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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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謝恩会(後編)~その手に花束を~

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4.そんなうまくはいかない



 謝恩会当日の朝は肌寒く、どこまでも抜けるように青い空だった。
 神戸市内にあるホールを見上げながら、湊人は頬をさする。

 西守医院で処方された薬が効いたのか、全身にまとわりついていた痛みはずいぶんやわらいだ。それでもまだ頬をなでる早朝の風が冷たく傷口にしみてくる。

「おっはよー坂井くーん! こっちこっち!」

 ホールの楽屋出入り口からひょっこり顔をのぞかせたのは悠里だった。その上にサラと晴乃がトーテムポールのように顔を見せている。思わず吹き出しそうになり口を押さえる。

「何してんの、早う来て」

 湊人の肩をうしろから押したのは晴乃だった。
 悠里とサラもそろって高校の制服を着ている。湊人も同じだ。怪我のせいなのか、卒業したからなのか、久々に袖を通した制服が窮屈に感じられる。

「おーだいぶ腫れがひいてるやん!」

 顔をよせてサラがそう言う。ラテン民族の血を引く彼女は日本人に比べると褐色の肌をしている。アジア系の顔立ちに比べると目鼻立ちがはっきりとしていて、二重まぶたの奥に黒く大きな瞳がおさまっている。鼻先がつきそうになって、湊人は思わず体を引いた。

「近いって、おまえ」
「えー近づかなよう見えんやんかー」

 そう言ってサラは無遠慮に近づいてくる。その隣でこげ茶色のポニーテールを結わえた悠里がにんまり笑っている。

「おじさんの薬は天下一品なんやで」

 まるで自分で処方したかのように自信満々な悠里を見て、晴乃が「ラーメン屋やな」と肘でツッコミを入れる。

 エレキギターを背負った悠里が「もぉーそういうことじゃなくてー」と晴乃を叩く。後ろから同じ制服をきた高校生たちが「おはよーっす」と言いながら続々と湊人たちを追い抜いていく。

「坂井くんの制服姿、違和感あるわぁ」

 全身を舐めるように見ながら晴乃が言った。そういえば晴乃とは学校で話をしたことがない。健太の彼女、という認識で二人が話しているのを遠くから見たことがあるだけだ。

「たしかに違和感しかないわ」

 今度はサラが相槌をうつ。悠里が苦笑いしている。腹の底がくすぐったくなり、「おまえは二年間同じクラスだっただろ」と湊人は言った。
「そうそう二年間もおんなじ……ってホンマに! 三年だけちゃうの!?」

 サラは目玉が転げ落ちそうなほど目を見開く。「一年もだよ」と言うと、「そんなん早よ言うてやー!」とサラは声をあげた。
 追いすがってくるサラをふりきって、湊人たちは笑いながらかけ出す。
 走り始めは殴られた体が痛んだが、それも続けば遠のいていく。普段と変わらず笑っている彼女たちを見ていると、自分の顔にある痣までなくなったような気がした。



 楽屋の中は生徒でごったがえしていた。リハーサルが始まるまで楽屋で待機と言われたが、部屋中に楽器ケースやリュックサックなどが置かれていて、足の踏み場もない。
 芋洗い状態の部屋を見て呆然としていると、晴乃がスイッと前に出た。

「ごめんごめん。今日のリハ、逆順でうちら吹奏楽部が最初やから、後輩たちもみんな来てるんや。おーい、みんなー! 楽器と荷物よせてー! 入れないよー!」

 晴乃は聞いたことのないような大声を張り上げる。それはまるで鶴の一声のように50数名の生徒たちを一斉にふりむかせ、荷物の大移動へと導いた。

「おまえ……すごいな……」

 あっけにとられていると、晴乃はくるりとふりむいた。

「そんなんちゃうんよ。とっくに引退して、OBの身やから」

 晴乃は眉をよせたが、荷物を隅によけた後輩たちが「牧さーん!」「せんぱーい!」と波のように押しよせてくる。出入口は部員たちに塞がれてしまい、湊人たちは廊下で待機することになった。

「ま、うちらには廊下がお似合いやん?」
「そうやね、パンクロッカーやし?」

 サラと悠里がかけあうのを眺めながら、湊人も廊下の奥へ進んでいく。もうじきリハーサルが始まり、吹奏楽部員たちが大量の楽器を抱えて舞台に向かうのだ。どうせまた押し出されるなら隅のほうで待機していたほうがいい。

「坂井くんにパンクロッカーはほど遠いけど……」

 サラがにやにやしながらからからかってきたので「うっさいな」と軽口を叩いた。

 廊下の奥に舞台への出入り口が見える。薄暗く続くその空間に引きよせられるように湊人は歩いていく。舞台袖の静けさ、ぐるりと取り囲む緞帳のにおい、天井からぶら下がる無数のスポットライト、板張りの床の上でたたずむ黒い影――グランドピアノ。

「坂井くんどこ行くん」と悠里の声が聞こえたが「ちょっと」と言ってまっすぐに廊下を進んだ。
 本番を控えている舞台の、あのヒリヒリする空気を吸いたくて、じっとしていられなかった。



 黒い幕をくぐりぬけて舞台に出る。耳鳴りがしそうなほど広い空間をぐるりと見渡す。まだ人の気配はない。舞台の中央に立って客席を見下ろす。3メートルほど離れたところにある最前列の席からすり鉢状に客席が続いている。1階席と2階席にそれぞれ4か所ずつ出入り口がある中規模のホールだ。

 湊人はこの規模のホールで弾いたことがない。いつもラウンド・ミッドナイトか、ブラックバードのような30人入ればいっぱいになる小さなレストランばかりだ。
 あの無数の客席に人が腰をかけ、演奏を聞く。いつものジャズの小編成ではなく、悠里たちのパンクバンドとだ。どんな風にピアノが響くのか想像できず、身震いがする。

 舞台の上手側にグランドピアノがある。湊人はそっと腰をかけ、ピアノのふたを開けた。
 鍵盤に指をそろえ、ひとつずつ鍵盤の感触を確かめる。ラウンド・ミッドナイトともブラックバードとも違う、軽いタッチ。重い鍵盤に慣れてしまった湊人が弾くと、内部のハンマーが強く当たりすぎて耳障りな響きになる。

 どれくらいの力で弾けばこのピアノの一番いい音が鳴るか、何度も半音階を繰り返しながら神経を研ぎ澄ませる。鍵盤の数は88。どんなピアノでもそれぞれに癖があって、すべての鍵盤が均一のタッチにはならない。弱いところ強いところ、がくりと音質の変わる鍵盤がどこにひそんでいるのか、指と体におぼえさせるため、何度も何度も高音域と低音域をいったりきたりする。

 本番は生音ではなく、バンドに合わせてピアノの内部にマイクが入る。ジャズの時でも大所帯のバンドだとマイクが入ることもあるが、ホールの天井近くにある複数のスピーカーからマイクを通したピアノの音が響き渡るのだ。湊人はさまざまなキィの音階を繰り返しながらスピーカーの位置を確認する。リハーサルの時はきっと全体の音量チェックだけで詳細な確認はできない。吹奏楽部の準備が始まるまでに、できるだけのことはしておきたかった。

 音階を少しずつ曲に変えていく。卒業生の誰かがうっかり聞くといけないので、今日のラインナップは封印する。悠里と出会う前から、ずっとひとりで練習していた『オレオ』『ナイト&デイ』『センチメンタル・ジャーニー』『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』――

 ふとピアノから顔を上げると、下手の奥に誰かが立っていた。湊人はとっさに手を止める。

「やめんなや」