので、ご挨拶に伺いました」
「それはご丁寧に。ちょっとお待ち下さい、主人を呼んでまいります」
僕とほとんど歳の変わらないご主人は、奥の部屋から子どもを抱いて出てきた。師匠は僕を押し退けるようにしてご主人に話しかけた
「今日からあたしがこいつの所で少しの間やっかいになるもんで、色々迷惑を掛けると思いますから、こいつはほんの挨拶代わりです。受け取ってやって下さい」
「そんな……、ご覧の通り、うちも子どもがいて騒々(そうぞう)しいですから、お互い様ですよ」
「いえいえ、子どもは騒ぎ回るのが仕事ですよ、気にしないで下さいな」
ビールを奥さんに手渡した
「それじゃ夜分に失礼しましたね、ごめんなさい」
師匠はあっさりとお隣をあとにした。
「もっと話し込むのかと思いましたよ」
「御亭主は子どもを抱いてるし、おかみさんはビールを持ってるじゃないか、それに今日は只の挨拶だよ。このくらいで丁度いい」
これも好意の遣り取りなのかな。
つまみの支度を済ませ、飲みながら、新旧取り混ぜての落語鑑賞会だ。お酒が入ると師匠は、それが本来の性格なのか毒舌な口調になってくる。
「間が悪い奴だな、何でそんなに喋りたがるんだ、喋るからトチルんだろうが」
「そんなに勢いだけで話してたら客は疲れちまうだろう、ちっとは客を感じろ」
「変なくすぐりを入れたな、こういう奴に限ってサゲを変えちまうんだぞ……、それみろそんなサゲじゃ客が呆れてるわ」
「なんだこれは喪主の挨拶か、そんな話は葬式でやれ」
ことごとく的確で頷くばかりだが、師匠の時代ではこれを楽屋で言っていたかと思うと、ゾッとした。そりゃ孤立したり、人格を疑われたことだろうと変に納得した。それでも、わからない言葉が出てくると僕に訊ねてくれる。一言一句を頭と身体に染み込ませるように真剣だ。そして上手い噺に出合うと、
「いいね、今の一言で客が変わったぞ」
「こいつが文楽か上手く仕上げたな」
「これは寄席で観たいね、声だけだともったいないや」
素直に褒めている。どちらが本当の師匠なのかな。きっとどちらも四代目(よだいめ)橘家圓喬なのだろう。
こうして、永い永い初日が過ぎていった