夢幻圓喬三七日
「難しい噺なんで、僕にはまだ早かったです」
「そんなこたぁないよ。お前さん途中から源太の性格を変えたろ?」
源太は百人坊主の主人公で、騒動の中心人物だ。師匠は性格を変えたって言ったけど、僕にはさっぱりわからなかった。
「そないなことまでわかったんですか」
「だから、わからいでか。あれが良かったよ。稽古すりゃお前さんだけの百人坊主が出来上がるだろうよ」
「ありがとうございます。旦さん方はこれからどちらへ行かはるんですか?」
「いや、その辺で腹に入れてホテルへ帰るだけだよ」
「では、僕にご馳走させて下さい。ご祝儀も入りましたし。もっと話を聞かせて下さい」
この言い方はさすが上方の噺家だ
「じゃあ、あたしらのホテルへ来るかい。そこで一杯やりながら落語の話でもしようよ」
師匠は余り表では落語の話をしたがらない。きっと気を遣っているのだろう。一旦楽屋に戻るという若朝さんと別れて、師匠と二人でホテルへと戻る。フロントで後から噺家が訪ねてくることを伝えると「お泊まりにならなければ、お部屋へ通されても結構ですよ」と言われた。これも美代ちゃんの会社のご威光なのかな。
師匠の部屋でルームサービスのメニューから適当に注文していると、部屋のドアがノックされた。早い! 飛んで来たようだ。若朝さんは和室にびっくりしていたが、三人で座卓について酒宴の始まりだ。
今日の高座に上がった他の若手について、若朝さんが師匠に評価をたずねている。師匠は丁寧に、そして的確に、ほかの二人の高座の評価をした。若朝さんが真剣に聞き入っているのが印象的だった。そして、今日の百人坊主についても師匠が解説を始めた。まるで百人坊主を演った若朝さんの心の動きを代弁するかのような解説で恐れ入る。若朝さんは師匠にお礼を言ってから突如、
「柴田さんの言葉は東京弁違(ちゃ)いますよね。江戸弁ですよね。教えて下さい」
「あたしの言葉なんか覚えてどうすんだい? 使い道が無いだろう」
「江戸荒物を演りたいんです、江戸っ子と中途半端な東京言葉を話す荒物屋との掛合を長くした噺にしたいんです」
「江戸荒物ってあたしは聴いたことがないんだが、ここで演ってもらえるかい」
若朝さんは座り直して、江戸荒物を演り始めた。若朝さんの大師匠のそのまた師匠である、上方の大御所で僕は一度聴いたことがある。若朝さんの江戸荒物は、これも恐らく稽古で覚えたそのままの型で演っている。笑いどころも多いが、江戸っ子の言葉は、訛りのある標準語だった。その代わり中途半端に東京弁を覚えた荒物屋は面白い。サゲで訳のわからない田舎言葉が出てくるあたりは、金明竹(きんめいちく)にちょっと似ている。
「上方らしい噺だね。ここに出てくる客を本物(ほんもん)の江戸っ子にしてぇんだね?」
「そうです。本物(ほんまもん)の江戸っ子と、中途半端な東京言葉が交じった、大阪弁の荒物屋との漫才みたいにしたいんです」
「あたしが教(おせ)えるのにぴったりだよ。江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹流し口先ばかり腸(はらわた)はなし、ってのは江戸っ子の心根だけじゃないんだぜ。江戸弁にもいえるんだよ。余り顎を動かさないで、口先でしゃべると江戸っ子がしゃべるようになるよ。それと口は横に大きく広げないのが江戸っ子流だ。やってごらん」
若朝さんが江戸っ子の口まねを始めると、何となくだがさっき演じた江戸っ子よりも江戸っ子らしくなっている。師匠に言葉の指導を受けながら、どんどん江戸っ子に近付いている。師匠の教え方も上手いのだろうが、若朝さんの資質もあるのだろう。やがて江戸っ子と荒物屋の掛合を二人で始めた。若朝さんが江戸っ子、師匠が荒物屋でポンポンやり取りをしている。師匠の江戸弁と大阪弁が交じった荒物屋は見事だ。しばらくすると、立場を変えて再び掛合だ。師匠の江戸っ子はもちろん素晴らしいが、若朝さんの荒物屋も良い。この荒物屋は任に合っている。
「おめえんところの店はきったねぇな〜、ちゃんと片(かた)せよ」
「はっ?」
「ちゃんと片せって言ってんだろうが!」
「はっ?」
「てめぇ、馬鹿にしてんのか? だから、片せよ!」
「かたす?……どないして、負けたらよろしいんだぜ?」
訳けがわからないが面白い。何度か繰り返していたが、明日の昼席で演るために、若朝さんは家で稽古をすると言って帰って行った。
「二時には高座に上がりますから来て下さい。絶対ですよ」
そう言い残された室内ではルームサービスの料理のほとんどが残っている。師匠と僕とで残った料理をお腹(なか)に片し始める。
「でも、教えてもらった噺を変えちゃって良いんですかね? 怒られないんですか?」
「上方は昔ッからそのへんは鷹揚なんだよ。だから、いろんな噺が出来ていったんだよ」
上方で早くも噺家さんとの接点が出来た折返しを過ぎた十一日目だった