夢幻圓喬三七日
「うむーそれでいながら下帯(したおび)を洗うのをとやこう言うのはどういう訳だ。金玉や男根を包む風呂敷だな……」
ここでヒャ〜という笑い声が聞こえてきた。ドラッグストアのオバサンだった。つられて他のお客さんの笑い声も大きくなる。オバサンと師匠とを結ぶ下帯の存在は大きい。
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「蟹のようなものでげすな」
「その、『ようなもの』が喰いたい」
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「アンコウでげす」
「ははあ、アンコウか。下に鉢巻をしているのは」
「番公(ばんこう)です……」
「番公鍋は出来ぬか」
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「大黒柱の酢の物が喰いたい」
「ご冗談ばかり。後は昆布鱈(こぶたら)が出来ます」
「どうだ、蟹代鮟鱇代鱈(かみだいはんこうだいただ)の四文なり」
「旦那はお洒落はお上手でございますな」
このあと饅頭屋、古着屋、紙屋、薬屋と素見(ひやかし)ていく、文字通り侍の素見だ。侍の行く先々での騒動に会場も沸いている。
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「ご婦人の産前産後もありますれば、脚気肥満もございます」
◇ ◇ ◇
サゲて頭を下げる師匠、少し遅れて拍手が起こる。ご近所三人組は大将に負けないくらい大きな拍手だった。
夜席がある朝太さんとその師匠、名古屋へと移動する圓馬さんは、柴田さんの控室へ挨拶をして帰って行った。ご近所三人組も商店街で夕飯のおかずを買って帰ると言って、店を出て行く。大将がまた来て下さいね、と愛想良く声を掛けていた。僕と師匠はこの後のことを打ち合わせて、二人で幼稚園へと向かった。
『桑の木幼稚園』と門柱に彫られているそこは、明かりが点いてはいるが、静かに佇(ただず)んでいた。インターフォンで隣町の河井と伝えると、すぐに若い女性が出てきてくれた。隣町とはいえ町会の役員をしている父の御利益(ごりやく)だろう。応接セットに腰掛けて、園長先生と若い先生に向かって、僕が話しの口火を切る。
「実はこちらの柴田さんのご実家が、桑の木幼稚園と関係があるのではないかと思いまして、こうして訪ねてきました」
実に怪しいが、こんな聞き方しか思い浮かばなかった。それでも園長先生は快く対応してくれる。
「あら、そうなんですか? ご実家はどちらですか?」
園長先生の質問には師匠が答えた。
「あたしの実家は茨城ですが、本家筋が東京でして、あたしは柴田ですが本家は桑原といいます」
師匠の口から出た桑原という言葉に反応があった。
「まあ、祖母の旧姓が桑原でした。おばあちゃん子だった私が幼稚園を始めるときにその一文字をいただいて桑の木と名付けたんです。もう20年以上も前のことですけど」
繋がったのか? 師匠が身を乗り出して訊ねる。
「あたしの本家の先祖に噺家がいたんですが、何かお聞き及びじゃありませんか?」
「ええ、ええ、父親が落語家だったと祖母から聞いたことがありますよ。何でも小さい頃に母親と三人の子どもを残して家を出て行ってしまったらしいですね」
「その頃のことを何でも良いんで教えてもらえませんか?」
「祖母も小さかったのであまり覚えてはいませんでしたが、実家はその頃横浜の金沢区にあったみたいですね。そちらを巻き込んで大変な騒動だったとは聞いてましたけど……」
金沢文庫だ。園長先生が話を続けてくれる。
「それで、父親が出て行ってしまった後に、その父親の師匠の使いという方がこられて、いくらかのお金を置いていって下さったそうです。そのお蔭で祖母と祖母の兄二人はきちんとした教育を受けられたと……。その頃から教育には興味があった家系ですね」
「その師匠の名前は聞いていませんか?」
「さあ……、私は聞いていませんし、祖母も知らなかったと思いますよ」
圓喬師匠の師匠といったら一人しかいない。間違いない圓朝師匠のことだ。師匠は寂しそうにつぶやいた。
「でも父親のことは恨んでいたでしょうね」
「どうでしょうか。特にそういったことを聞いたことはありませんが……、幸い兄二人は成功したようですから。そのかわり祖母と母、そして私と男運はないですね。全員夫に先立たれておりますし、隣におります娘の清美(きよみ)も未だに独身ですから……」
それを聞いて娘さんがムッとしている。下を向いて黙ってしまった師匠に代わって僕が話を引き取った。
「この幼稚園のことですが、何でも閉めてしまう予定だと伺ったんですが……」
「そんなことも御存じなんですか?」
「蕎麦屋の大将から伺いました」
「そうですか。相変わらずだわ。まだはっきりと決めたわけではないのですが、少子化が進んでますし、このあたりも段々子どもが少なくなってきていますから、潮時かなとも考えています」
突然師匠が叫ぶように声を上げた
「でも、子どもさえ集まればお二人は続けたいんでしょう?」
「それはそうですが、子どもが集まらないことにはどうにも……」
「あたしはもうじき日本を出るのですがそれまでの間、出来る限りのことをしますから、どうか諦めないで下さい」
「そんなことをしていただいては申し訳ないですよ」
「いえ、これも昔、本家の噺家がしでかしたことへのお詫びです。任せていただけませんか?」
師匠の真剣なお願いに二人は申し訳なさそうにしていたが、やがて「よろしくお願いします」と同意した。
大将の所に預けてある荷物を取りに戻ったが、何かを感じてくれたのだろう、大将は静かに微笑んでいた。
マンションでは、早速師匠とコンビニ弁当を食べながらの作戦会議だ。師匠にあれこれと事情を聞くことはやめた。恐らく僕の想像は当たっているだろう。
美代ちゃんに明日の社長さんの予定をメールで聞き、午前中に訊ねることにした。他に支援を求められる心当たりがない。美代ちゃんの会社に全力投球するのみだ。明日にそなえて寝ようかと思っていたところで、師匠が白湯を希望した。テーブルに着いた師匠の前に白湯を置くとやがて、語り始めた
「馬鹿な噺家の言い訳を聞いてくれるかい?」
僕の返事を待たずに師匠は話しを続ける。
「師匠が床に伏せったままになって、あたしたち弟子は覚悟を決めていたんだよ。他の連中はどう考えていたのかは知らないが、あたしは師匠が遺(のこ)した噺と芸をこのまま絶えさせてはいけないと思って、それまで以上に稽古をしたし、寄席にも多く出たよ。それこそ出られれば山の手の席へも行ったよ。
でも、その頃の女房から、子どもたちの教育にも関心を持ってくれって云われてね。子どもも大きくなり始めていたからな。日清戦争が終わって、これから日本が大国の仲間入りをするには、きちんとした教育が必要だと女房に毎日毎日いわれていてね。それがイヤで芸者屋をしていた女のところに逃げたんだよ。師匠の残した噺に専念したくてね。師匠が遺したものを継げるのは俺しかいない、なんて本気で考えていたんだからお笑いぐさだよな。その為には他のことはどうでも良いと思っちまってな。それで桑原から芸者屋をしていた女の姓の柴田に代わったんだ。結局、師匠が死ぬまでゴタゴタが続いちまったがね……。
それにしても師匠が前の女房にお金を渡したなんて初めて聞いたよ。……そうだ、悪いんだが、圓馬さんたちに何か甘い物を買ってきてくれないか?」