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夢幻圓喬三七日

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 そんな彼女が「団扇(うちわ)〜」と叫んだ。この季節に団扇なんかあるか、と思ったけど、どんな季節でもうちには団扇はなかった。師匠が慌てて差し出した扇子を持って行くと、ご飯を扇ぐようにと指示される。仲良く酢飯作りをしたところで、御役御免となった僕はキッチンを追い出される。巻き簾(す)が見えたから、きっと巻き寿司だ。昨日の師匠特製納豆手巻きに対抗したのかな。
「海苔巻きを作るみたいですよ」
 師匠にこっそりと情報提供。
「楽しみだな。庖丁は切れるのか。切れないと海苔巻きが潰れちまうぞ」
 急いで海苔巻きの切り方を検索する。そうか包丁を濡れ布巾で拭くのか。教えてあげようか迷ったが、そっとしておくことにした。しばらくすると、美代ちゃんのぼやきが聞こえてくる
「なにこの庖丁、切れないにも程があるわよ」
「濡れ布巾で拭くと切れやすいと思うんだけど」
「とっくにやってるわよ! 力を入れすぎかな?」
「最初はゆっくり引いて、半分からは押して切るようにしたら」
 ネットの受け売りだ。
「ありがと!」
 かなり苛ついている。どうか上手くいきますように……

「おまちどおさま〜」
 大きなお皿に二種類の海苔巻きが……、いや、海苔巻きは一種類だった。もう一種類は海苔の代わりに生ハムで巻いてある。生ハム巻って呼べばいいのかな。確かベトナムに似た名前の料理があったはずだ。美代ちゃんは巻き寿司の説明を得意そうに話し始めた
「生ハムの方はかんぴょう巻で〜す。海苔巻きは中に伊達巻を細く切って巻いてま〜す。先ずは食べてみてくださ〜い」
 いくつかは断面が崩れかけているが、八割方はちゃんとしているように見える。生ハム巻は味が想像できないし、海苔巻きの海苔は色が緑色だ。大丈夫かな。と師匠を見ると、顔を輝かせて海苔巻きをつまみ上げた
「これだよ、浅草海苔だよ。いい香りだ」
 えっ浅草海苔って絶滅したんじゃないのか。
「柴田さんが知っている浅草海苔と同じですか?」
 美代ちゃんは嬉しそうに師匠に話しかけた
「おう、これだよ。浅草海苔だ」
「よかった。これは肥前(ひぜん)海苔といって、佐賀県で少しだけ作られている海苔です。昔ながらの方法で作っているみたいですよ。きちんとアサクサ種を使っているんです」
 いつから美代ちゃんは海苔博士になったんだ
「何でそんなこと知ってるの?」
「うちの企画部の受け売りよ。サンプルで全国の食材や食品を色々取り寄せてるの」
「そんなの持って来ちゃって大丈夫なの」
「大丈夫、大丈夫、今度の忘年会用に試食をするって部長が話を通してくれたの。忘年会は総務の仕切りだからね。これも柴田さんの古銭のお蔭ね」
 僕も海苔巻きに手を伸ばす。旨い。香りが強いし、儚(はかな)いくらいに海苔が解(ほど)ける。
「美味しいね。これが浅草海苔なんだね。それに伊達巻きも海苔の香りを邪魔してないし、美味しいよ」
「かんぴょうを巻くと海苔の香りと味が楽しめないと思って伊達巻にしたの。企画部で教えてもらったんだけどね。生ハムの方も食べて」
 師匠と同時に、生ハム巻を食べてみる。
「お美代ちゃん、こいつも旨えよ」
「これもいいですね。生ハムとかんぴょうの甘さが相性抜群だよ」
「でしょ、って私はまだ食べてないんだけど、これも企画部のお薦めよ」
「これも会社のサンプルなの」
「そう、生ハムは秋田白神の純国産で、かんぴょうも栃木の手作り品なの。かんぴょうはお好みの味付けにして送ってくれるのよ。これは少し甘めの味付けね」
 美代ちゃんも一緒に食べ始めた。
「すまないが、小皿を貸してもらえるかな」
 そんな師匠のリクエストで、キッチンから小皿をとってきて渡すと、二つずつ小皿に乗せ、和室に入っていった。そうか圓馬さんたちに供するんだ。美代ちゃんと僕も師匠の後に続いて和室に入った。美代ちゃんにお二人のことを説明して、三人でお線香をあげて、再びテーブルに戻る。
「二人とも甘いのが好きだから喜んでくれるだろう」
 師匠が嬉しそうに、そして静かにお酒に口をつけた
「おっと、お隣とコンビニにも持って行こう。お美代ちゃん余分にあるかい」
「大丈夫ですよ。出来が良いのをキッチンに置いてあります」
 こういうところは抜け目がない。僕一人で行こうとするのをあざ笑うかのように三人でお隣のドアの前に立った。
「肉じゃがのお礼にお寿司を持って来ました」
「あら、美味しそうですね。いただきます」
 奥さんの視線は美代ちゃんに釘付けだ。その美代ちゃんが付け加える。
「海苔が柔らかいので、早目に召し上がってくださいね」
 続いてコンビニに突撃だ。美代ちゃんにとっては興味の対象なのか、先頭を歩いていく。師匠がバイトの女の子に声を掛ける。
「店長いるかい? 日頃のお礼に旨いもんを持って来たよ」
 女の子が声を掛ける前に奥から店長が出てきた。
「いつもこの二人がお世話になってま〜す。私の手作りお寿司のお裾分けです」
 美代ちゃんの先制攻撃だ。店長も女の子もびっくりしてラップがかかった寿司に視線を移している。
「これは美味しそうですね。さっそく奥でいただきます。君が先に食べてきて」
 店長に声をかけられた女の子はお皿を持ってバックヤードへと入っていった。その間に日本酒を買い足そうと、三人でお酒売り場へと向かう。美代ちゃんは店内を興味津々に見回している。普通のコンビニにはない缶詰やおつまみなどを手にとって眺めている。僕はそんな美代ちゃんを眺めていると、レジから女の子の大きな声が聞こえた。
「ごちそうさまでした。本当に美味しいですね。びっくりしちゃいました。きっと店長も驚きますよ」
 見ると店長がいない。交代して食べに行ったのだろう。店内では、美代ちゃんと女の子が目礼を交わしていた。
「やっぱりここの店長は只者じゃないわね。さりげなく置いているけど、珍しい物がちらほらあるわよ」
 そういって冷蔵ケースの蟹味噌バターを指差した。パンにもご飯にも合いそうだが、師匠には合わないと思って、店長は勧めなかったのかな。いつもの日本酒を手にレジに戻ると、丁度きれいに洗ったお皿を手に、奧から店長が出てきた
「いや〜本当に旨いですね。こんな海苔があったんですね。それに生ハムもかんぴょうに合っていて見事なものです」
「酢飯を上手く作ればもっと美味しくなると思うんですよ〜」
 美代ちゃんが目を細めて僕を見ながら言い訳をしている。
「生ハムは和食に合わせるには難しいと思っていたんですが、これは日本酒にも合いますね、素晴らしいですよ。ごちそうさまです」
「ご飯以外は全部うちの会社で扱っているんです」
 ちゃっかり会社を売り込んでいる。店長と名刺交換してるし、女の子にまで名刺を渡していた。

 部屋に戻ると、再び食事会が始まる。そこへお隣からお皿が返ってきた
「本当に美味しかったです。主人と息子も大喜びでいただきました。ごちそうさまでした」
 みんなに喜んでもらえたみたいで、良かった。テーブルでは美代ちゃんが少しふくれている。どうしたんだろう。
「どうしたの?」
「なんか、みんな本当に美味しいって言うけど、なんで『本当に』って付けるの? なんかわざとらしい」
「そんなことないよ。本当に美味しいよ。あっ」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢