夢幻圓喬三七日
当然の如く、無事羽田に到着すると、二人同時にため息が漏れた。乗り換えと今後の移動のことも考えて、師匠にSuicaを買って渡す。最初は恐る恐るかざしていた師匠だったが、最後はすっかり手馴れていた。マンションに戻ると、最初に出合ったのは管理人さんだった
「おかえりなさい。大阪に行ってらしたんですね。いかがでしたか?」
出発前に大阪行きは伝えられなかったが、管理人さんは知っていた。お隣の奥さんにでも聞いたんだろうか? 師匠は別段驚くこともなく、
「飛行機で無事帰ってきましたよ。後でお土産をお持ちしましょう」
急いで風呂をセットして、僕は洗濯物やお土産の整理、師匠は圓馬さんたちのお忍び揃えの前に、現金の入った封筒とお土産を供えてから、風呂へと向かった。
「♪にっしんだんぱん はれつして〜ぇ しながわのりだす あづまかん〜ん……♪」
節は欣舞節だが、歌詞が娘義太夫とは違う。元歌だろうか?
「♪いちれつだんぱん はれつして〜ぇ にちろうせんそう はじまぁた〜ぁ……♪」
これは二番なのかな?
「♪しん〜に〜ぃ けいが〜ぁのぉいたり〜ぃな〜れ きんぶ きん〜ぶ きぃ〜んぶ ゆ〜かい ゆぅ〜か〜い〜♪」
ご機嫌に歌い終えた。風呂上がりの火照りが落ち着くのを待って、まずはご近所からお土産を配ることにする。
皆さんお土産に喜んでくれたが、コンビニではこちらが驚かされた。なんと『逸品コーナー』なるものが出来ていた。肥前海苔やかんぴょう、白神の生ハムまで取り扱っている。それらを使ったレシピが手書きで添えてある。バイトの女の子が書いたのだろうか、そこには可愛い丸文字がある。
「これ、どうしたんですか?」
「清水さんの会社に色々と便宜を図ってもらいまして、取り扱えるようになりました。やりたいことが少し見えてきたんです。これもお二人の御蔭です」
美代ちゃんの会社と取引を始めたんだ。それにしても店長の行動力には恐れ入ってしまう。美代ちゃんのいっていた、やり手というのも頷ける。男子三日会わざれば……、なんとか、かんとかだ。
「こりゃ楽しみだ。改めて寄せてもらうよ」
上機嫌な師匠と二人で部屋に戻り、美代ちゃん、瀬尾さんそして実家に無事帰ったことを知らせるメールを送る。実家からは、一緒に蕎麦を食べようとの返信が来た。
夕方に実家へ行くと、お茶請けにお持たせの昆布で大阪の土産話などを話したが、両親からは美代ちゃんのことをしつこく訊(き)かれた。僕は仕方なしに今度連れてくるという、いい加減な提案で美代ちゃんの話を打ち切ることにした。師匠はただニヤニヤ聞いているだけで、美代ちゃんのことをバラした責任を取るつもりはないらしい。蕎麦屋では平日の夜ということもあり、他にお客さんはいなかった。大将とおカミさんと一緒に、久しぶりの飲み会となり、お酒も進んでくると、大将が申し訳なさそうに師匠に話しかける
「実は昨日朝太の奴から電話があってね。なんでも師匠に、――これは朝太のほんとの師匠なんだが―― 問い詰められたらしいんだよ。急に上手くなったもんだから、誰かに稽古をつけてもらったんだろうってね」
「それで朝太さんはなんと答えたんです」
師匠の問いに大将は、
「それが、稽古をつけてもらったことは言ったんだけど、誰につけてもらったかは言わなかったんだよ。朝太としては、あんたに迷惑がかかると思ったんだろうな。それで、師匠の口から破門なんて物騒な言葉まで出たみたいなんだよ」
「それは申し訳ないことをしました。あたしの名前なんかは好きに出してもらって構わないですよ」
「いいのかい? 朝太に連絡してやるよ。なにね、あいつの師匠も別に誰に稽古をつけてもらったって構わないと言ってるんだよ。でも師匠として、稽古をつけてもらった相手に、きちんとお礼をしたいってことなんだよ」
「あたしは別にお礼を言われるようなことはしてませんよ。朝太さんのお師匠(っしょ)さんからのお礼は結構ですよ」
「それも伝えるよ。悪いね気を遣わせちまって」
大将は電話で、朝太さんに師匠との会話の内容を伝え終わると、通話中の電話を僕に手渡した。朝太さんから携帯番号とメアドをたずねられた。明日にでも連絡をくれるそうだ。これで肩の荷が下りたのか、それからの大将は常にも増して饒舌だった
「こないだ貰った海苔だけど、あれ旨いね。佐賀のメーカーまで電話しちまったよ」
「あれは河井君の彼女の会社で扱っているんですよ」
また、そういう余計なことを言う! 今度は母親まで興味津々じゃないですか。
「東京で扱ってる会社を教えて貰ったんだが、その会社に彼女がいるのかい?」
「ええそうです。今度連れてきます!」
もう、破れかぶれだ! 僕としては、かなり思い切った発言だったが、大将にはあっさりとスルーされた。
「あの海苔はそれほど高くないんだよ。あれだけ旨いのに色が黒くないからって、人気はそれほどでもないみたいだな。旨いのに人気がないなんて、まるでどこかの芸人みたいだよ。それで、うちの海苔を全部あれに替えようと思ってね。花巻の出前はやめようと思ってるんだ。あれはその場で味わってもらいたいからね」
突然父がここぞとばかりに割り込んできた
「それじゃ母さんが寂しがるな」
「なんだいそりゃ?」
「花巻(はなまち)の母だ」
自慢げに言い切ったが、全員に無視された。大将は改まって、
「師匠の落語会なんだが、明後日の木曜日に、こないだと同じ四時から演ってもらえないかな?」
「喜んでさせてもらいますよ。同じ五百円で結構ですよ。それで何を演りましょうか?」
「それは当日のお楽しみにとっとくよ。師匠にお任せするよ」
「また、楽しみが出来たね。それはそうと、そろそろ時間じゃないのかい?」
父はまたわからないことを言っていたが、大将には通じたみたいだ。
「おっと、もうそんな時間か。これから夜回りなんだよ。今月から交代で商店街を往復してるんだ。年の瀬に火事を出したくないからね」
「あたしもお供をさせて貰いますよ」
師匠が申し出て、僕を含めて四人で夜回りをすることになった。
「戻ってきたら猪鍋(ししなべ)かな?」
父のこの洒落はギリギリありかも……
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* 肉を持ってきました、猪の肉
* ちゃんと葱も添えてあるし、
* 味噌もちゃんと付けてきましたよ
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* 落語 二番煎じ
* (古今亭志ん朝)より
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「火の用〜心! マッチ一本、火事の元〜」
先頭の父が拍子木を叩いて、その隣で大将ががなり立てている。耳に痛い。まあ、人の注意を引くためだから、これでもいいのかな。師匠は苦笑いで下を向いている。そのうち我慢できなくなったのか、父から拍子木を奪い取り、大将に代わって声を出すようだ。拍子木を打つ カァ〜ン……、カァ〜ン……
「ひの〜よ〜じ〜ん さっしゃりあしょ〜〜〜」